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 楽しい時間を邪魔して申し訳なかったと謝る松也の元を潤は辞去した。  冷静に、本音を隠さずに話すことができてよかったと思いながら部屋を出て振り返ると、びっくりすることに目の前にいたのは春日。  彼も驚いたようで、わ! 社長!と驚きの声を上げて少しのけぞった。  こっちも驚きだ。 「わーごめん」 「なんで、社長こんなところに」  春日は店内奥のトイレからの戻りの様子。潤は、ちょっと人と会っててね、と濁した。 「ああ、霧島たちが騒いでいた……」  と、その事情も察した様子。あの騒ぎぶりでは、気づくよなと潤も苦笑した。 「そう、それね」  これ以上突っ込まれると困るので、潤は素早く話題を変えることにした。 「この間、藤堂とランチしたらしいね。仲良いね」  その話題は想定外だったようで、ひょろ長く少し自信がなさそうな春日が、驚いて少し戸惑ったような表情を見せる。 「仲がいいわけでは……。きっと彼は面倒見が良いので心配してくれたんじゃないかと……」  考えてみれば「連絡してやってください」と言われたにもかかわらず、実行しなかった自分のフォローを藤堂がしてくれたようなものだ。仲が良がいいねと自分が言うのも違うなと思い直す。 「相模原からいきなり本社だったからね」 「驚きました。でも、藤堂や社長とか……、見慣れた顔がいるから、なんとかやれてます」 「……よかった。何かあったら僕にも気軽に言って」 「社長、お忙しそうだし」 「そんなことないよ」 「秘書室長が社長のスケジュールを握ってるって」  その言い回しは聞き覚えがある。 「あは。それ、藤堂から?」  二人で宴会場に戻ると、潤が霧島と樋口と一緒にもともといたテーブルにはすでに二人の姿はなく、そこに座っていたのは藤堂。  戻ってきた潤の姿を見つけて、社長! と呼びかけてきた。どうやら、来い、ということらしい。 「じゃ、私はここで」  春日にそう言われて別れ、潤は誘われるまま藤堂の向かいの席に座る。 「お疲れ様です。得意先ってどちらだったんですか?」  幹事の藤堂には、得意先に挨拶するから抜けると話していた。 「誠心医大の本院。僕が挨拶したのは横浜の方のドクター」  藤堂は目を丸くする。ここにまさか大口の取引先の名前が挙がるとは思わないだろう。 「あらら。まさかこんなところで」  霧島がバタバタしてるはずだ〜と藤堂は天を仰ぐ。潤も頷いた。 「あの店先の歓迎の看板でバレちゃったんじゃない?」  堂々と社名を書いていたしな、と思い起こす。 「でも、僕は担当MRの面目は保てたかな」  と早々に話を引き上げる。 「それはお疲れ様でした」  そう言ってグラスを差し出してくる。瓶ビールを注いてくれた。 「ありがとう。かんぱーい」  緊張したやりとりが続いたせいか、ビールの喉ごしがすばらしく良い。グラスを飲み干して、満足して「美味しい……」と吐息混じりに呟くと、藤堂が苦笑して、空いたグラスにさらにビールを注いでくれた。 「そういえば、どう? 加賀谷くん」 「どうって?」 「うまくやってけそう?」  それは新設したメディカル・アフェアーズ室に藤堂の片腕として配置した、加賀谷悠のことだった。広報部でいくつか取材に立ち会ってもらっていた時から真面目な態度で好感を持てたオメガだ。  彼の広報部からメディカル・アフェアーズ室への異動は、潤の希望だった。  有能な片腕を就ければ藤堂も仕事がしやすいのではないかと思ったし、加賀谷に対しては、できれば広報とは違う仕事に、と思っていたので好機だった。  藤堂は珍しく少し考えるような仕草を取り、いいですねと頷いた。 「広報部長が手離したくなかったって分かります。まず、素直でハキハキしているし、飲み込みが早くて全てを指示しなくても理解してくれるから話が早い。疑問をそのままにしておかないし、ぐんぐん吸収するし、きちんと修正もしてくる」  大絶賛だ、と潤は笑みを浮かべる。藤堂にはいい助手をつけることができたと自分の目論みが当たった爽快さがある。 「薬剤師ではないと聞いていますが?」 「うん。でも、理系学部の出身だったと思う」 「薬学部を出ていると言われても信じてしまうくらいよく勉強していますね。安心して任せられます」 「よかった。よろしくね」  とりあえず加賀谷の行き先が落ち着いて、潤はほっとする。 「どうして、彼を俺に任せたんです?」  藤堂から唐突な質問だ。 「うーん。有能な助手が必要で、ピンときたのが彼で、お前ならうまく伸ばしてやることもできるかなって」 「……それはそれでいいんですが、彼はむしろ現場でキャリアを積む方が良かったのではないかと思いまして」  本当にそのあたりは鋭いよなと潤は思う。 「それはその通りだね。現場でドクターに可愛がられるタイプだと思う。  藤堂は直接の上司だから伝えておいた方がいいかな。本当はこんなところでする話ではないんだけれど……」  潤は声を顰める。藤堂もそれに合わせて気持ち身体をすくませた。 「彼は、もともと新卒の時から九州を回っていたらしいんだけど、取引先からパワハラとセクハラまがいの被害を受けたらしくて……。本人の希望で本社の内勤になったんだ。  だけど、今度は広報で少し面倒くさそうな記者と接点ができてしまったから、僕が引き離したいと思ってた。いい機会だからお前に託したというわけ」  自分で言いながら、かなり加賀谷のことを気にしているなと潤は思う。西宮との接点を作ってしまったのは自分の責任だから仕方がない。  藤堂は別のことを考えていた様子。 「なるほど。この間社長が仰っていた、道を作るという話の第一号は、彼になるのかな」  潤はどうだろうと首を傾げた。それは本人次第だ。 「彼にはその道もあると思うよ」 「なるほど。承知しました」  藤堂は一言、そう返事した。 「不思議だなあって思う」  思わずそう呟くと、藤堂が興味深げに視線を向けてくる。 「僕も、こういうことを考えるようになったんだなって」  アルファ・オメガ領域で医薬品の研究開発を行う企業として、オメガを他のアルファやベータといった他の性の社員たちと平等に扱うことは当然だと思っている。    その一方で、経営者として能力があってもハンデをもつオメガには、道を用意したいと思うようになった。少し前までは、それも少し他人事のような気持ちがあったが、今は……。  長谷川が抱える「後悔」の話を聞いて、自分が後悔したくないと思ったのもある。自分のような苦労をあえてすることもないということも。  潤の脳裏にふと浮かぶのは、見慣れたすらりとした広い背中。そして、少しクセのある茶色の髪。  自分には支えてくれる人がいた。彼らも諦めさせてはならないと思った。 「社長」 「ん?」  見れば藤堂が目をキラキラとさせている。 「ちょっと聞いていい?」 「なに?」 「それ」  藤堂が指し示しているのは、潤の右手。無意識のうちに、颯真から送られた指輪を触っていた。  藤堂の視線の先は、まさにこの指輪だった様子。 「いい人でもできました? 気になって」

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