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あーしまった、と思ってしまった。
が、藤堂は屈託のない笑みを浮かべている。
きっと何気なく聞いてきたのだろう。
藤堂にそう指摘されるまで、指輪を触っていたことに潤は気がつかなかった。
「……これ、目立つかな」
動揺して、思わず聞いてしまう。少し背中に嫌な汗をかいている。しかし、そんな動揺に幸いにも藤堂は気がついていない様子だ。
「どうでしょうねぇ。でも、女性は目敏いですから。俺は、その指輪を社長が触ってたから、気になったんですけどね」
実は着けている意識がなかったのだ。細身の指輪でここ数日で指に馴染みすぎてしまったこともあり、外すという選択肢がすっかり頭から抜けていた。
迂闊だったと少し反省する。
潤はとりあえず指輪を外す。
「え、外しちゃうんですか」
「うん。ここに着けてきたの、無意識だったんだけど、少ししまったかなって思ってる」
「もしかして、気軽に聞いちゃいましたけど、まずかったですか?」
そう改めて言われると、そうではない。
「いや……」
「なら、よかった。社長がそういうアクセサリーを着けているの珍しいから、つい」
藤堂がそう言うからには、この指輪を見て気になっている人は少なからずいるのだろうと思う。数日間ではあったが。
もし、社員にそう気軽に聞かれたら、自分はどう返事をしたらよいだろうと思う。
女性は目敏いというのは分かる。
颯真が言うように、結婚を考えている人がいる、でいいだろうか。
「僕も少し浮かれていたかな。好きな人にもらったものだから全く気にしていなくて」
「おお!」
藤堂がなぜか歓喜とも言える声を上げた。
思わず潤は身体をすくませて、口の前に人差し指を当てる。
その反応に藤堂は少し驚いたような様子で、頷いて少し頭を下げた。
「すみません。つい」
「どうして、お前が喜ぶんだよ」
潤がそう笑みを漏らすと、藤堂は空気を読んで声を顰めて答える。
「社長に好きな人がいるというのが嬉しくて。恋人ですか?」
どう答えたものかなと少し潤は考える。
「……うん。気持ちは通じ合ってる」
なんか含みがありそうな返事ですね、と藤堂。
「恋人ですよね?」
そう念押しされて、潤も素直に頷いた。
「うん。そうだね。いずれ番いたいと思ってる」
その言葉に、藤堂が満足げな表情を浮かべた。
「よかったです。社長にそう言う人ができて」
「僕に?」
「ええ。さほどプライベートを知るわけではないですが、ドイツにいた頃は一緒にいることも多かったし、この人は精神的にストイックすぎると思っていました。浮いた話も聞かなかったし、興味もなさそうだし。おそらくワーカーホリックだろうなと」
「人を中毒患者みたいに言うなよ」
潤が苦笑する。確かにそのようなものだったが。仕事のことしか考えていなかった。
「ピンと張り詰めた緊張を緩めることができる相手は、絶対にいた方がいい。特に社長には。そういう人ができたという話は嬉しい知らせです」
潤は、藤堂からそんなふうに言われるとはおもわなかった。せいぜい揶揄われるくらいだろうと。
「藤堂にそれほど心配されていたとはね」
もちろん心配しますよ〜、と彼は軽く返してくる。
「社長は新卒で入社した時から意識が違った。かなりのプレッシャーを背負っていたと思うし、常に注目されて評価されて、気が抜けないだろうなって思っていました」
これは個人的なことだし、あまり表に出さないように努力をしていたつもりだったのだが、鋭い人間にはやはりバレてしまうのだろう。
すると藤堂は驚くことを言い出した。
「……えっと、社長のお相手は秘書室長じゃないですよね?」
驚きすぎて思わず目をむく。
「そうなんですか?」
いや、違う違うと全身で全力で否定する。
「違うよ。この間、廉は今日は番の元に早く帰らせたいから欠席させるって言ったじゃん」
藤堂が、自分と江上の関係をそう見ていたというのにも驚いたが、そこまで踏み込んでくるとは思わなかった。
潤は少し考える。
「なあ、藤堂。
もし、受け入れられなかったら、今後のため速攻で忘れてほしいんだけど……」
なんとも切ない前置きを添える。
「え? ええ」
その前置きの意味を理解できていないだろう、藤堂の軽い返事。
「僕の番は実の兄なんだ」
その告白に、藤堂はしばし潤を見つめて、何度か瞬きした。驚いているのだろう。アルファのこんな反応はなかなか見ない。
「藤堂?」
潤の呼びかけに、我に帰った様子。
「あ、あぁ……、びっくりしました。そんなこと、あるんですか」
「うん。僕自身も驚いたね」
「そうなんですか。あーびっくりしました」
驚きすぎて、口調が乱れている様子だが、それでもその雰囲気に拒絶感みたいなものは薄そうで少し安堵する。
「もしかして、もう番に?」
「いや、まだ」
「いつから?」
「最近。そんなこと気になるの?」
潤が苦笑する。
「そんな気配を感じなかったので」
多分、気づいている人は少ないと思いますよ、と藤堂は言った。
それは潤にとって喜ばしい見解だ。
「まあ、そういうわけで、なかなか気軽に相手に関しては言えないんだよ。忘れるかそっと胸の内に納めるかしてくれると助かる」
「わかりました。胸の内に納めておきます」
藤堂はそう言った。
「ありがとう」
「こちらこそ、変に詮索してすみませんでした」
潤は苦笑する。
「まさか廉とそういう仲を疑われてるとは思わなかったから」
「多分、それを夢見ている……妄想している女子社員はそれなりにいると思いますよ。
こう言ってはあれですが、二人揃っているのを見るのは眼福って声を複数から聞いていますから」
「あは。複数か」
潤は苦笑して、グラスに口をつける。
想像するのは自由だし、かつて江上のことを好きかもしれないと思っていたこともあったから、拒絶感も少ない。尚紀にはとても聞かせられない妄想だが、そのような話題くらいは提供しても問題はないだろう。
ただ、その妄想の相手の片割れはもうすぐ父親になるのだが。
「社長」
藤堂がいきなりかしこまって呼びかける。
「なに」
気づけば、真摯で真っ直ぐな視線に射抜かれる。
「指輪は着けておきましょう?」
その言葉に潤が驚く。
「なんで?」
さっきの指輪、と藤堂が催促するので、ジャケットから取り出す。テーブルに置くと、藤堂はそれを指さした。
「もちろん、大事なものだからです。そして、社長のお兄さん……いや、番の方も着けていて欲しいと思っているのでは」
藤堂の言葉は、からかいが一切ない真剣なものだ。
颯真は「この指輪の誓いは二人だけが分かっていればいい」と言っていた。でも、独占欲もあると。
「どうだろう。さすがに、左手の薬指に着けるのは止められたけど」
「そりゃそうだ。それでも右に、というのは相手が居ることをアピールしてほしいからだろうと。着けて欲しくないのに指輪を贈る人間はいません」
「そうかな」
「そうです」
藤堂の言葉は自信に満ちている。
「もちろん、社長という立場では注目されると思うし、この指輪の存在に気づく人もいたと思います。でも、その程度の話を、雑談として気軽に聞いていい立場の人ではないんですよ、貴方は。
だから、もし俺みたいな馴れ馴れしくて遠慮がない人間が聞いてきたら、結婚を考えている人がいる、とだけ答えて、あとは黙っていればれば十分です」
おそらく突っ込んでくるのは俺以上の命知らずでしょう、と藤堂は言った。
「なるほど」
立場の違いを利用した藤堂の言葉は説得力がある。
潤は先ほどの指輪を右手の薬指にはめる。
「食えない感じですね。社長のお相手は」
おそらく藤堂は好意的な意味で表現したのだろうと思う。
「そう言われると、そうかも」
「……良かったですね」
「そう言ってくれるんだ」
それは潤の本音だった。胸に収めておくと言われて、颯真との関係を受け入れてくれるのだと思ったが、ここまで言ってくれて安堵しかない。やはり拒絶されることはしんどい。
「当然です。社長にはそういう人が必要ですから。
それに、生まれ落ちた時からの運命だったんですよ。アルファとオメガは、ほとんど本能の結びつきですからね」
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