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 潤は藤堂の言葉に苦笑した。 「みんな言うな、本能の結びつき」  その言葉に藤堂はそうですね、と軽く頷いた。 「兄弟というのは本当にレアケースだと思いますが、アルファとオメガなら分かるかと」  感覚的ですが、アルファとオメガの当事者には身に覚えがある。だから、彼らからは理解が得やすいかもしれません、と藤堂は真剣な表情で言ったのだった。  颯真との関係を藤堂に明かしたのは、ある意味賭けだった。  唐突に決断を迫られたから、勢いの部分もあったし、……初めは酷く否定された松也にも受け入れられたという事実も、さらに踏み込む勇気に繋がったのかもしれない。  アルファとオメガは、ほとんど本能の結びつきであるというのは、潤が知るアルファやオメガからよく聞く。藤堂の言うとおりなのだろう。藤堂に番がいるとは聞いていないが。  なにはともあれ、否定されなかったことで、安堵したことに変わりはない。  日曜日の昼下がり。  リビングのソファに寝そべって、そんなことをぼんやりと考えていると、突如メッセージアプリが受信を伝えてきた。 「潤さん、ドーナッツ好きですか?」  ホップアップに記されたのは、そんな唐突な問いかけ。送信元は尚紀だ。  甘いものは基本的に好きだ。  何だろうと思いつつ、潤は即レスで「好きだよ〜」と軽く返事をする。  すると、すぐに既読がつき、今駅前のドーナッツ屋さんに並んでいるので、買って持っていきますね、と返信が来た。  潤は驚いて飛び起きる。そしてそのまま電話をかけた。  尚紀はすぐに応じた。こんにちは〜とのんびり挨拶をしてくるが、潤は挨拶もそこそこに居場所を問う。 「尚紀、今どこ?」 「え。今、ラインしましたが、駅前のドーナツ屋さんの前です」  数ヶ月前に駅前にドーナツショップが開店し、連日賑わいを見せている。  しかし、かなりの人気ぶりで長蛇の列ができているのを見かける。しかも今日は日曜日。うららかな陽気ではあるが、それゆえに列も長くなっていそう。それに尚紀は並んでいるのかと潤は驚いたのだ。妊夫なのに平気か。 「廉も一緒?」 「いえ、廉さんはいなくて。一人で並んでます」  それは心配だ。 「じゃあ僕も行くよ。三分でいくから」 「えっ! 大丈夫ですよ」  そう尚紀は固辞したが、その言葉が届いた直後に潤は通話を切った。  潤はそのまま、自室で仕事をしている颯真に事情を話して部屋を出る。  きっちり三分後、潤は駅前の店先で発生している長蛇の列に並ぶ尚紀の隣にたどり着いた。 「突然連絡してしまってすみません」  そう恐縮する尚紀に、潤は手をぎゅっと握る。 「それは全然いい。廉がいない時に一人で行動する時は、遠慮なく僕を誘って。一人で外出して体調が悪くなったら困るでしょ」  そう潤が嘆くと、尚紀がすみませんとしゅんとした。 「僕が勝手に心配してるだけだから、謝らなくていいんだよ。でも、気が気じゃないから」  潤はそう苦笑して、ここのドーナッツ屋さんは気になってるから僕も便乗しようかな、と言うと、尚紀の表情がぱっと明るくなった。  先頭の方を見ると、順番まではもう少し。潤は尚紀を気遣いながら、一緒に並ぶことにしたのだ。 「本当は僕が並ぶからって言いたいけど、尚紀は嫌がりそうだしね」 「潤さんは心配性です。僕は大丈夫ですよ」  とは言ってもねえ、と潤は渋っていると、潤のスマホが再びメッセージの着信を知らせた。  送信元は颯真。  それに潤はスタンプを押して了解した旨を送るとスマホをパンツのポケットに入れる。 「廉が不在なら、尚紀をうちに連れておいでって颯真が言ってる。このあと用事がないなら、うちでお茶しようか」  そう潤が誘うと、尚紀の顔がぱあっと明るくなった。 「え、いいんですか!」 「だって、心配だもん。廉が帰ってくるまでのんびりしよう」  廉にはうちに迎えにくるように連絡してくれるって、と潤が言うと、尚紀は嬉しそうに頷いた。 「尚紀と会うのは久しぶりな気がするな」  メッセージアプリでは頻繁にやり取りをしているのだが、会ったのは久しぶりな気がする。実際に久しぶりで、おそらく江上家の夕食に呼ばれて以来かもしれない。 「そうですね! 実際にお会いするのは本当に久しぶりかも……。あ、誕生日プレゼントありがとうございました!」  アロマディフューザーは大活躍です、と尚紀は嬉しそう。 「頂いた柑橘系の精油はとてもリラックスできます。あと、颯真先生のお茶も美味しかった」  癒されて、疲れも吹き飛ぶ感じ、と尚紀は笑顔を見せる。 「実は、僕、ここしばらくずっとイライラしてて……。時々、廉さんに当たっちゃったりして。自分が嫌で、ちょっとダメな感じだったんです。  でも、潤さんから誕生日プレゼントをいただいて、颯真先生からのお茶をを飲んで、廉さんの近くにいたら、僕って甘やかされてるなぁって。  なんか、慰められた感じかも。身近に自分の誕生日を祝ってくれる人がこんなにいて、本当に幸せ者だなって実感しました」  尚紀がそう捲し立てる。その口ぶりが自己嫌悪から喜びへの心境変化をわかりやすく示しているようで、潤も嬉しくなるが……。 「尚紀はダメな子なんかじゃないよ。妊娠中って精神的にも不安定になるんだってね。気にしないで、廉に支えてもらって、乗り越えられたらいいよね」  そう言うと、今度は尚紀の目がキラキラ輝き出した。 「廉さんが、金曜日にびっくりするくらい早い時間に帰ってきてくれて。飲み会って言っていたのに……。聞けば潤さんに早く帰れって言われたって」  潤の気遣いは、偶然ながらも尚紀の不調時に被り、良い方向に働いたらしい。残業続きだった廉を、早く番の元に帰して良かった。 「廉には月曜日も休むように伝えてあるから。存分に甘えたらいいんだよ」  そう潤が言うと、尚紀は少し照れた様子で顔を俯いて赤面した。その反応と仕草が可愛らしく、気持ちがほっこりする。  しかし、思わぬ指摘が返ってくる。 「……潤さんも。お肌がツヤツヤしてますよね」  いきなり尚紀がそんなことを言い出したのだ。 「え」  潤の動揺など、尚紀はものともしない。 「今の潤さんを見てると、僕も幸せな気分になります」  でも、その尚紀の言葉が嬉しくて、潤は素直に礼を言う。 「うん。ありがとう」  やはり気づく人は、その些細な変化に気がつくのだ。 「その指輪……もしかして」   視線の先は右手薬指。 「うん。颯真から。いつも一緒にいるって」 「颯真先生かっこいい……。素敵です!」  尚紀の表情がふわっと明るく華やいだ。  たしかに、あの時の颯真はとても格好良くて、あの時のことが蘇り、潤もふわふわとした気持ちになる。 「やっぱり、惹かれ合うアルファとオメガは一緒にいるべきなんだと思います」  そう言い切る尚紀を、潤は微笑ましく見るのだった。

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