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「社長! 災厄は忘れた頃にやってきますな。とうとう佐賀ですか! あの男、どうしてました?」  その日の午後。  急遽相模原研究所から品川本社に呼び出された大西は、突如浮上した名前を災厄呼ばわりしながら社長室に入ってきた。いきなり相模原から呼び出されてたことはともかく、佐賀という名前が出てきたのが不快らしく、皮肉が止まらない。 「大西さん、気持ちが漏れ漏れですよ」  社長室で潤とともに大西を迎えた副社長の飯田は、そのように嗜めるが、彼とて「今更何しに出てきたんでしょうね」と先程まで辛口ぶりを発揮していたのだから、本音は大西とは遠くないところにあるのだろう。 「新年度早々、会いたくもない人間と会うものですね」  潤もそれに応える。普段であればこのようなことは言わないが、腹心の部下であれば本音も漏れるもの。  潤は大西の大移動を労い、先にソファに腰掛けていた飯田とともにソファを勧める。潤も、一人掛けのソファに腰掛けた。 「で、あの男はなんでまた社長の前に?」  大西の質問に、潤は「オルムの事務局長に就任したそうで、その挨拶でした」と返事する。大西は盛大に鼻で笑った。 「はっ、もともと賢くないとは思っていましたが、本当に愚かですなあ」  それに飯田も賛同する。 「能力的に組織運営は厳しいと思うのですが、そのオルムという団体も何を考えているのでしょうね」  その二人のばっさりとした反応に潤も少し慰められた気分になる。  ただ、その佐賀に言われたことを伝えると、盛大に渋い顔をされた。 「……社長はしばらく一人での外出を控えていただきたいですなあ」  大西がそう腕を組んで視線を流す先は、潤ではなく、江上。江上もそれに無言で頷いた。 「承知しています」 「そもそも、私はあまり一人で外出しませんけどね」  潤はそう言ったが、昨日だって一人だったでしょう、と早々に飯田に突っ込まれる。 「セキュリティがしっかりしたオフィスビルにも不審者が入り込む事態ですからね。昨日のような江上室長と別行動は注意が必要ですね」  前取締役を不審者呼ばわりする飯田の言葉に、大西も大いに頷く。 「やっこさんだって不起訴になったとはいえ、一度は逮捕されてますしな。いきなり危害を加えてくるようなことはないとは思いますが、警戒はしすぎることはない」  そう二人に畳まれ、最後に江上からも打ち込まれる。 「社長、忘れないでくださいね。貴方一度誘拐されかかっていますから」  昨年末のことを思い出し、そうだったと潤は観念した。 「佐賀が社長に語った話は、完全に脅迫ですから警察に相談しましょう」  飯田の言葉に江上が素早く反応した。 「承知しました。弁護士の先生と相談します」 「もう完全に我が社とは関係ない人間ですから、遠慮は不要です」  飯田はそう言い捨てた。 「それにしても、その佐賀を身内に迎えるとは。私としてはゾッとする話ですが、オルムという団体は相当思想的に先鋭化していますな」  大西が溜め息を吐く。  佐賀と思しき人物がオルムに出入りをしているという情報を聞いた時から、このような事態を無意識に懸念していたが、事務局長になるとは。  大西ではないが、あのまま消えてくれたらよかったのにと思う。しかし、佐賀は東邦製薬の大路と繋がっており、オルムの大口寄付元が大同東邦科学振興財団という東邦製薬の公益財団法人なのだから、情報を並べるだけでべったりだ。  今はそこに東都新聞社が系列テレビなどと共にグループでくっ付いている様子。  こちらは溜まったものではない。  潤は本題である、片桐から寄せられたオルムが主張する「適材適所論」を披露した。もちろん、大西や飯田、江上は初耳で、目を丸くするばかり。そして潤と同様に、一言「意味不明ですな」と感想を述べた。 「そんな無茶苦茶な論理ありますか。なぜ騙されるのか全くわからん」  と、大西などはご立腹だ。 「これは、対策が必要になりますね」  飯田も頷いた。 「ターゲットは、さしずめペア・ボンド療法でしょうなぁ」  東都新聞社の狙いは明解だ。年度末に大々的に連載していた「性差医療を問う」という連載記事で、最後にペア・ボンド療法を「パンドラの箱を開けた」と煽っていたのは記憶に新しい。  そこで要らぬ注目を浴びてしまったため、来月横浜で開催されるアルファ・オメガ学会で、ペア・ボンド療法の治験結果について、記者会見を開くことになった。  その件を含め、一般国民やマスコミに対して、ペア・ボンド療法の認知度を高め、正しい情報を広める活動を担うプロジェクトが動いている。  森生メディカルとメルト製薬、そして誠心医科大学の三者に、ピーアールエージェンシーを加えた四者で話が進められていると聞いているものだ。  森生メディカルからは、メディカル・アフェアーズの藤堂や加賀谷、広報からは香田、そして江上や飯田が参加したと報告を受けていた。 「ペア・ボンド療法はこれから発展する治療法ですから、その視点として中長期的な戦略は必要です。  直近ではあの忌々しい連載記事やマスコミへの対応、学会の記者会見での仕切りなどの対応に追われそうですが、中長期的はいわゆる疾患啓発で、ペア・ボンド療法とそれを必要とするオメガの患者さんが存在しているということを、一般……主にベータの人たちに広く知ってもらわねばなりません」  飯田がそう述べた。  とにかく、伝える先のベータの人々は、オメガの発情期もアルファのヒートも、番の絆も、その絆を失った時に襲われるオメガの喪失感も、人生において確実に経験することはないと分かっている。そのためにも「オメガへの理解と共感」がポイントになるという。 「とにかく、オメガの人々を身近に感じられれば良いのですけどね……」  何かいい方法はないものかと頭を練っている最中です、と飯田はそうため息をついた。  確かにそうだと潤も思う。 「どこまで行っても一般のベータの人たちには他人事ですからなあ……」  自身がアルファで番もいる大西には大いに共感するものがあるだろう。飯田もベータではあるが、森生メディカルの経営幹部である限りは、共感も理解もしている。  しかし、一般のベータの人々は、人生においてアルファやオメガとそう深く関わる機会はあまりない。オメガやアルファをもう少し身近に感じてくれたら、あんな適材適所論のような数の都合だけの乱暴な論理に惑わされる人も少なくなるのだろうに。  潤の脳裏には一つ妙案があるのだが、それは感情的に採用したくない。議論の俎上に上がるのも避けたいので、誰も気づいていないようにと祈るばかりだ。 「東都新聞の連載記事に対しては、残念ながら一発でひっくり返るような有効な策はないので、いちいち否定して抗議して反論していく必要があります。ただ、そうしていくことで少しずつオメガの人たちには知られていくのではないかと期待はしています。  来月のアルファ・オメガ学会が一つのターニングポイントですね」  その言葉に潤も頷いた。 「ペア・ボンド療法の具体的なデータがオープンになれば、こちらとしても方策が打てるかと。そこから記者勉強会を実施したり広告打つなどの前向きな対策を進められると考えています」  飯田はそのように報告した。

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