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「少し休憩しませんか」
飯田と大西を交えたミーティングを終え、退室した彼らを見送った江上が、少し疲れた表情を見せた潤にそう提案してきた。
大西と飯田とのミーティングを無理矢理スケジュールにねじ込んだが、潤の疲労まで計算して、優秀な秘書はきちんと休息時間まで調整してくれたらしい。
ありがたいなと思いつつ、「そうだね」と潤は頷いた。
江上がお茶を淹れてきますと退室すると、行儀が悪いけどね…と独り言を漏らしつつ、二人がけのソファーに横に寝そべり、身体の力を抜き腹の上で手を組んで天井を仰いだ。
多分、しばらく人は来ないから平気。
深呼吸をして目を閉じる。
これまでの約二ヶ月を思い返す。ことの発端は二月半ば。東都新聞社の社会部記者、西宮浩一が潤にインタビューを申し込んできたところから始まる。
いや、それより前か。と思い直す。
確か二月の頭。片桐が潤に対し、「オルムという団体をご存じですか」と問いかけてきたところから始まったように思う。オメガの人権や権利を主張する、ある種先鋭的な思想を持ちながら、背後にいるのはオメガを差別的に見る人々であったという、異様な団体の話。
自分などいかにも嫌われそうだなと思い、いやな予感に駆られて、江上に背後関係を調べてもらったところ、東邦製薬の気配と佐賀の影を見て、森生メディカルは関わらないと決めたのだが……。
その後、西宮の取材申し込みが分岐点だった。あの時、十分に調べたはずなのに、彼が佐賀と繋がっていたことが判明したのは、困惑だらけだったインタビュー取材の後。
そしてその記事は、当時注目を集めていたアルファの大学生が発情期のオメガの高校生を襲ったというショッキングな暴行事件と、アルファを狙ったオメガの少年らによる集団恐喝事件という、二つの横浜の事件にあたかも関連するかのような紙面構成で掲載された。さらに内容も恣意的で悪意さえ感じるものだったため正式に厳重抗議した。
その頃から、東都新聞社には不信感しか抱いていない。
西宮が籍を置く東都新聞社と、佐賀が出入りしているというオルム、そしてオルムに派手に資金提供する東邦製薬は繋がっているのだろうと想像はしていた。
昨日、とうとう佐賀が潤の前に姿を現した。よりによってオルムの事務局長という肩書を添えて。潤は驚きショックを受けたが、落ち着いて冷静になって考えてみると、こうやって背後関係が明らかになっていくのは悪いことではないと考えを転換することはできる。
そして、東都新聞社や系列局が必死に喧伝したことで、「ペア・ボンド療法」は多くの人に知られることになった。長期的な視点で見れば、治療が必要なオメガにも情報が届く可能性が高まり、それも全て悪い話ではないのかもしれない。
さらにいえば、今のところ、ペア・ボンド療法の印象を好意的なものに位置付け、一気に知名度が上ける、唯一ともいえる妙案を潤は持ち合わせている。
「お疲れ様でした」
そう言いながら江上が入室してきた。潤は身を起こす。
「社長がここでそんなことをされるのは珍しいですね」
伸びていた潤を見て、江上が苦笑する。確かにそうだ。
「悩ましい。ちょっと気分を変えたくて」
どうせお前しか来ないんだから問題ないだろ、と潤が言うと、確かにと江上も頷く。
「ただ、ちょっと他には見せられない光景ですね」
そう笑った。
「でも確かに悩ましい話でしたね」
「ペア・ボンド療法もアルファ・オメガ領域も下手な注目を浴びてしまってるしね」
どうぞ、と江上が入れたてのロイヤルミルクティを出してくれた。
「ありがとう」
潤が受け取る。江上は自分の分も持ってきていたようで、潤が座るソファの向かいに腰掛けた。
カップに口をつけると、潤の好みをすべて把握しているかのような紅茶の香りがふわりと広がり、さらにそこにミルク感のある絶妙な甘さが続く。それは颯真がいれてくれる味わいにも似ていて、潤は途端に嬉しくなる。
「……おいし」
にんまり笑ってそう言うと、江上がくすりと笑って、自分のカップに口をつけた。
「あなたは、わりとお手軽ですね」
「ふふ。ここまで僕の好みに入れてくれる人はなかなかいないよ」
ここ数ヶ月、江上とこんな時間を持つこともなかったなと振り返ると、少し貴重な時間に思えてくる。
「あのさ、尚紀は元気?」
「元気ですよ?」
この間会ったじゃないですかと江上は訝しげな表情を浮かべる。確かに尚紀と中目黒駅前のドーナツショップに一緒に並びお茶をしたのは週末のことだ。
「そうなんだけど。
……あのさ、尚紀のところに変な取材のオファーとかないよね?」
江上は頷いた。
「ええ、今のところは聞いていません。
ただ、メトロポリタンテレビからインタビューのオファーがあったとは聞きました。おそらく片桐氏でしょう」
江上は、片桐に対しては一定の信頼を置いているらしい。彼との情報交換にも寛容だし、それは番への取材にも当てはまるようだ。
潤も安堵する。片桐ならば、事情をきちんと含んでくれる。無理なことはしないだろう。
「尚紀を心配してくれてるんですね」
江上も気づいていたと潤も察した。ペア・ボンド療法の名前とその劇的な効果を広めるための妙案。しかも、アルファやオメガとの接触が少ないベータの人たちにも身近に感じてもらえるような理解と共感を伴って。
「本当は、モデルとしても有名な『ナオキ』を当事者として引っ張り出せば……」
江上の言葉に、潤は頷いた。
「著名人の告白は、理解と共感を得やすい」
しかし、尚紀には穏やかに過ごしてほしい。この騒ぎには巻き込みたくないので、潤はひたすら沈黙していた。
当事者である江上も同様だろう。
「尚紀は、片桐さんからの取材はどうするつもりなの?」
「思うところがあるようで、まだ返事はしていないとは聞いています。でも受けるとは思うので、内容は当然ですが、オンエアの時期なども少し配慮してほしいですね……」
潤も静かに頷く。
「賛成。受けて欲しいとは正直なところ思っていないんだけど、そこは尚紀の判断だから。でも、時期も時期だし、あまり大々的なことはしてほしくないね」
身重の尚紀の心の負担になることは、なるべく避けてほしい。心配だ。
それは江上も同じ意見のようで。
「本当に、この件に関しては尚紀が適任ですが。時期が時期なので、そこは賛成です。
ご心配をおかけしています」
「尚紀のことだし、当然だよね」
「塞ぎ込んでることもあるんで、また気晴らしに付き合ってあげてください」
そう江上が言う。潤はもちろんだよ、と頷いた。
「僕にできる気晴らしなら、いつでも喜んで」
出産予定は夏と聞いている。尚紀には無事に元気な赤ちゃんを産んでほしい。それまで穏やかな毎日を送ってほしいと、江上はもちろん、潤も思っていた。
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