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 潤さんにお願いがあって。付き合ってほしいところがあるんです。  尚紀からそんなメッセージが入ったのは、江上と話をしてさほど経たない頃。  江上が塞ぎ込んでいることもあるから、と言っていたので、潤は気晴らしに付き合ってほしいのかなと思った。    この間のドーナッツも美味しかったが、尚紀とはさらにいろいろな美味しいものや楽しいことをを共有したい。  体調が良ければ何か美味しいものでも食べにいく? 話ならいくらでも聞くよ、と潤は誘ってみたのだが、様子がいつもとは少し違っていた。  いつもは即既読がついて返信も早いのに、その時に限ってはすぐに既読がついたものの、返信は一日ほど経ってから。  本当に大したことではないのだが、なぜかいつもの尚紀らしさを感じられなくて、潤は違和感を覚えた。 「できれば、平日に。  横浜でお会いしたいんです。  お忙しいと分かってるのに、ごめんなさい」  絵文字もないシンプルなメッセージに少し不安を覚えて、潤はすぐに江上に連絡をとる。  もちろんこのメッセージの存在を彼も承知していたが、詳しいことは話してくれないのだという。尚紀は、自分の最愛の番にさえ明かしていない何かを、潤に話したいのだと察した。  となると、ことの深刻度は跳ね上がる。    潤はその場で江上に平日一日時間を調整してもらうことを依頼する。  尚紀が懸念するように忙しい身ではあるのだが、彼のために時間を作れないほど重要な案件が詰まっているわけではない。  ただ、調整は必要で、即……さすがに明日明後日にもというのは難しく、「早くて来週以降になってしまうけど、大丈夫?」と潤は尚紀に確認したが、彼は「大丈夫です。本当にお忙しいのに、ごめんなさい」と再び謝った。  謝罪の数とその一言一言の重さが、どうしてもいつもと違うように感じられて、潤は妙にそわそわした。  本当は明日にでも無理矢理わずかな時間を縫って会いたい気分だけど、尚紀の様子を伺うに、じっくり話を聞けるくらいの時間を取った方が良さそうな気がした。  江上の調整により、尚紀とは十日後の月曜日に会うこととなった。   「鋭意取材中! ぜひ楽しみにしていてください!」  そんなメッセージがSNSを席巻し、トレンドに「鋭意取材中!」というワードが踊った。  尚紀から連絡が入った数日後、東都新聞社が自社の紙面と公式SNSで「性差医療を問取材班による書籍版『格差の今を問う 性差医療最前線』を、初夏に発売すると発表した。  新聞連載の「性差医療を問う」をベースに、さらに広範囲を深堀りした内容で、多くの人々の「知りたい」欲求に応えられる内容とのこと。  現在取材班を中心に鋭意取材執筆中だそうだ。    そのニュースを聞いた時に、潤はもはやわずかな嫌悪感と、大きな懸念しか湧かなかった。先日の尚紀の表情が脳裏に浮かんだのだ。  あのニュースで傷ついている人は確実にいるのに、彼らはそれを平然と無視し続けている。あれがまた繰り返されるのかと思ったのだ。 「格差医療を問う」の書籍版の詳細な発売日はまだ明らかになっていない。ただ、来月の五月半ばには、アルファ・オメガ学会が開かれ、ペア・ボンド療法の治験結果が公表される。そんなことも計算においての「初夏」という時期なのだろうと想像はした。    東都新聞社の「性差医療を問う」という連載は、潤たちから見れば偏り具合も甚だしいものだったが、評価している人たちは意外といるようで、その後しばらくネットを中心に話題となり、拡散された。メトロポリタンテレビの片桐から、同業者のなかでも調査報道としては評価しているものもいると聞いていた。  さらに、東都新聞社の系列テレビ局が、この取材班の密着取材を行っているそうで、やはり書籍の発売と合わせて、地上波で放映されるらしいとの情報も流れた。あらゆる手を尽くして盛り上げようという意図が見える。  東都新聞社のそんな邁進ぶりに、「応援しております!」とエールを送ったのが、NPO法人オルムの公式アカウントだ。  それに対する周りの人間というのは結構いい加減なもので、「お、コラボが見られるのですね!」とか「鋭い切り込みを再び! お待ちしております」「ここに日本の良心がある」などと、匿名であることをいいことに言いたい放題で、日頃の鬱憤を発散していそうな過激な声もあった。 「ありがとうございます! 報道機関として皆さんの知りたいにお応えするとともに、権力とも戦ってゆきます!」とその取材班が反応し、多くのイイネ!を獲得しているところまで見てしまい、潤はうんざりした気分になった。  SNSというのは、とかく自分の半径数メートルしか見えなくなるものだが……と、吐息ばかりが漏れる。  一方、そのような盛り上がりを苦々しく見ている現場の医療関係者もいるようで、森生メディカルにはMRを通じて苦情も寄せられた。  こちらがどうにかできるわけではないのだが……。  さらに、その翌週の半ば、オルムがプレスリリースにて「第二性別社会貢献度調査」なる調査結果をまとめたことを発表した。  NPOが実施するには意外なほどに大規模な調査らしく、それも手伝って大きくニュースにも取り上げられた。  全国から二十歳以上のアルファ、ベータ、オメガのおよそ二万人を対象にしたネットによるアンケート調査だ。それぞれの年齢や性別から始まり、職業経歴学歴、家族構成、年収や資産など、かなり詳細な部分までまとめられており、母数がそれなりに大きいだけに、多数派のベータだけではなく、割合が低いアルファやオメガにもある程度の信憑性のある調査結果になっているらしいというマスコミの報道を目にした。  この調査でまず注目されたのは、オメガを対象とした部分。アルファやベータと比べて就業率が低く、年収も低い傾向。しかし、出産回数の高さが際立っていた。  それでも報道によると、ここ数十年でオメガの社会進出が進み、就業率が上昇し、出産回数は少しずつ下がっているという指摘もあるとのこと。  オメガと取り巻く環境は変化している中、アルファと番契約を結んだオメガは特に就業率も年収も低いが、出産回数は他の性に比べて多いという結果だった。  多くの人々が肌感として認識していたものが、目の前に詳細なデータとして突き出された形だ。  貴重なデータが明らかになりましたね、と地上波のニュースでも話題になった。  しかし、オルムではこの膨大なデータを使って金儲けをする気はないらしく、求められれば無償でデータを提供すると発表した。  データ元を明らかにすれば使用も加工も自由という大盤振る舞いの方針を示し、それがさらに話題を誘う。普通はこのようなデータは高額で取引きされるものなのに、その無欲な姿勢が世間には好意的にとられ、歓迎された。  ……しかし、データが実質無料となれば、その拡散力は大きなものになる。  東都新聞社とオルムが投じる波紋を、世間は少しずつ、そして確実に感じて反応しはじめている。それが、アルファ・オメガ領域だけでなく、広くオメガの人々にどう影響を与えることになるのか。そんな風向きの変化を、潤は少しずつ感じていた。

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