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「シュウさんは、僕たちよりはかなり年上で……穏やかで優しい人に見えました。夏木は亡くなったとき四十代だったと思うのですが、それより少し下かなって感じで。でも、夏木が死んだことで、身体と心のバランスを崩しました」
番がいないのにやってくる発情期を越えるたび、憔悴し身体を弱らせていくのを心配しながら尚紀はしばらく世話をしていたという。
「僕がシュウさんと一緒に暮らしていた頃は、彼は在宅で翻訳の仕事をしていていました。でも、夏木が亡くなって、みるみるうちに身体を弱らせて、そのうち仕事もできなくなって……」
尚紀は彼が弱っていくのをずっと見ていたのかと思った。
「あまりに体調が悪そうだから、せめて病院で診てもらおうって、何度言っても、健康保険に入っていないからと拒絶されて。
僕は、何もできなかった」
口調から尚紀の強い後悔の気持ちが滲んでいる。きっと、何もできなかったわけではなかっただろうに……。
「夏木が死んでから、シュウさんはずっと苦しんでいました。僕には、項に噛み跡は残ったけど、シュウさんほどにはひどい影響は残りませんでした」
ただ、尚紀だって苦しんでいたことを潤は知っている。柊一の苦しみは、それ以上であったということなのだろう。
「僕は、本当の意味でシュウさんの辛さをわかってあげられなかったのに、そんな彼に最善を尽くしたと言えるのか。
……今でも思い出すのがしんどくて、自信がありません」
「尚紀……」
潤は何も言えない。尚紀を慰めたいが、何を言っても言葉が上滑りしそうな気がした。
尚紀の柊一への後悔があまりにも深すぎる。
「僕は、廉さんと再会して、本当に良くしてもらいました。他のアルファの番だったにも関わらず、病院に連れて行かれて、颯真先生と引き合わせてもらえて。颯真先生の診察を受けて話を聞いてもらえて……身体が楽になると、少しずつ生きる気力も湧きました。
だけど、それを僕はシュウさんにしてあげられなかったって思うんです」
潤はただ、尚紀のその言葉に耳を傾ける。
「今は医学も進んでいて、番を失ったオメガの人生は苦しみだけではなくなった。颯真先生のように番を失ったオメガの治療に熱心な先生もいるし、相手がいればペア・ボンド療法を受けて新しい人生を歩み直すチャンスもできた。
シュウさんを看病している頃、そんなふうに世界が変わっていることを、僕は全く知りませんでした」
ならば仕方がないことだと、思わず言ってしまいそうになるのを止める。
「僕にだって、調べることはできたはずなんです。なんでそんな簡単なことをしなかったのかなって。
いや、僕たちの間は限界だったから、知っていたとしても、シュウさんを説得できなかったかも……。それでも、そうしていたら。……こんな後悔は残らなかったのに」
シュウさんのことじゃないんです、自分に後悔があるってだけなんです、と尚紀は自嘲的に笑うが、潤はそんなふうには全く感じなかった。
こちらが心配になるほどに、尚紀は自分を責め追い込んでしまっている。
そこには確実に、柊一を慕う気持ちがあった。
「シュウさんは尚紀に助けを求めていた。放っておいて欲しいなんて絶対に思っていなかったよ」
潤は感情を込めずに冷静な口調で指摘した。
尚紀がそのまま自分を貶めるところまでいってしまいそうで、心配だった。
「……シュウさんとの関係が悪化したのは、僕が本当に子供だったためです」
尚紀がそう目を伏せた。
「シュウさんと僕たちは一緒に暮らしていたけど、それなりにうまくやっていたと思っていたのは僕たちだけで、シュウさんはそんなことを思っていなかったのだと思います。
僕はどんなに彼に世話になったといっても、結局は彼の本音に触れることはできなかった」
僕が、夏木を分け合うオメガだったから、と尚紀が言った。
「夏木のことを一番愛していたのは、シュウさんだった。シュウさんにとって夏木は、唯一の番だったのだと思う。
だから、奥様を迎える時も、僕たちが一方的に番にされて、あのマンションの連れて来られた時も、きっととても複雑な気分で、本当なら僕たちの面倒なんて見たくもなかっただろうし、番を独り占めしたかっただろうし……。
今では普通にそう思い至りますが、当時、僕は子供で、夏木を独占したいなんて気持ちがあることを思いつきもしなかった」
尚紀は口を噤む。わずかに沈黙が生まれた。
「……僕は、夏木のことが嫌いだった。シュウさんの本音を察するほど聡い子供でもなかったし、そういう部分を気遣う余裕もなかった。
シュウさんの好意は素直に好意として受け止めてしまったし、頼りにしてしまった。
でも、番を失って、体調にも気持ちにも余裕がなくなって、ある時シュウさんからそんな本音を告白されました。……ショックでした」
「彼の本音を知らされて、傷ついたんだね」
「……僕は言い訳できないくらい、子供でした。
でもそれから、会うとそんな感情をぶつけられることが増えてきて……」
余計に後悔が強く出ているということか。
潤は思わず、隣のベンチに座る尚紀の手に自分の手を乗せた。
「潤さん」
涙で濡れた尚紀の顔を見つめる。
「よく頑張ったね。側から聞いていても、尚紀はその時にできた最善のことをしたと僕は思う。一人でシュウさんを支えた尚紀を、僕は讃えたい」
尚紀の大きな双眸からぶわりと大粒の涙がこぼれ落ちる。
潤は尚紀を抱き寄せる。ジャケットが涙で濡れると気にしてか、尚紀が顔を離しかけるのを、後頭部からぐっと胸に押し付けた。
「尚紀の後悔はわかるけど、シュウさんも本当はそこまで知られたくはなかったと思うよ。すごく年下で、新参者の尚紀に嫉妬してるなんて言いたくなかっただろうし、年長者として余裕を見せたかったと思う。マウントを取りたいってやつかな。だから、身体が辛くなって精神的に余裕がなくなるまで一言も言わなかったんだろう。
それが、シュウさんの矜持だったんだよ」
一気に潤は捲し立てる。尚紀は胸のなかで、静かにしゃくりを上げている。
「尚紀がずっと慕っていた人だ。とても優しい人だったんだろう。
その人がひた隠しにしていた本音を、最後になって尚紀に伝えて、シュウさんは満足したかは僕には分からないけど……」
ひょっとしたら後悔しているかもしれないなと、潤は思うがそれは胸に収める。
「尚紀のことをそこまで恨んでいるとは思えない。僕が聞く限り、シュウさんはとても優しい人だったようだから……」
尚紀は頷いている。口には出さないが、潤の言葉は彼の胸に届いている様子だ。
「尚紀、シュウさんのその本音は忘れた方がいい。いや、それは無理かな〜。でも、蓋をしていい記憶だと僕は思う。考えなくていい。シュウさんは優しくて、頼りになる兄みたいな人だった、という記憶のまま、尚紀の中で生きたいと、彼は願っていると思うよ」
もう自分を責めなくていいんだ、と尚紀の耳元で囁く。
顔を伏せる尚紀の嗚咽が、激しくなる。
そして潤の胸のなかで、尚紀はしばらくそうしていた。
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