183 / 226
(92)
颯真の車は中目黒を出て首都高に乗り、都内を横断、羽田方面へ。颯真に「川崎経由」と言われて、車窓に大井競馬場や昭和島が見えてきて、さらに羽田側から大師橋を渡れば、その目的地はおおずと分かる。
川崎大師だ。
「もう四月だけど、初詣しておく?」
そう潤が尋ねると、だから俺は今年初詣してないんだって、と颯真が苦笑した。
「俺はお前と毎年の恒例をしたいんだ」
毎年の恒例とは、潤と颯真、江上の三人で一年の厄除けを願い川崎大師を詣でること。
潤と江上が就職した頃からだろうか、毎年新年三が日に川崎大師に初詣に行くのが恒例行事となった。今年も潤は江上から「恒例行事」として、一月三日に川崎大師に誘われ、尚紀と三人で初詣に行った。
とはいえ、あの時は何かを楽しんだという記憶はほとんどない。合流する前は颯真が来ていないか緊張しながら待ち合わせ場所に赴き、来ていないことを安堵して半分緊張しながら尚紀と話をしつつ駅前から人波に乗って初詣の参拝を済ませた。その後、江上の有無を言わさぬ勢いに、お守りも破魔矢もお御籤もスルーして露店を通り過ぎて、その場を後にした。
一方、颯真はずっと仕事で病院に詰めていたらしい。時に救急外来を手伝っていたという話も聞いたから、初詣をする暇などはもちろんなかった。
「僕も年明けは廉と尚紀に連行された感じだったから。改めて参拝、いいね!」
そう言った。
関東の三大厄除け大師とも言われる川崎大師は土曜日の昼間から結構な人出がある。
颯真が近くのコインパーキングに車を停め、京急線の川崎大師前駅から続く表参道に合流する。
人出はあると言いながらも、毎年の初詣の時の満員電車のような人波に比べればガラガラだ。九割減といってもいい。当然、表参道に並ぶ露店もほとんどなく、あの時のお祭りのような華やかさはもちろんない。
同じ場所で随分と印象が異なるが、それでもゆったり散歩を楽しめるし、颯真と並んで歩けるのは何をしなくても嬉しい。さらにその気分を上げてくれるのは、先ほどから颯真が手を繋いでくれていることだ。指を絡ませた恋人繋ぎは少し恥ずかしいが、顔がニヤけてしまうくらい幸せな気分になる。
「えへへー」
初詣と比べて九割減くらいの人出で露店は畳まれていても、川崎大師名物のくず餅屋さんは通常営業中だ。ふとくず餅が好きな茗子の姿を脳裏にに浮かべる。
「さすがに実家に寄る暇はないな」
そんな潤の思考を読んだ颯真が言い添える。
「だよね。っていうか、なんで僕が考えていることがわかるのかな」
「くず餅っていったら母さんだろ」
颯真の即答に潤も頷いた。
「そうだね。でも、今年は僕も買う余裕がなかったから」
「母さんには今度買っていってやろ」
颯真の言葉に潤も頷いた。
トントントンという飴切りのなじみの音を脇に門前町のお店を冷やかしながら足を進めると、前方に見えるのは金剛山と書かれた門。赤い提灯が提げられた門をくぐると目の前に大本堂がそびえる。
手水で身を清めてから、大本堂に向かう。大きな本堂のなかでは絶えず護摩が焚かれ、多くの人が厄除け祈願をしている。
潤も颯真と並んで、賽銭箱に小銭を入れて手を合わせる。
今年の初詣では、颯真とのこともあり混乱していたから安寧な生活を送れることを願った気がする。去年の初詣は颯真に素敵な番ができますようにと願った。
今はその両方が叶った気がするので、感謝の気持ちを込めて手を合わせた。
「颯真は何を願ったの?」
潤がそう問いかけると、颯真は「感謝の気持ちを」と言った。
「俺は大師様に毎年潤と結ばれますようにとしか願ってなかったからな。それが叶ったから、今日はお礼参りだな」
颯真の言葉に潤も頷いた。
「僕もだ。颯真に素敵な番が現れて、穏やかな生活を送れてる。今日はお礼参りだと思った」
同じことを考えていたんだね、と潤が言うと、颯真も頷いた。
「今年はお御籤引いた?」
大本堂の脇に、お御籤や札の授与所を見かけた颯真が聞いてきた。
「ううん。今年は全部スルーでそのまま武蔵小杉に連行されたよ。有無を言わさず」
そうおどけて言うと、廉にやられたなと颯真も笑った。
「だからさ、引こうよ」
潤はそう言って硬貨を納め、かしゃかしゃと御籤箱を振り、御籤棒を取り出す。
表示された数字に沿って引き出しから御籤箋を取り出した。
続いて颯真も。
二人で一緒に開いてみる。
「あ。僕、吉だ」
颯真の手元を覗き込むと、彼は末吉だった。
「去年もおんなじ感じだった気がする。末吉と吉ってどっちの方がいいんだろう」
「そりゃ、吉のほうがいいんじゃないか?」
そんなことを話しながら颯真の御籤箋を覗き込む。
「願い事。始め大いに悪しきされど心正しき人ならば末よし……。心が正ければ叶うってことかな。潤は?」
「冥助ありて意外に願望を成就すべし。冥助ってなに?」
「冥助って、神様や仏様の見えない助けってことだな」
「へえ……」
潤の反応に、颯真が苦笑を浮かべる。
「お前、そういうところはドライだよな。信じてないのが丸わかり。なんでお御籤引くんだよ」
冥助という言葉に少し距離を置いた反応がバレたようで、颯真に揶揄われる。
「だってお御籤はやっぱり気になるじゃん。でも、簡単に大吉は出ないね」
「ここは凶が多いらしいから、吉でも末吉でも儲けものじゃないか」
「そっか。じゃあ持って帰ろ」
そう言って二人で財布に御籤箋をしまった。
「そういえばさ、去年のお正月は廉がここで大吉引いたよね」
潤はふとそんなことを思い出す。颯真も思い出したようで、そうだったなと頷いた。
「恋愛運がすごーくよかった記憶があるんだよね。もうあの時に尚紀と出会ってたのかなあ」
颯真に聞いても仕方がない話だが、素朴な疑問。颯真の前だと、何も考えずに思ったことそのままが口をついて出てしまう自分が不思議だと潤は思う。少し浮かれているのかもしれないと思った。
「俺のところに尚紀のことを相談しにきたのは、あれより後だったなぁ。
今考えれば、あのお御籤は結構当たってたよな。俺は確か相手に意識がないから待てって書いてあった気がする」
「相手が意識ないって、僕のこと!」
「あはは。だよな。俺はそう思ったぞ」
「もー」
潤は颯真の肩をばしばし叩いた。今から思うととても恥ずかしい。
「あー。僕もここで大吉引きたかったな」
潤が呟く。ここで大吉のお告げを手にすれば、颯真との困難が多いこの関係も、廉と尚紀に続いて、幸せを掴むことができるような気がした。
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
1年半前に潤と颯真と廉が楽しく初詣をしたのは「閑話:年初の恒例」、年初に潤が廉に武蔵小杉まで強制連行された初詣は2章6〜7話あたりの話です。
ともだちにシェアしよう!