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 二人で休憩した後。  身支度を整えて階下のレストランに予約した時間に向かうと、エントランスでメートル・ドテルが出迎えてくれた。 「森生様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」  一階のフレンチレストランも少しクラシカルな印象の内装で、ここが奥鎌倉だとは少し思えないような趣。  ドレスコードはないとは聞いていたが、二人ともシャツにジャケットを羽織るような装いで、密かによかったと潤は思う。  メートル・ドテルに案内されたのは、店内奥の個室だった。店内のクラシカルな雰囲気をそのまま閉じ込めたような空間で、まるで貴賓室のような雰囲気だ。 「夜のお食事は、こちらのお席にてご用意させていただきました」  そう言われて、颯真はピンときた様子。 「オーナーが?」 「はい。今は別の店舗にいるのですが、後ほどご挨拶に伺うと申しておりました」 「わかりました。ありがとうございます」  四人がけの広めのダイニングテーブルに腰掛ける。  すでに颯真が食前酒を抑えていたらしく、おしぼりに続き、すぐに細長い食前酒用のグラスに淡い色のスパークリングワインがそそがれた。  目の前の颯真と目が合った。なんか、少し照れくさい。二人でグラスを手にとると、乾杯とグラスをかちあわせた。 「誕生日おめでとう」 「お互いにね。おめでとう」  忘れかけているが、今日は互いの誕生日祝いとしてのお泊まりデートだった。  口に含むとフルーティーな香りと炭酸。そしてアルコールの刺激。  淡い黄色い液体を見て、おいし、と呟くと颯真もそれはよかったと頷いた。  潤がすっきりとした後味のスパークリングワインを好むのを、もちろん颯真は知っていて、指定したのだろうと思う。  アミューズは一口サイズのタルトで、キリッとしたスパークリングとの相性が最高だった。レストランが売りのホテルであるという意味が、この一皿で十分に分かった。 「おいしいね!」  潤は素直に笑みを浮かべる。目の前で颯真も頷いた。  続いて前菜。  オードブルの盛り合わせだが、これもすべて美味しくて、すでに前菜だけで大満足だ。  スパークリングワインを早々に空けてしまった颯真はそのまま赤ワインに移行した。父親の和真もそうなのだが、森生家のアルファはどれだけ飲んでも顔色があまり変わらない。本当にアルコールには強い。  そんなふうに思っていると、颯真が少し真剣な表情で潤の名を呼んだ。 「ん? なに?」 「すり合わせをしておきたい」  潤がナイフとフォークを置くと、目の前の颯真が手を伸ばし、潤の左手を示した。 「それ。この指輪の意味だ。今日、瑤子さんに俺たちの関係を告げても構わないと思っていると、俺は受け取った。それでいいか」  颯真のストレートな問いかけに、潤は頷く。  たしかにいつもは右手の薬指に着けている颯真から贈られたプラチナリングを、今日は左手の薬指に着けている。  颯真に、この関係を、身内も同然である瑤子に話す覚悟がついているかと問われるのは当然だった。  しかしそれは、颯真も同じことで、今朝出かける時には、彼のリングは左手薬指にあった。潤はそこで気がついて察し、それに倣い同様の場所に着けた。 「颯真がそのつもりならば、僕は構わない」  いつまでも瑤子に黙っているわけにはいかないと思っていた。  そしていずれ知られる事実であるならば、自分たちから直接話したいと、ぼんやりとだが考えていた。 「いずれ知られたときに、どう転んでも言わなかったことを詰られるしな。  ……ひょっとしたら、俺は気がついてるかもって思ってるけど」  颯真の言葉に潤は驚く。 「まさか」 「だって、もし母さんが相談していたら?」  颯真が潤を番だと確信したのは十代の頃で、その時にすでに両親に、弟は自分の番だと宣言していた。  だから、思い悩んだ母茗子が、そのことを瑤子に相談したなんてことがあってもおかしくはない。  潤は唸る。 「それはありうるね」  超多忙な二人が、この二ヶ月の間に連絡を取り合うのは難しいだろうと思っていたが、そこまで昔まで遡れば、可能性としてはなくはない。  ただ、もしそうであったとしても、瑤子は変わらなかった。この十年の間、自分達を愛し気にかけてくれたことに違いないと潤は思う。 「なにか心配なことでも?」  潤が颯真に問いかける。 「いや、俺が心配してるのは、母さんたちと俺たちの間で、瑤子さんが板挟みにならないかなって……」  颯真の意外な言葉に潤は驚く。潤は、瑤子がこの関係を受け入れてくれるかどうかが気になっていたというのに。  両親は反対しているし、潤と颯真は番いたいと思っている。それは確かに対立する関係性になり、間に立てば板挟みだ。 「……颯真は、優しいね」  自分の番が見せる優しさが嬉しい。そして、その余裕に安堵する。  颯真はどんな時でも大切な人を気遣える人だ。 「どう思う?」  颯真に問われて、潤は少し考える。  これまでそんな発想はなかったが……。 「でも、瑤子さんは自分の意見をきちんと持ってる人だから、大丈夫な気がする。僕たちの関係を否定するにしても認めてくれるにしても、きちんと自分の意見を言ってくれると思うな」  そうか、と颯真は言った。  潤の言葉に納得した様子。幼い頃から付き合いのある彼女の性格を改めて思い返したようだった。 「うん、はっきり言う人だよな」 「だから大丈夫だと思う。  そしてもし、反対されても、父さんと母さんと一緒の立場だもの。どうにかなるよ」  潤はあえて、そう軽く言った。  コースはスープ、ポワソン、グラニテと続く。どれもすばらしくて、二人で舌鼓を打つ。 「美味しいね!」  このオーベルジュが人気で予約がなかなか取れないというのが非常によく理解できる。  潤もスパークリングから白ワインに移り、アルコールと料理のコンビネーションを楽しんだ。  そして、メインの仔牛のローストを完食したそのタイミングで、個室の扉がコンコンとノックされたのだった。 「はい」  颯真が反応すると、扉が開いて、瑤子がやってきた。  黒いスーツを纏い、明るい茶色い髪は綺麗に整えられ、まとめられている。首元には明るいカラーのスカーフ。シックな装いながらも、彼女自身から発散されるパワーがあった。 「颯真、潤!! いらっしゃーい!! 元気だったぁ?」  いきなり太陽が入ってきたような明るさだ。  潤にとって瑤子というのは、そのようなイメージの人物だった。いつも元気で明るくてパワーがある。そして多少のことはノリで押し切られる。  だからそのテンションがあまりに懐かしくて嬉しくて、思わず颯真と目が合ってしまった。  颯真が振り返って立ち上がる。 「瑤子ちゃん」  すると、瑤子は嬉しそうに、相変わらずの男前ねえ、と満足げに呟く。 「この間、レストランの方に来てくれて以来よね」と瑤子。 「先々月かな。俺も潤も元気だよ。瑤子ちゃんも変わりなくてなにより」  すると瑤子は笑う。 「わたしは元気よ。潤もいらっしゃい」  潤も立ち上がる。その姿を見て、瑤子がボヤく。 「相変わらず、もう……あんたもイケメンねぇ」 「こんばんは、瑤子ちゃん」  潤が緊張しつつ、照れを隠しつつそう挨拶すると、瑤子は少し驚いたような表情を最初に浮かべ、そして、ふふ、と嬉しそうに潤を抱き寄せた。 「もう〜なんて可愛いの! この子は!」    三十路の男を抱き寄せて呟く言葉ではないが、瑤子の前で何を言っても無駄なので、潤は苦笑だけ浮かべる。 「潤が瑤子ちゃんって言ってくれるなんて、なんていい日なのかしら」  瑤子は、そのように嬉しそうに笑みを浮かべたのだった。   ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ 母茗子の親友、真木瑤子さん。3章24話以来の登場です。

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