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瑤子が濃度高めな再会の喜びに浸っている間、ウエイターがテーブルの上を淡々と片付けていく。
抱きしめられているのがちょっと恥ずかしい潤はみじろぎしたが、「慣れてるから大丈夫よ」と瑤子にいなされてしまった。
「確かに。スタッフの人たち、オーナーの奇行に慣れすぎだろ」と、淡々とデザートの準備をする姿を見て、颯真も苦笑する。
確かにと、潤もつられて笑った。
すると、ウエイターも楽しそうに笑い返してくれた。格式が高そうな、きっちりとした雰囲気のフレンチレストランだが、オーナーの人柄が伝わるような温かさがある。
ようやく瑤子から抱擁を解かれると、潤は持参していた紙袋を瑤子に渡した。シンプルな白地に店名とロゴが描かれた紙袋だけで、瑤子は中身を察したらしい。
「わぁ! 本当に!? 嬉しい。ありがとう〜! もうこれ、恋しかったのよー。茗子に頼んで送ってもらおうって思っていたくらい!」
そこまで熱望されていたのかと思うと、わざわざ寄って購入してきた甲斐もあろうというもの。狙いが的中して、ますます気分もいい。
二人のテーブルにはすでにデザートの用意がされていて、それぞれカップには、ホットコーヒーとロイヤルミルクティが注がれていた。
運ばれてきたのは、チョコレートケーキにフルーツソースと甘酸っぱそうな木の実が添えられている。
潤も颯真もチョコレートケーキは大好きだ。すると、スタッフが気を利かせて、潤の隣の席に、コーヒーカップを置き、コーヒーを注いだ。
「お身内と伺っておりますので、オーナーもこちらで少しお話でもして、休憩をとってください」
先ほどエントランスで出迎えてくれたメートル・ドテルがそう勧めてくれ、ごゆっくりどうぞという言葉と共に、個室の扉が閉じられた。
「どんだけ激務なの?」
そのテキパキとした配慮に思わず潤が苦笑しつつ問う。瑤子も笑いを浮かべて、朝から全店舗を回ってきたのよと言った。
鎌倉を中心にレストランやこのようなオーベルジュをいくつも経営していると聞いているので、朝から全店舗を回るとなると、かなりの体力が必要そう。
「じつは朝も昼も食べてないわ」
月に一度、全店舗を回っているらしく、そういう日は朝からドタバタしていてオフィスに戻る余裕も、食事をする余裕もないらしい。
「俺が知ってる経営者は、みんな働き者だよな」
颯真が自分の席に着いてしみじみ言う。自分の目の前に並ぶ二人だけでなく、颯真にしてみれば身内が皆経営者なのだから、そうだろう。
潤と瑤子も並んで席に座る。
瑤子は嬉々として、手土産として持参したラムケーキを開けた。チョコレートがコーティングされた、ドーム型のケーキを取り出して、そのまま頬張った。
「うん、おいしい」
瑤子の目が輝く。これが今日初めての食事なら、本当に格別だろうなと潤も思う。
その満足げな表情に、二人は嬉しくなった。
瑤子がラムケーキ二つを立て続けに平らげ、コーヒーを味わう頃には、潤と颯真もデザートを完食していた。ベリーソースの甘酸っぱさとチョコレートの濃厚さがマッチした、濃厚だけど食べやすいケーキだった。
「本当に美味しいお店だね」
潤がそう素直に褒めると、瑤子も、美味しいものをたくさん知ってそうな潤にそう言ってもらえるのは嬉しいと、声を弾ませた。
「今度、この近くにプチホテルを開業するのよ。その準備が忙しくて」
「へえ、景気がいいことで」
瑤子の言葉に颯真が反応する。
「閉業されるホテルとご縁があってね。うちで引き取ることになったのよ〜」
もう準備が大変でさーと言いながら瑤子は笑う。太陽のような明るさは揺るがない。本当に大変なのだろうが、こういう激務を平然と受け止めるような、ある種の情熱と鈍感さが、ビジネスを進めていく上で必要な時があるのだろうと潤は思った。
それにしても、と瑤子が話題を変えた。
「まさか、ここに兄弟で泊まりに来るとは思わなかったわー」
家族で宿泊というケースは多いだろうが、もうすぐ三十歳になる兄弟二人で互いの誕生日を祝うために宿泊するというケースはなかなかなく、どこか違和感を誘うのだろうと、潤は感じた。
それは言葉として表に現れることはないが、たとえ仲が良い兄弟で通していたとしても、目立つだろう。
「颯真から予約したいって話を聞いた時は、とっさに潤も一緒? って考えたけど、イヤーまさかね〜と、思っていたわ。
颯真は恋人でも連れてくるのかしらって、少し期待していたんだけど」
瑤子の言葉は無邪気だ。
「そっちか」
颯真は苦笑した。潤は少し気遣うような笑みを浮かべて、颯真を見た。
「瑤子ちゃん」
その颯真の表情は穏やかだ。しかし、声にはやっぱりいくらかの緊張感もあって、潤もそれにつられて背筋を伸ばした。
「実はそれなんだけど。
俺は、潤とお互いを唯一として、番いたいと思ってる」
瑤子は、何を言われたのか分からなかったように見えた。何も反応はない。
「俺たちは、お互いを番だと認識しているんだ」
「それは……颯真。あんたと潤が、アルファとオメガとして、番うってこと?」
瑤子のシンプルな問いに颯真は頷く。
「そう。俺の番は潤だけだし、それは潤も同様だ。お互いで確認し合っている」
「颯真、あんたは潤を愛してるの? その……、家族ではなく、恋愛感情として」
「愛してる」
颯真が即答する。
「俺が一生をかけて幸せにしたい、なにより大切にしたい存在だ」
「瑤子ちゃん。僕もだ」
潤も口を挟む。
「僕も颯真を愛してる。双子の兄で、片割れだけど、僕にとってはパートナーとして一生を共にしたい、幸せにしたい人なんだ」
双方から畳み掛けられ、瑤子は少し困ったような、困惑した表情を見せた。
「とはいってもねぇ」
「僕の番は、誰がなんと言おうと颯真なんだ。これは僕の本能の選択であり、意志だ」
「あんたたち、重々わかっていると思うけど、アルファとオメガといえど、兄弟よ? しかも双子の」
瑤子の言葉に颯真が頷いた。
「もちろん」
「いい大人なんだから、それがどれだけ異様なことか、分かるわよね?」
瑤子の追求は颯真に向く。こういう時に、いつも矢面に立つのはアルファなのだ。
「うん。だから、子供の頃からずっと悩んでいた。この選択が容易に選べるものではないことくらいは、もちろんわかっている。
でも、子供の頃から俺の番は潤だと確信を持ってた。親にも反対されて、他に目を向けろとずっとプレッシャーもかけられてきた。でもそこは変わらなかった」
瑤子が吐息をつく。が、何も言わない。
「それに潤がどうだろう、と。兄として、片割れと慕ってくれている弟が、果たして俺をアルファとして見てくれるのだろうか。兄弟間のインセスト(近親相姦)は、生物学的にも普通ではない。正直難しいと思っていた。……気持ちを通わせるなんて、それこそ奇跡に近いと思ってた」
颯真は潤を見る。その目はとても澄んでいて、潤は綺麗だと感じた。
「でも、潤は俺を選んでくれたんだ」
颯真は瑤子に視線を流す。
「俺は、潤を手放すつもりは一切ない」
念を押すように、静かに、だが力強く言い添える。
「潤と番わない人生は考えていない」
颯真は言った。その言葉の畳み掛け方に揺るがない意志が込められているように聞こえ、潤の胸が熱くなった。
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