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 潤はそんな話を全く聞いたことはなかった。 「母さんに婚約者?」 「父さんではなくて?」  潤と颯真は驚いて互いの顔を見合わせる。 「……ということは……」  どういうこと? とそう呟くと、颯真が受け取る。 「婚約を破棄して番ったってことか」  すると瑤子が頬杖をついて楽しそうに言った。 「まあ、結果的にはね。その婚約者さんと結ばれる前に、番契約を交わしてしまったの」 「えー!」 「えっ!」  潤と颯真の、驚きの声が思わず揃う。 「ちょっと待って」  潤が動揺する。 「瑤子ちゃん、どういうこと?」  颯真が先を促す。  茗子に婚約者がいながら、結ばれる前に父和真が茗子を番にしたとは、あまりに予想外の話で驚く。 「父さんと母さんの間に合意はあったんだよね?」 「潤、落ち着け。まずは瑤子ちゃんの話を聞けよ。なんでお前がそんなに慌ててるんだ」 「だってさー、あの父さんがだよ? 略奪愛ってことだよねえ?」  父親の和真はいつも冷静で理性的な人だと潤は理解している。  確かに、ずっと母の茗子を深く愛していて、いつも互いに仕事が忙しくなかなか時間をともにすることは叶わない夫婦だが、それでも一緒の時は、同席する息子が居心地の悪さを感じるほどにイチャイチャしている。当てられるほどに。  それほどまでに欲しい存在だった、ということなのだろう。 「あんたたち、落ち着きなさいよ」  瑤子が苦笑する。 「まあね、今の和真くんを見ると、本当に? って思うだろうけど。  略奪愛っていうか、あの二人の間には合意があったのよ。茗子の婚約者って言っても、もともとご両親が決めたものだったしね」  瑤子は潤と颯真を見てふっと笑った。 「本当にいい時代になったわよね。わたしらベータは関係ないけど、オメガにとっては特に。だって、フェロモンや発情期をコントロールしやすくなって人生の選択肢が増えたんだもの。  私たちが若い頃はね、まだオメガやアルファの抑制剤の種類が少なくて、副作用も強かったりしたから、割と早めに番ってしまう人も多かったの。  だから茗子もオメガとわかってからは、ご両親がお相手を探し始めていて、たしか高二ですでに縁談がまとまって、高校卒業と同時に結婚する予定だったらしいわ」  今から三十年以上前で、潤と颯真が生まれる前のこと。  その頃はまだオメガが自分の番を見つける自由はあまりなかったのだろう。 「……辛い発情期を越えるくらいなら、早くお相手を見繕ってあげたほうが娘のためっていう、それもご両親のお考えよね」  思わず潤は今は亡き祖父母の顔を思い浮かべる。そうかと思う。  オメガの娘が、この先の人生も安心して過ごせるようにと、親が心配してアルファの婚約者を探してくるというのは、当然あった話だろう。今考えてみるとすごい話なのだが、当時とは状況がまったく違うのだから。  今から三、四十年程前は、オメガのフェロモンや発情期をコントロールするフェロモン抑制剤は、まだまだ発展途上であった。アルファやオメガの性差医療の概念が出てきたのだってその頃だろうし、専門学会の歴史なんて、それこそ二十数年の話だ。  今でこそ、フェロモン抑制剤や誘発剤、ヒート抑制剤などで、第二の性の影響を抑える手段はいろいろ出てきたが、一昔前までは薬で発情期を抑えるという考えは多くはなかった。  オメガが項を噛まれないように自衛するチョーカーが使われていたのもその頃だ。  潤たちは生まれる前であるが、両親にとっては実際に生きてきた時代で、まださほど昔の話でもないのだと、潤は実感する。 「で、父さんはそのおじいちゃんとおばあちゃんが決めてきた縁談を、強引に破談にしちゃったんだ」  颯真がどこか楽しそうに言った。  瑤子も頷く。 「そうね。茗子は縁談がまとまって婚約者がいる状態で和真くんと出会ったのよ。  もともとわたしたちは茅ヶ崎に住んでいて、横浜の女子校に通っていたのだけど、高三の秋だったかな。二人が出会ったの」  潤は無意識に身を乗り出した。こんな話は両親から聞いたことはない。 「……和真くんはピンときたみたい。後で聞いたけど、多分一目惚れ。でも、茗子も同じようなもので急速に二人の距離が縮まっていったわ」  やっぱり自分の番となる人、本能が求める人は分かるのかと、両親の話を聞き、潤は感想を持つ。 「和真くんは確か社会に出てそんなに経ってない頃だったんじゃないかな。仕事が忙しいのに、茗子と時間を惜しむように会ってたみたい。  茗子もご両親や婚約者の目を盗んでね。それでも和真くんと会いたかったみたいで……」  潤には、自分の両親がどんな気持ちで愛を育んでいったのか、なんとなく理解できた。人は手が届かないと分かると余計欲しくなるし、時間を惜しむ中で、隠れるように会っていれば、気持ちだって高まってくるだろうなと思う。 「もう少し早く出会えていればなって。本当に二人には時間がなかったのよ。だから気持ちが通じたら、すごい勢いで番おうって話になったみたい」 「婚約者がいたのに?」 「そう。茗子の婚約は、もともと本人が望んでいたものではないというのもあったしね。  ただ、お相手が結構なお家だったみたいで。こちらから破談にするわけにはいかなくて。それに、なにしろご両親が乗り気で……。茗子はなにも言えなかったのよ」 「おお……」  潤は思わず声を漏らす。自分の両親の話ではあるのだが、ラブストーリーとしても成り立ちそうなほどの展開だ。 「時間もなかった。春になれば茗子には結婚する相手がいる。年も明けてしまった。  そんな中、どうしても茗子を手に入れたかった和真くんは強硬手段に出た。いや、和真くんと茗子の二人ね。合意があって、強硬手段に出たのよ」 「それで、強引に番っちゃったんだ……」  潤が呟くとそうね、と瑤子が頷いた。 「二月のバレンタインの頃だったなあ。茗子の発情期のタイミングで二人で姿を消しちゃったの。わたしにも言ってくれなかったわ。もちろん大騒ぎになったけど、しばらくして戻ってきたら、茗子は和真くんの番になっていた」  潤と颯真は目を合わせた。これが両親の馴れ初めだったとは。 「驚くでしょ」  瑤子の言葉に潤は素直に頷いた。 「それは驚く」 ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ *お知らせ* 廉と尚紀のスピンオフを始めました。 宜しければお付き合いください。 https://fujossy.jp/books/26673

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