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 潤は「長谷川社長が抜擢した優秀なMRは貴方のことだったのか」と、思いついたそのままを口にしてしまいそうになり、思いとどまった。  しかし、かつて潤が熟読したメルト製薬のメディカルアフェアーズの記事に掲載されていたのは、間違いなく彼であった。 「年明けに業界新聞に掲載されていた、御社のメディカルアフェアーズ新設の記事を拝読しました。とても興味深かった」  そのように告げると、新堂は驚いたような表情を一瞬見せてから視線を伏せた。 「ありがとうございます。  まさか森生社長にまでお読みいただけていたとは思いもしませんでした」  他社の社長からそのようにストレートな感想を聞くことなどほぼ皆無だろうから、困惑しているのだろう。 「ちょうど弊社でも検討している最中でしたから」  潤は言った。  メディカルアフェアーズ創設の意図を長谷川に直接問うたのは、もう二ヶ月も前になる。その時彼から聞いたのは、オメガの社員が働きにくい環境に自覚なくしていたという苦い経験と後悔。長く企業のトップであり続ける長谷川ほどの男が、ようやくこの地位につけることができたと言っていたのが、この新堂という青年なのだと、しみじみ思う。 「薬剤師として入社し、MRからステップアップされたと伺いました」  潤は話を切り出す。いきなり自分の懐に踏み込まれたように感じたのか、新堂は少し驚いたような表情を見せてから、頷いた。 「はい。そうです」 「MRとして誠心医大を担当されていたと聞いていますし、ご活躍だったと思います」  その経緯ももちろん潤は把握している。 「誠心医大の先生方にはよくしていただきました」 「ならばなぜ、新堂さんはメディカルアフェアーズに?」    潤の直球の質問に、新堂は少し考える。そして、真剣な視線を、まっすぐに潤に向けてきた。 「……ペア・ボンド療法にもっと積極的に関わりたいと考えたからです」  潤は頷いた。なるほど。二人で視線を交わすと、新堂が口を切る。 「私は、とても恵まれたと思いますが、アルファ・オメガ領域の医療最前線での先生方のサポートをさせていただいていました。それもあり、ペア・ボンド療法が実現する可能性があるのではないかという議論の最中に居合わせることができました」  潤は彼がペア・ボンド療法にこだわる理由が納得できた。 「それは貴重な経験ですね」 「はい。弊社といたしましても……いや、私個人としても積極的に関わりたいと思いましたが、MRという身分では難しく……。  そこに社内でメディカルアフェアーズができるという話を聞き、幸運にも抜擢してもらえました」   「それは幸運でしたが……、新堂さんの想いと功績が認められてのことでしょう」 「……ありがとうございます。ただ、私としては本当に先生方に恵まれただけなのだと思います。和泉先生や高城先生、そして、社長のお兄様の森生先生。最新の情報に触れられたことで、今こうして関わらせていただいていています。微力ながらも少しずつ恩返しができればと思っています」  潤は、新堂の言葉に謙虚さと誠意を感じた。  他社の社長の前だから、というわけではないと思うし、もともとの性格なのだと思う。  MRとして多忙なドクターに頼りにされる能力を持ちながら、それに驕ることなく周囲に感謝しつつ、さらなる努力を重ねることができる人なのだろう。  長谷川の目に留まったのも納得だ。  潤は新堂に好印象を持つ。 「以前、長谷川社長がメディカルアフェアーズには優秀な若手を就けることができたとおっしゃっていました。  新堂さんにお会いできて納得しました」  潤が本音の賛辞を贈ると、新堂は素直に照れた様子で、顔を伏せた。 「そんな……」  それに、どこか憎めない可愛らしさがあった。 「私も、森生社長と直接お話しさせていだだけるとは思いませんでした」  それはそうかもしれないと潤も思った。  長谷川に紹介されたので、ついつい同年代のきやすさもあり、話し込んでしまった。 「来月の学会は楽しみですね」  潤が話題を変えると、新堂は即座に頷いた。 「ええ、本当に。ドキドキしますが、楽しみです」  第十八回アルファ・オメガ学会総会は、五月下旬の週末三日間、横浜みなとみらいの国際会議場と併設のホテルを会場に開催される予定だ。  アルファ・オメガ学会は今年最も注目が集まる学術総会とも言われている。  その大きな理由として、旬の話題とされる「ペア・ボンド療法」の結果が最終日に報告されるため。また、オメガのフェロモン抑制剤と誘発剤の開発でメーカー各社がしのぎを削っており、様々な開発パイプラインの試験結果や新たな治療法の治験結果などが、次々と報告されると期待されているためだ。領域自体が活気付いている。  アルファ・オメガ学会の学会組織としての歴史は、他領域に比べるとまだまだ浅い。  今から約三十数年前に数人のドクターのグループで発足した同会は、暫くの間は研究会として活動していた。その後、オメガのフェロモン治療が保険適用となったことがきっかけで全国的に広がり、会員数も激増し、研究会が学会に格上げに。医学会からの認定も受け、その後学術総会が開催できる規模にまで発展した。  そこから、二十年足らずで、アルファ・オメガ領域、特にオメガのフェロモンコントロール治療は新たなステージに入ったと、有識者の間で話題とあれば、否が応でも期待値が上がっている。  マスコミからは、主に医療関係者を読者対象に据える専門誌や医療雑誌では注目の治療法として特集を組むケースも多いらしく、森生メディカルでも多くの媒体から取材の申し込みが入っていると、報告を受けている。さらに一般向けのマスコミも、東都新聞社だけでなく雑誌やテレビからもこれまでにないくらい注目されているというのだから、これまでの学術学会とは様相が少し異なる。  だから、新堂のように楽しみにしている関係者は少なくないだろう。  急激な医療の進歩で、アルファやオメガを取り巻く社会的な環境は、今後ますます変化を遂げるだろう。  今はその入り口に差し掛かっているのだ。  その波に乗ろうとしているのが、メルト製薬であり森生メディカルだ。  潤が見る限り、新堂はその風をきちんと読んでいる。  メルト製薬としては将来を期待する、有望な逸材だろう。 「社長」  不意に背後から藤堂に呼ばれた。振り向くと、彼は新堂を潤が話していたことに気がついた様子で、お話中でしたか、すみませんと謝罪した。 「いや、大丈夫」  そう言って、新堂を振り返る。 「またいろいろお話したいですね。  こういう場は内容を選ぶので、ぜひ次回は違った形で」  潤が含みを持たせてそのように誘うと、新堂はちらりと和泉の姿に視線を向けてから、そうですねと頷いてから、再び視線を伏せて会釈した。 「すみません」  新堂と別れて戻ってきた潤に、藤堂が無遠慮に声をかけてしまったことを謝罪する。  雑談だったから大丈夫と潤も応じた。 「メルトさんのメディカルアフェアーズ担当もしっかりしてるね」  そう評価すると、藤堂は少し考えた様子。 「社長は、新堂さんとは初対面ですか? 和泉先生の番ですよ?」  藤堂は少し楽しそうにそう言う。  潤も頷いた。 「知ってる。あえて言わなかったけど」  先ほど、新堂が和泉に視線を流した姿が脳裏に浮かぶ。そのあたりも多分伝わってるので問題はないだろうと思った。

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