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大型連休が始まった。今年は飛び石連休で四月末に祝日があり、五月に土日が被る四連休になっている。
その四月末の祝日、颯真と潤は午前に皐月会から呼び出しを受けていた。
朝、潤はクローゼットを開けて、モヘア混のウール素材で仕立てた通気性が良いスリーピースを取り出した。
四月の終わりは天気が良いともう初夏の陽気だ。今日だって、朝から雲一つない快晴で、日差しも強そうだった。
合わせるのは、白いワイシャツとグレーの細かいチェックのネクタイ。糊がきいたワイシャツに袖を通すと気持ちが引き締まる。スラックスを身に着け、鏡に向かってネクタイを締める。その時に、右手薬指に着けていた白金の指輪を左手の同じ指に着け替えた。
これは意志の表れだ。
鏡の前の自分の顔を見て、少しばかり……どころではなくかなり緊張しているなと思って、深呼吸して気持ちを落つける。
スーハーと身体に取り込む空気を入れ換えれば、自然と気持ちも落ち着く。
そう。今日は言ってしまえば身内に会うだけの話だ。
颯真がけじめとしてスーツで行く、というから、それに倣うことにして潤も少し緊張しているに違いない。
「うん。父さんと母さんに報告しにいった時と同じだものね」
そう自分に言い含めた。あの時以上の緊張と、相手の過剰な反応はないだろうから……。
そういえば、あの時も颯真からプレゼントされたグレーチェックのネクタイを、お守りのように締めていたなと思い出した。
「準備できたか?」
潤の部屋に、颯真が顔を出す。
いつも通り、彼は格好いい。ダークグレーのツーピースにブルーのドット柄のネクタイ姿で、そのネクタイは潤が以前プレゼントしたもの。双子だ、同じことを考えていると思った。
「うん」
そう言ってベストに袖を通してボタンを留め、ジャケットを掴んでクローゼットを閉める。
「皐月会っていうからには五月に入ってからだと思ったのに、いきなり連休初日なんだね。まだ四月だよ」
潤の軽口のようなぼやきに、颯真は苦笑した。
「『皐月会』の名前の由来は、おそらくこの大型連休頃に集まる会合っていう意味合いだろうからな。都合だろ、今年が四月になったのは」
潤がジャケットも羽織ってボタンを留めた。颯真が嬉しそうに頬に手を寄せた。
こうやって、何の前触れもなく触れられるのは自然に許し合っている証に思えて嬉しい。
「俺の番は凛々しいな」
そう言って褒めてくれた。少し照れくさい。
そして潤がふと颯真の手を見ると、彼の指輪も左薬指に移動していた。
皐月会のメンバーは、主催の父和真を含め六人と聞いている。
具体的には、和真の他に、父の従兄と二人の再従兄弟、さらに江上の父親と兄。
皆、森生家の家業の重要ポジションを担う、アルファだ。いわば森生家の首脳陣とも言える面々で、こんなのは親会社の集いでもなかなか見ない。
そう考えてしまうと、少し緊張する。
おそらくその面々が集う会合に呼ばれたことの重要性を、もちろん颯真も考えていないわけがなく、潤同様に緊張しているのだろうと思う。特に今日の相手はアルファだから、颯真が集中的に責められるかもしれない。
だからこそ、颯真を一人で行かせるつもりは潤にはなかった。
「さて、準備できたよ。行こうか」
潤がそう言う。
「お前、飯食ってないけど、大丈夫か」
颯真にそのように鋭く指摘されて、潤は苦笑した。そうなのだ、緊張のせいか昨日から少し食欲が落ちていて、実は今朝は食べていない。
「平気、平気」
潤がそう言ったが、颯真は何か言いたげだったものの、そうかと引き下がった。
「水分だけは摂っとけよ。帰りに美味しいものを食べて帰ろう」
何を食べたいか考えておけ、と颯真に言われて潤は頷いた。
今日の行き先は、横浜みなとみらいの湾外沿いにあるコンベンションセンターが併設された国際ホテル。
その上層階にある、個室のダイニングサロンを指定されていた。
颯真の運転で中目黒から横浜へ。
ホテルの地下駐車場で車を停め、ロビーまで上がり、そのまま二人で上層階専用のエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターが上昇する間、潤は気を落ち着けるために、ネクタイのノットを確認し、深呼吸を何度か繰り返す。
チン、と到着のベルが鳴り、扉が開いてフロアに降り立つと、そこは静まり返った空間。
フロア図で場所を確認して、指定された部屋に向かって並んで歩き出す。
動きが硬いのか、隣を歩く颯真が潤の背中を軽く叩く。
「大丈夫だよ、緊張すんな。皆身内だ」
颯真の励ましに、潤は苦笑する。
「僕そんなに緊張して見える?」
その軽口に、颯真は答えない。
「お前は隣にいてくれるだけでいいから」
そう言われて、潤は頷いた。
「わかった」
指定されたのはフロアの奥。
颯真がルーム名を確認して、チャイムを押す。
その扉の奥から、応答する声が聞こえたので、颯真がドアノブのバーを開いた。
扉の奥はウエイティングルームで、人の気配はその奥。その方向に歩を進めると、光が溢れる明るい部屋に繋がっていた。
大きな部屋だ。二面が大きな窓になっていて、目の前の横浜港の眺望と初夏の青空が見渡せる。
そこに思い思いの場所に腰を落ち着けた五人の男がいた。
出迎えたのは父親の和真。
「よく来たな」
和真はスーツのジャケットを脱いだラフな姿。
「お待たせしました」
颯真がそう言った。
潤が一番最初に目に留まったのは、江上の兄である江上樹。弟の廉によく似た、背が高く知的な印象の男性だ。目があって、樹は優しい視線を交わしてくれた。
そしてその隣にいたのは江上の父親である江上亘理。森生メディカルの子会社の社長をしている。江上親子は目の前のソファに腰掛けていた。
そして、一人用のソファに膝を組んでいる存在感のあるアルファは、父和真の従兄である森生和臣。潤からみると、和真や颯真と似たタイプの美丈夫のアルファだ。父和真よりも年上で、すでに還暦が近い年齢と聞いているが、潤はこの人物の精力的な逸話しか聞いたことがない。仕事ができて、貫禄があって、長く森生家の事業を支えてきた一人だ。母茗子とも親交が深いと聞いている。
そしてさらに一人。窓辺に腰掛けていた。
父和真の再従弟にあたる森生侑。和真や和臣と同年代であるが、彼らよりも少し線が細くて柔らかい印象だが、やはりアルファ。
「潤、颯真。久しぶり」
侑の挨拶で、緊張感があるその場が、少し和んだ。彼は、森生ホールディングスでメディカル事業の取りまとめをしている人物で、潤の仕事とも割と関わりがある。
見知った顔を認識できて、少し安堵した。
「どうぞ、そこに座って」
和真に三人掛けのソファーに誘われ、颯真と潤は勧められるままに腰掛けた。
「お忙しいところお時間をいただきありがとうございます」
颯真がそう切り出し、一礼した。潤もそれに倣った。
その場にいる全員の目が、颯真に集中した気がした。
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