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 そうだった。  颯真はそう言っていた。いざとなれば全てを捨ててお前と攫う、と。  潤は思わず俯いた。颯真が明言してくれて単純に嬉しかった。  颯真は、最後の最後、どうにもならなかった場合に本気でそれを実行するつもりなのだ。  もちろん、そうならない方がいいのだけど。  潤は思わず左薬指の白金の指輪に触れた。  静かな室内で、颯真の声が響く。 「とはいえ、それは皐月会の意に反する行為。同時に両親や身内、友人だけでなく、仕事ややりがいといった全てを潤に捨てさせることだと思っています。  自分はその選択肢と覚悟を常に持っていますが、叶うならそれは最後の手段にしたい。潤の人生は、全てにおいて前向きで満たされたものであってほしいので」  颯真は常に潤のことを最優先に、かつ様々な可能性を同時に考えてくれている。決して浅慮はしないが、いざという時には迷わないのだろう。潤はそのようなところにも、彼の愛情の深さを実感する。  颯真がまっすぐ、アルファの男たちを見据える。 「皐月会の皆様は、重々お分かりだと思う。私がすべてを捨てて番を取るということは、森生家が潤を失うということであり、大きな損失だと」    和臣も厳しい顔で、颯真の言葉を聞き入っている。その本気度を目の当たりにしたのだろう。 「颯真。お前は、脅すつもりか」  ぴんと空気が張り詰める。 「事実を述べているまで」  自分が強硬手段に出れば、おのずとそのような結果が待ち受けていると。目の前のアルファたちにプレッシャーをかけている。    部屋の空気が、颯真の一言一句で変化しているのを、潤は感じた。  すると、軽やかな声が挟まれる。侑だ。 「まあ颯真、そう言うな。お前が今の職を捨てることも、森生メディカルだけでなく、今の医療界の損失であるとも俺は考える。お前の覚悟は十分にわかったから」  刺激的な表現は控えろ、と嗜めるような口調。  その言葉はとても優しいものに感じた。   「お前が今取り組んでる、ペア・ボンド療法だっけ。マスコミにも取り上げられて話題だね。潤も……森生メディカルも噛んでいると。オメガが選べるという点で、画期的な治療法と聞いているよ」  颯真が侑を見る。彼は森生家の事業のメディカル部分を担当している。もちろん颯真の仕事もわかっているし、それがどれだけ今の医療の進展に影響を与えているのかも理解している。 「潤が抜けたあとの森生メディカルの事業の心配をするのであれば、お前が抜けた後のペア・ボンド療法の行く末だって心配しなければなるまい。患者の人生を狂わせる可能性だってありうる」  お前たち兄弟は、それだけ影響力がある存在になりつつあって、それを自覚した方がいいと、侑は潤と颯真に視線を向けた。  潤も侑を見返す。すると、それを捉えた侑が、潤に話しかけてきた。 「ねえ、潤はどう思ってるの? どうせ颯真が全てを引き受けるって言ったんだろうけど、潤の意見も聞きたいな」  この部屋に入って、潤が一言も発していないことに侑は気がついていたのだろう。  潤は、侑の言葉を受けて一同を見る。  そして第一声。  それはすでに決めていた一言。 「僕は森生颯真をアルファとして愛しています。颯真を唯一の番として生きていくつもりです」  和臣が言う。 「ずいぶんはっきり言ってくれるな」 「……ちゃんと言葉にしないといけない時もあると思っていて。  僕はかなり鈍くて……。自分の本能が求める番が颯真であると自覚したのはつい最近です。ずいぶん颯真を待たせてしまいました。  この事実を受け入れるのに、かなり悩んで苦しんで……結構しんどい思いをしました。でも、見守ってくれる人もいたし、……なにより颯真が混乱して揺れる僕の気持ちを理解してくれていました。彼自身が通ってきた道だからだと思います」  颯真が辿ってきた長い年月を潤は思う。  大人の階段を登ると同時に自覚した、双子の弟が自分の番であるという衝撃の事実。受け入れ難かったと言っていた。世界が大きく変わった気がした、訳が分からず、なぜ弟を番と思っているのかと混乱したとも……。  その気持ちが何であるか、名前が欲しくて、論文をさらうものの、否定の言葉ばかりで、傷ついたと振り返っていた。どんなに調べても、自分の感情は「禁断のインセスト(近親相姦)である」と、否定するものばかり。それは当然なのだけど、幼い颯真にはショックだっただろう。  葛藤して絶望してを繰り返し、気持ちも疲弊し、弟に打ち明けるか自分が壊れるかというところまで追い詰められて、ようやくホームドクターの天野に相談できた。そこで初めて自分の感情に「初恋」という名前をつけられて、颯真は「救われた」と話していた。許された気がしたと。  想像するだけでも、孤独な軌跡。  潤は目の前のアルファの面々を見据える。  潤がこう訴えて、この人たちに颯真の苦労を断じる資格があるのかは分からない。でも、ここで了承を得ねば、二人が望んだ未来は開けない。 「アルファが、番と定めるオメガを前に自分の欲を抑えてじっと待つということが、どれだけ精神的肉体的なタフさを求められる、しんどいことか……。ここにお集まりの方達は多分あまり経験はないと思うのですが、想像はしていただけると思います」  通常、アルファは望めば叶えられるだけの能力やサポート体制は整っているものだ。 「颯真はずっと我慢を強いられてきた。父さんや母さんから、そして自分の本当の気持ちを異常と断じる社会通念から。さらに当事者なのに自覚がない僕からさえも。でも、諦めなかった。諦めきれなかったんだと思う。アルファにとって、どれだけ本能が求める番と出会えることが幸運か、颯真は知っているから」  自身がアルファであり、アルファ・オメガ領域の臨床の最前線にいる颯真は、それだけ多くのアルファとオメガを見てきたはずだ。 「本能は怖いです。抗えない。  もう僕は、自分の番を知らなかった頃には戻れません。ずっと何も言わずに支えてくれた片翼の存在に気づいてしまった。その温もりを知ってしまったから。僕たち兄弟の関係は変質した。僕たちは……、颯真が言ったように、この感情が普通ではないことは十分認識しています。言われなくても分かっている。それでも、この気持ちに嘘は吐けません」  潤の言葉に、意外にも和臣や侑が聞き入っている。 「颯真の先輩にあたる、アルファ・オメガ科のドクターが、僕たちの関係をこう言っていました。これだけ強い絆を感じると、ある意味の『運命の番』みたいだと」  颯真を見ると、彼は優しい表情を頷いた。 「僕たちは本来ならば絶対に番になり得ない。だけど、本能で惹かれ合い、求め合ってしまった。 兄弟で互いを求める異常な関係であり、運命の番みたいでもある、そんなすべてをひっくるめて、僕たちの関係であると思っています。これもある意味の一つの形だと」  侑は頷いた。 「潤の気持ちはよく分かった。すべてを受け入れるということなのだね」 「はい。でも他の……とくにベータの人たちは、この関係をまず許容できるか否か、だと思う。そこは否定しません。多くからは拒絶されるかもしれない。それを僕たちは甘んじて受け止める。  だから、この関係を祝福してくれる人たちに対しては、僕は心から感謝したいと思います」  潤の言葉は、アルファの男たちの間を鮮烈に駆け抜けた。

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