204 / 226

(113)

「……颯真、お前、潤に愛されてるなあ」  そうニヤニヤしながら口を出したのは侑。  その一言を颯真が受け止める。口元が僅かに柔らかみを帯び、柔和な雰囲気。少し嬉しそうだ。 「ありがとうございます」  颯真が僅かに見せた素顔に、和臣もおや、という表情を浮かべたのを潤は見た。 「潤は、最初の発情期で本能で求め合ったにも関わらず症状も重くて、記憶を失うほどに辛い思いをしました。この関係も、本当に血を吐きそうになるほどに悩んで、苦しんで、それでも受け入れてくれた。それは、他人事だとしても受け入れ難い事実を、自らの考えを根底から覆して受け止めてくれたということ。その柔軟な思考力と決断力には尊敬しかありません。俺は、いつまでも潤の隣にいるのに相応しい存在であらねばと思っています」  颯真に言葉を尽くして讃えられ潤は照れくさい気持ちになった。相応しい存在であらねばならないと思っているのは潤の方なのだ。 「ふうん。二人の間にもいろいろあったんだね」  侑が少し不思議そうな表情で潤を見た。 「単なる興味なんだけどさ。潤は、どうしてそこまで辛い思いをしてまで颯真を受け入れたの? 話を聞いていると、颯真のように最初から彼に愛情があったわけではないんだよね?」  侑が潤に問いかける。チャンスだと思った。自分たちのことに興味を持ってくれれば、それだけ理解してもらえる機会が増えるということ。 「どうして、と言われると……」  潤は少し考える。 「本能だったのだと思います。僕は……、いや僕たちは、アルファとオメガの本能の前には兄弟という関係は吹っ飛ぶと、身をもって体験したから。僕は基本的に颯真のことが大好きだし、世界で一番信頼もしています。大切な存在を失わないためには自分の考えを変えるしかないと思ったんです」 「一体どんな経験をすれば、兄弟関係より本能が勝るという結論になるんだ」  そう言葉を挟んできたのは和臣。この厳しい従兄弟伯父も気になるらしい。  潤は隣の颯真にちらりと視線を流す。すると颯真は力強く頷いた。 「昨年末、僕はオメガへの差別思想を持つ部下から、取締役会の開催を阻止するためにフェロモン誘発剤グランスを打たれました。具体的にどのくらいの量を打たれたのかは分かりませんが、かなり多かったのだと思います。ちょうど颯真からもフェロモンをコントロールする治療を受けていて、投与されたものとは別にグランスを服用していたこともあってオーバードーズ状態に陥り、僕は発情期になりました」  あの時か、と侑は呟く。年末から年始にかけての不在を覚えているのだろう。 「僕はどうしても自分がオメガであることを受け入れられなくて、発情期を颯真の力を借りて薬で抑えていました。だから十二年ぶりで、気持ちの整理も覚悟もなくて。なのに身体は否応なく発情して、自分がオメガであることを知らしめられる。自分はフェロモンには抗えない発情する動物なのだと。  そんな僕を、颯真はかなり強いヒート抑制剤を飲んで、自分を抑えてケアしてくれました。僕は僕で、颯真のそんな事情は全く知らなくて、自分のことで精一杯で、辛い姿をあからさまに見せてしまった。精神的にも肉体的にも追い詰められていて、この苦しい時間が永遠に続きそうで、疲弊していた。  多分、颯真もそうだったのでしょう。僕がオメガとしての苦しみを見せれば見せるほど、彼は傷つき、追い詰められる。  最初が最初だけに、専門家の彼にも薬の影響の予測がつかない、終わりが見えない発情期でした」  気づけば、アルファの男たちの真剣な視線が潤に注がれていた。 「その難局を乗り越えるために、僕たちは一線を越えました。颯真が決断し、それに僕も応じた。おそらく、あれがなかったら颯真は今でも、本音を胸の内に隠して、何事もなく僕の隣にいたでしょうし、僕は僕でまだオメガという事実を受け入れられずに、以前以上にこじらせていたと思う。  あれが全てのきっかけでした。  僕は颯真を失えないというのが大前提にあって……ならばどう考えるか。  僕たちに限って言えば、兄弟という関係よりもアルファとオメガという関係性の方が優先されるという結論に至っただけのこと」    そうか、だから知ってしまったから元には戻れないということなんだ、と呟いたのは侑だった。 「アルファとオメガの関係性が本能的で動物的であると、ここにお集まりの皆様には実感として理解いただけるのではないかと僕は思っています」 「まあ、確かに。アルファとオメガはそういう側面は否めないね。肉体的な結びつきも強いし、そういう事情も優先されるというか……」  侑がそう和臣に視線を向けると、彼も静かに頷く。 「否定はできないな」 「言われてみれば、和真だってそうだったしね」  そう言われて、和真があからさまに顔を顰める。 「息子達と引き合いに出しては欲しくないな」 「潤、颯真、知ってるか? お前たちの両親の馴れ初め」  侑は楽しそうだ。  馴れ初め、とは。先日、偶然瑤子から聞いた、あの話だろうか。  潤は颯真と視線を見合わせて、表情を緩めた。   「ははっ。その顔は知っているな?」  侑はニヤニヤと笑う。 「和真、お前双子に話したのか?」  どうも父和真と母茗子の話は、この場では割と頻繁に持ち出されるようだ。和真はあまり止めることもせずに、諦め顔を決めている。 「話してないぞ。お前らが話したんじゃないのか」 「下手に話したら父親の威厳を失いそうだから話してないよ」  すると江上家の長男の樹が口を挟む。 「そうですか? 私は情熱的で、これぞアルファとオメガというエピソードなので好きですよ」 「樹くんはいつもそういうね。  お前たちは、誰から聞いたんだ?」  そのように問われて、潤は素直に答える。 「え、瑤子さんです」  潤の言葉に、和真は天を仰いだ。 「なるほど……それは止められない」  侑がにやにや笑う。 「森生本家の夫婦が二人して敵わない人だ。茗子さんの親友女史か。思わぬ伏兵だ」  その場が少し和んだ。 「お前たちの父親は両家の父親から殴られるくらいで済んだけどな……」  そう持ち出したのは和臣。 「お前達は、どうだろうな」  そう問いかけられて、空気がびしっと引き締まった。 「潤、お前ならどうする?」

ともだちにシェアしよう!