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 和臣の言葉で、この広い空間にかけられた緊迫した空気が少し解けた気がした。  潤が僅かに吐息を漏らす。  そして隣の颯真を見ると、彼もまた安堵した表情を潤を見つめ返してきた。  この件は終了の様子。  ようやく解放されるらしい。  潤はゆっくりとソファーから立ち上がる。緊張していたせいか、少し身体が強張っている。 「潤くん」  呼びかける声があった。  潤が振り向くと、そこにいたのは江上の兄、樹だ。  彼は今の皐月会メンバーと世代が異なるが、すでに番と家庭を持っているため、数年前からこの会に参加していると聞いていた。  今回、すんなりと颯真との関係が認められたのは、江上親子のフォローが大きかったように思う。  潤は樹に歩み寄る。やはり弟と同じで背が高くて知的な印象のアルファだが、廉より少し穏やかでふんわりとした雰囲気を纏っている。  潤は樹に一礼した。 「ありがとうございました」  樹は優しい笑顔を浮かべる。 「よかったね。皐月会に認められれば一安心だね」  潤は頷く。身内の了解を得るというのは、父和真に「身内にはきちんとしておけ」と言われて以来の懸案だった。和臣や侑といった森生家の中心人物に話して、理解を得られたのはよかった。  ふと、和臣と侑に視線を向けると、彼らは颯真と何かを話している。 「潤くんは……、いや颯真くんもだな。二人とも強いね」  そして、樹が漏らした一言に、潤は軽く反応した。 「強いですか……?」 「うん。個人としてもだし、あと番としての絆の強さを見た気がした」  樹が普通に「番」と表現してくれて、潤は嬉しい気持ちになる。 「傍から聞いていて、君たちに対してかなり厳しい切り込みも多かった。和臣さんも侑さんも。だけど君たちは真摯に一つ一つ答えていた。  耳を傾けてくれる人には感謝の気持ちで、きちんと向き合うというのをそのまま実践していたように見えたよ。  私はそこに誠意を感じた。きっと、言葉にしたくない気持ちもあっただろうにね」  樹の言葉は寄り添う優しさが溢れている。確かに、まさかあの年末の発情期を再びこの口で語らねばならないのかと思わなかったわけではない。しかし、中途半端な気持ちはここでは見透かされて通じないと、ここに入った時点で覚悟した。  すべてを晒け出して、理解を求めなければ難しいだろうと思った。 「理解してもらう努力を怠るべきではないと思っていました。僕たちの気持ちが伝わってよかった」  樹は優しく頷いた。 「皐月会に呼び出されたと聞いたときには、正直驚いて、多分少しビビっていたかも」  あの日をしみじみ思い出すと、そうであったかもしれない。  ほら、僕たちの子供の頃の皐月会って、絶対的な権限があって、揺るがせないイメージがあったので……と言うと、樹も「そうだったね」と頷いた。子供から見た皐月会とは、そのような存在だった。 「だから、僕は皐月会に対して、単純に緊張していて。認めてもらえるだろうかと……。ここは乗り越えなければならない『障壁』と、それだけ考えていました。  でも、おそらく颯真は違ったんだと思います。当然緊張もあったし、ここが正念場とも考えていたと思いますが、それ以上にようやくここまで来たという思いもあったと思う。明かせなかった本音を、ようやく聞いてもらえると……」 「ほう」  意外そうな反応。 「この部屋に入る前に颯真が言っていました。とはいってもここにいるのはみんな身内だと。対立するものではないと言いたかったのでしょう。僕の緊張もそれで少し解けました」  樹は表情を和らげる。 「なるほど。そんなふうに思っていたのかな。確かに颯真くんはこれまで徹底して気持ちを抑えていたみたいだしね」  それは記憶に蓋をしていた潤の心の負担を減らすための配慮だ。颯真はどこまでも優しい。  ただ、それは一人でできたのかというと、そうではないと潤は思う。  もう一人、感謝する人物がいる。 「廉には颯真もすごく支えられたと思います。樹さんは、廉から話を聞いたと……」  樹は頷いた。 「もちろん。この話題が出たときに、うちの弟が知らないはずがないだろうと」  さすがに中学生の時から知っていたと聞いたときには驚いた、と樹は笑った。  江上が颯真の気持ちを知ったのは中学に入学してほどなくして、と以前言っていた。颯真が潤を自分のものだと、江上に牽制をかけたのがきっかけだと。颯真が当時まだ判明していなかった潤の第二の性がオメガであると確信を持っていたことを含め、当時の江上は本気にしなかったというが、その後中学三年生で潤がオメガと判明してから、彼は颯真の気持ちをずっと見守ってきたのだ。  潤は、彼らが実際にどんなやりとりを交わしてこの十七年を過ごしてきたのか、具体的には聞いていない。しかし、潤が無自覚に颯真を煽り、ストレスを感じる颯真が廉に気持ちを打ち明けるという流れがあったのではないかと、想像は容易にできる。  自分は、颯真の前は無防備すぎたから。 「僕も廉には親友として支えてもらいました。颯真も。彼がいなければ僕たちは気持ちを通わせることさえできなかったかもしれません」  潤は常に自分の脇に控えてくれている親友を思い起こす。いつだったか、江上は、尚紀と自分を結びつけてくれた颯真と潤には感謝してもしきれないと言っていたが、そんなことを言うのであればこちらだって同じだ。    「僕たち兄弟は、廉には本当に心配ばかりかけてしまいました」 「でも、もう二人ならば大丈夫そうだね」  樹の言葉に潤は頷く。 「ええ。これまで過去をたくさん振り返ってきましたが、これからきちんと前を見据えます」  祝福されて番う将来が、ようやく現実に近づいてきた。 「アルファにとってはね、番となるオメガを見つければ無敵なんだよ。どんな困難でも乗り越えらえる気がする」  きっと颯真くんはそういう気持ちだよ、と樹。潤も頷いた。 「颯真は諦めない。だから僕も諦めません」  颯真はずっと大切にしてきた気持ちを否定されてきた。簡単に傷つけられてしまうその気持ちを大切に育てるのは、孤独で辛いこともあっただろう。でも、今潤と気持ちが通じて、そしてこの関係性を受け入れてくれる人が出てきて、それが少しずつ増えていて……。  潤も、片割れの長年の苦悩を想像すると、ここまできたこと、胸に込み上げるものがある。  無性に颯真を大切にしたくなる。 「……本当にありがとうございました」 「いやいや」 「潤、いくぞ」  颯真にそう促されて、潤は頷いた。皐月会の会合はまだ続くのだろうが、潤と颯真はここでお役御免だ。  潤と颯真は挨拶を交わして、部屋を退室したのだった。

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