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部屋を退出するときに、父和真から「近く、帰ってこい」と言われた。今日の結論を元に、話し合いたいということなのだろう。颯真も穏やかな表情で頷いた。
しばらく、この二人の間では見ていなかった柔らかい表情を見ることができて潤は安堵した。
ふと和真が手を伸ばし、颯真の肩に触れる。
「父さん?」
「辛いことも言わせたよな。あれでも和臣と侑は、お前たちのことを心配しているんだ。だから多少厳しいと思っても真意を確認した」
和真の気遣いを、颯真は何度か首を左右に振って、穏やかに受け止めた。
「大丈夫。分かってる。話して理解してもらえるなら、なんてことはないよ」
「そうか……」
そんなやりとりを、潤も穏やかな気持ちで眺めた。
二人はダイニングサロンフロアからロビー階まで一気に下降した。来た時にはチェックアウトで賑わっていたロビーも少し落ち着いている。二人は、そのまま地下の駐車場に向かった。
特に言葉を交わすこともなく、阿吽の呼吸で颯真が開けてくれた助手席の扉を開けて潤はそのまま乗り込む。そして、運転席に乗り込んだ颯真にいきなり言った。
「颯真、左手を貸して」
「ん?」
怪訝な表情を見せる颯真だが、素直に左手をさし出してくれる。潤はその手の甲にキスをした。
「潤?」
「本当にお疲れ様」
そして口づけは指先と、そして颯真の指輪にも。指先や指輪に落とす口付けは賞賛の意味があると聞いたことがある。
すると、颯真はそのまま右手を伸ばし、潤を抱き寄せた。彼の胸の中にすっぽり入る。颯真のこれまでの苦労を慰労したいと考えたのに、これでは自分の方が癒されてしまうなと思った。
耳に心地よい声が入ってくる。
「それを言うなら、お前もだろ。俺よりお前の方にキツい質問が多かった」
潤は小さく首を横に振る。
颯真に身を委ねながら、今この温もりを得られる幸せを噛み締める。
「んー。そうじゃなくてね。僕は颯真にお礼を言いたいんだ。改めてありがとうって」
「なにをいきなり」
「今の僕たちがあるのは、颯真のおかげだなって。
さっき、樹さんと話していてしみじみ思った。
颯真が自分の気持ちを大切に育ててくれたからなんだなって。その気持ちを理解してくれる人がいて、颯真はそういう人に支えられて、僕がこの気持ちに気がつくまで待ってくれた」
気持ちが結ばれた頃だったか、自分の不義理を謝った潤に、颯真は「言われるならば、ごめんではなく、辛抱強く待っててくれてありがとうがいい」と言ったことがあった。あの頃は、潤の中で申し訳ない気持ちの方が優っていた。でも、今は潤にそのように告げた颯真の気持ちが理解できる。
「この関係を受け入れてくれる人も少しずつ増えて、僕たちはここまでやってこれた。ようやく長い旅の終わりが見えてきたなって」
十年以上に及ぶ颯真の先の見えない恋心を旅に例えた潤に、颯真は何を感じたのだろうか。ぐっと身体が密着する。不意に颯真の香りと、そして温もりを感じた。
「何度も言うが、ここまでこれたのは、お前が俺の気持ちを受け入れてくれたからだ」
潤はそれを背中をとんとんと優しく叩くことで応えた。
「それに長い旅が終ったのは俺の片思いで、俺たちはこれから始まるんだよ」
言われてみればその通りで、ようやく颯真と共に生きる許可を得られたのだ。歩む道筋がようやく重なった。潤は頷いた。
「そうだね。これからもよろしくね」
それでも、潤はこれからずっと颯真に感謝をし続けるのだろうとふと思った。
エンジンをかけると時計が表示されて、お昼近い時刻であることに気がつく。
「結構な時間だね」
どうしようかと、颯真が問いかける。
「僕、お腹がすいたな」
少し明るい声を出す。昨日からまともなものを食べていないから、安堵したら身体が空腹を訴え始めた。今ならなんでも食べられると思うくらい食欲が湧いてきた。
「食欲出てきたか、よかった」
どこかで何かを食べて帰ろうという話をしつつ、颯真が車を発進させた。
そのタイミングで潤のスマホが震えた。
スーツから取り出してみると、待ち受けにはちょうど、江上からのメッセージが表示されていた。
そのまま颯真が運転する車で中目黒に戻ってきた二人は、自宅マンションの地下駐車場に車を停めたあと、先ほど電話をかけてきた江上と尚紀と合流し、一緒にランチをとることにした。
ここから歩いてさほどかからない場所に、ナポリピッツァが美味しいお店があるらしい。
駅前で待ち合わせをする。江上も尚紀も休日のラフないでたち。尚紀はすこしふっくらしかたもしれない。江上が尚紀を気遣う姿が微笑ましくて、気持ちがほっこりする。
潤はその店についてよく知らないのだが、颯真と江上は心得ている様子で、あの店な、と情報が通じている様子。相変わらず、このあたりの外食事情には詳しい。
颯真と江上の案内で、潤と尚紀は付いていく感じだ。
場所は幹線道路沿いのビルの一階。外からも大きくてカラフルなタイルで作られた大きなピッツァ釜が覗けて、否応にも期待が高まる。
休日のランチ時だけあって、行列になっていたが、驚くほどの回転の速さで、すぐに順番が回ってきた。
「なんでこんなお店知ってるの?」
潤が思わず颯真と江上に問いかけると、二人は笑って答える。
「だって店構えからして美味そうだろ」
「通りかかれば気になるよな。チェックしてた」
店構えでその店の味を予想してしまえるのは経験値があってこそなのだろう。
これも颯真が得意の、店選びの嗅覚か。
「相変わらず意味が分からない」
潤はそう苦笑した。
「さて、お前らなにがいい?」
江上がメニューを差し出して、潤と尚紀に話しかける。
その手書きのメニューを尚紀と一緒に覗き込む。種類が豊富すぎて書ききれないといった雰囲気で、選ぶにも難儀しそう。
そう思ったが、お店のおすすめは分かりやすく書かれていて、初めてだと逆に悩まなくて済みそうだ。
「おすすめは……マルゲリータなんだね」
潤の呟きに、尚紀もいいですね、と答える。
「四人いるし、四枚くらいいけそう?」
「その前に、ドリンクはどうしましょう?」
「廉と颯真はビール? 尚紀はソフトドリンクだよね」
「僕は、オレンジジュースがいいです」
「じゃあ、僕もオレンジジュースにしようかな」
「潤、祝杯でビールじゃなくていいのか?」
江上の問いかけに潤は頷く。
「うん。なんか喉がカラカラで、ぐいぐい飲んだら酔っちゃいそう。颯真と廉は遠慮せずにビール飲みなよ」
「今日は、かなり日差しも強いし暑いですね。ビール美味しそうです」
ビールとオレンジジュースのほか、マルゲリータやマリナーラといったピッツァと、焼き上がりまでのつまみを注文した。
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