211 / 215

(120)

 江上と尚紀と楽しい話に花を咲かせて、幸せな気分で自宅に戻ってきた。なんかとてもふわふわした気分に浸っている。  とりあえず着替えるために、それぞれの自室に入り、潤はクローゼットを開いた。そこから取り出したのは、淡いブルーのコットンのシャツとラフなジーンズ。  シャツは、以前は颯真のものだったが、いつの間にか潤のクローゼットが定位置となったお気に入りのもの。ワイシャツとインナーを脱いで、素肌の上にシャツを羽織る。すごく肌触りが良くて、少し颯真の残り香がありそうなところがお気に入りだ。時折くんくん嗅いでしまうのは、颯真には内緒。  それにしても、不思議なものだなあと潤は天井を仰いだ。  朝起きて、食事も喉を通らない中、スーツで身を固めて横浜に向かったのが今朝のこと。  皐月会のメンバーは知っていたし、皆顔見知りであったけど、その時は、まだ皐月会の面々にどんなことを言われて追求されるかなんて、全く想像もつかなくて、落ち着かない不安な気持ちが大半を占めていた。  皐月会との対談は当初抱えてた不安から見れば予想外の展開で。誠意をもって話したら通じた。もちろん、誠意をもって話せば皆わかってくれるなんて思っていないが、身内の集まりだからだろう。颯真もそう言っていた。幼い頃から見守ってくれていた人たちであったことや血の繋がり、そして、父和真と廉の父の口添え……。自分たちだけの努力だけではなく、周りの善意や理解といった、これまでの関係性の積み重ねが彼らの理解を促してくれたのだろうと思う。  身内だから難しい問題だけど、身内だから救われた。  着替えが終わったタイミングでコンコンとノックがして、颯真が扉を開いた。 「終わった?」  そう言われて、潤もうん、と頷く。  颯真に、リビングに誘われた。 「お茶でも入れるよ」  キッチンでお湯を沸かしながら、颯真が言葉をかけた。 「疲れただろ」  潤もその側に立って、片割れを眺める。 「疲れてないわけではないと思うけど……うん。たぶん、気疲れかな」  そう首を傾げると、颯真が苦笑した。 「そうだな」  ミルクパンでお湯を沸かしてくれているところをみると、ロイヤルミルクティをいれてくれるらしい。  赤い茶葉缶が登場し、匙で茶葉を二杯、ささっと入れて強火で煮立たせる。颯真の手つきは手慣れていて、自分の好みを言わずとも把握してくれていることが嬉しい。 「ゴールデンウイークの最難関は突破したわけだから、あとはゆっくりすればいい」  そんな言葉に、潤も頷いた。 「颯真は、連休は仕事なんだよね」 「日曜日は休みだけど、あとは仕事だなぁ」  これから約三週間後、来月の半ばに開催される予定の「アルファ・オメガ学会総会」の今年の会場は横浜だ。颯真の上司に当たる誠心医科大学横浜病院のアルファ・オメガ科長が代表を務めているので、颯真たちは開催側と言ってもよく、その準備に追われているらしい。  それに、颯真自身も学会最終日にペア・ボンド療法の臨床試験結果報告で登壇するらしいので、その準備も大詰めとのこと。  それは休む暇もないだろうなと潤も思う。  少し寂しいとも思うが、互いに多忙なのはわかっているので仕方がない。寂しいとは言わない。おそらく颯真もその気持ちをわかっていると思うから。  冷蔵庫から牛乳を取り出してそのままミルクパンに。そして砂糖をスプーン何杯か。ちょっと甘めにいれてくれるらしい。  サーっと牛乳を入れたキャラメル色の紅茶が沸騰して迫り上がる直前に火を止める。  茶漉しで茶葉を除きながらロイヤルミルクティをマグカップに注いでくれた。 「ほら、どうぞ」  そういってマグカップを差し出してくれる。ありがとうと言って潤は受け取った。二人でリビングのソファに移動する。 「学会も楽しみだね」  潤がそういうと、颯真は苦笑した。 「準備する方は結構大変だけど、お祭りだよな」  そう笑った。  森生メディカルは、今年も学会期間中にコメディカル向けのイブニングセミナーを開く予定だ。講師は誠心医科大学の高城裕哉医師に依頼していると報告を受けている。和泉の愛弟子で、颯真の後輩にも当たる人物。潤も何度か会ったことがあり、どこか飄々とした印象の人物だが、アルファ・オメガ領域での見識も深く、ペア・ボンド療法の中心人物。やはり若手のホープだ。今回は和泉の推薦とのことだ。  ソファに腰を落ち着けて、気をつけろよと渡されたマグカップに口をつける。豊かな茶葉の香りに濃厚ミルクの甘い味わい。鼻から香りが抜けて、ほっと吐息をついて力が抜ける。  「ふふ。おいし」  そう言ってほっと一息をつく。続いて颯真も一口飲んで「うまいな俺」と自画自賛した。 「で」  潤は隣に座る片割れを見た。  実はずっと聞きたかったことを口にする。 「颯真は、皐月会の終わりかけに何を言われたの? 和臣さんと侑さんから」  颯真が少し意外そうな表情を浮かべた。 「気づいてたか。よく見てるな」  確かにあの部屋を出る前に、颯真が和臣と侑の二人と何かを話していたのが気になっていた。 「まあ、気になるよね」  あの二人だもの、と潤は思う。今回の会合で率先して追求役を買って出た二人だ。あの場でさえ何か言いにくいことがあったのだろうかと、潤は気になっていた。 「おそらく、和臣さんも侑さんも気を遣って俺に伝えてきたと思うしな」 「気を遣って?」  潤は少し考える。なんとなく想像がつく。 「それってさ、ひょっとして子供のことかな」  そう指摘すると、颯真が、少し考えた様子で頷いた。 「……鋭いな」  あの場でその話にならなかったのは、気を遣われていたからなのかと潤は納得した。森生家の後継者は必須なのだから、兄弟で番う話と後継者の問題は今回においてはセットで考えるべきものだ。あの場で後継者はどうするつもりだと追求を受けることがなかったのが、少し気になっていた。  颯真が潤の手からマグカップを取り上げ、自分のものと一緒にテーブルに置いた。そして、何も言わずに潤を胸に迎え入れて、腰にやさしく手を回した。  その行動の意味を潤は理解できなかったが、素直に颯真の暖かい胸にもたれかかった。 「落ち着いて聞いてくれな」 「………ん」  とくんとくんと、心音を聞きながらうなずく。 「和臣さんと侑さんからは、子供は養子も検討しろと言われた」

ともだちにシェアしよう!