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その懐中時計を潤は何度か見たことがあった。とはいえ、日常的に腕時計を巻いている和真は、その時計で時間を確認することはなく、潤も繋がれたチェーンに見覚えがある程度。スーツのジャケットからちらりと見えるベストに掛けられていた。
おそらく、和真が肌身離さず持っていたであろう、懐中時計。
「これは、父さんの父さん、お前たちからみるとお祖父さんから譲り受けたものだ」
「お祖父さんから……」
颯真が和真からその懐中時計を受け取る。
潤も思わず颯真の手元を覗き込んだ。
磨かれ、鈍く光るアンティークゴールドの懐中時計。その文字盤はホワイトベースのシンプルなデザインで、ローマ数字が書かれていて、今も刻々と短針と長針が時を刻んでいる。
興味深く覗き込む潤に気づいて、颯真が手渡してくれた。
受け取ると、思ったよりも重くて、重厚な雰囲気。懐中時計をひっくり返したその背後には、鈍い光を放つ真鍮だろうか、草木の透かし彫りが入っている。
「すごいね……」
潤は見入ってしまう。
「それは、祖父さんも先代から受け取ったって話していたから、おそらく昭和初期の頃のものだろうな」
昭和初期……、と潤は思わず呟く。
百年近く時を刻む手の中の懐中時計を改めて潤は見る。
歴史でしか知らない時代、曽祖父が愛用していたもの。
それが手の中にある。不思議な感覚だ。潤は我に返って颯真の手に返した。
「当然だが、お前たちは曽祖父さん、祖父さん、俺と血が繋がれて、この世に生を受けた。百年近い森生家の系譜だ。その懐中時計はそれをずっと見守ってきた。今度は颯真、お前にそれを託す」
潤はそっと颯真を見た。彼は真摯な視線を和真に向けていた。血を絶やさずに続けていく。それも家を継ぐ者の義務だ。
颯真はしばらく受け取った懐中時計を眺めた。そして顔を上げる。
「父さん、ありがとう。俺と潤に家の将来を託してくれて。
……正直、縁を切られても仕方がないと思っていた時もあった」
潤も思わず頷く。そのような覚悟も当然あった。
だけど、颯真の気持ちにまっすぐ向き合い、そして皐月会で本音で話し合う素地を整えてくれたのは、紛れもなく父和真だ。
「父さんと母さんから受け継ぐこの家を、きちんと守っていくよ」
颯真の言葉に和真も頷く。
「俺は、潤と家族を作る」
「お前たち二人の幸せを、俺と母さんは願ってる」
和真は、潤と颯真に改めて向き合う。
「で、次の発情期で番うのか?」
そして自然に視線は潤に向けられる。次の発情期は六月頃か、と。
潤は頷いた。
「うん。次の発情期は、予定でいえば六月の終わりかな」
あと一ヶ月半くらいか。颯真も頷いた。
「そうだね、そのタイミングで番いたいと思ってる」
もう二人の間を阻むものはないのだ。潤は嬉しくなり颯真を見る。
颯真。
もうすぐ、自分はこのアルファの番になれるのだ。
「お前もそれでいいのか、潤」
そう和真に問われて、潤は頷いた。
「うん。僕は颯真が番にしたいと思うタイミングでいいと思ってる」
そして、再度念押しされる。
「後悔はないな?」
それは父の優しさであると、潤も分かる。潤は即答した。
「ないよ」
するとふと和真が表情を和らげた。
「わかった」
「俺と母さんは、いつもお前たちの味方だ。幸せを願ってる。困ったことがあったら、遠慮なくすぐに相談しなさい。番になっても、二人とも俺たちの息子であることには変わりはないのだから」
和真の言葉は優しさに満ちていて、潤は胸に込み上げるものがある。
一月に二人で番うという報告をしたときには、鋭い視線で、二人の希望を切って捨てた人が。言葉を尽くし、行動に見せることで、ここまで深く理解し応援してくれるようになった。
「……父さん、ありがとう。そこまで祝福してもらえて、嬉しいよ」
それは颯真も同じことを考えていたようだ。
和真は頷いた。
「お前の行いの結果だ。
感情に走ることなく自分を押さえて、冷静に周囲の理解を得ようとした。俺は皐月会でもお前たちを誇らしいと思った」
和真の最大の賛辞だ。
そこまで言われることは流石になくて、颯真は少し照れたように、潤に笑みを見せた。
「父さんのその評価を損ねないように、これからも周囲への感謝の気持ちを忘れずに、潤と家庭を作っていこうと思う」
そう言って、横に座る潤の手に、自分の手を静かに載せた。
颯真が和真に本音を初めて告げたのは、十七歳の時。潤が初めての発情期に見舞われていた時で、弟は自分の番だと宣言し、否定された。
独りよがりはみっともないから止めろと言われ、諦めろと諭された。どうしたら認めてもらえるのだ、と、うなだれる颯真に、和真は一言、「耐えろ」と言ったという。
颯真は耐え切った。
ようやくあの時の颯真が報われたのだと、潤は思ってぐっと胸に迫るものがあった。
良かった。
本当に良かった。
颯真の苦しみが、本当の意味で報われて。
鼻がつんとして、思わず眉間に皺が寄る。懸命に耐える。自分が泣くのは違う。だけど、どうしようもなく、視界が潤んだ。
「あれ、潤。なんで泣いてるんだよ」
颯真が不思議そうな声を上げたが、その表情は優しさに満ちていて、潤がなんで泣いているのかも悟っている様子だった。
「だって……。そうま……良かった」
そう呟いた途端に、涙腺が崩壊した。
慌ててハンカチを出す。
「あはは。お前が泣くことないだろ」
颯真がそう言いながら、そっと抱き寄せてくれる。
彼の胸の中で、潤は止まらない涙を何度も拭った。
「良かった……。颯真ぁ」
吐息のように呼びかけると、颯真はとんとん、と優しく背中を叩いて慰めてくれる。その手は、いつものように、とても暖かかった。
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*お知らせ*
母の日にちなみ短編を書きました。
双子が幼い頃の森生家の母の日の風景です。
Xに全文を掲載しています。よろしかったらご覧ください。
かなりちびっこの潤&颯真が出てきますので、お好きな方はぜひ。
FORBIDDEN余話「おかあさん、いつもありがとう」
https://x.com/sakusakudaruma/status/1791783571990192133?s=46&t=kVnzprn14WD-Y-3roa8PqQ
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