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その日、潤は自宅で穏やかに過ごした。尚紀からの連絡の後は、部屋を少し掃除して、お気に入りの紅茶の茶葉を取り出し、ミルクパンでロイヤルホットティーを丁寧に作る。
そして多忙な毎日の中で、なかなか目を通せずに放置していたビジネス誌や経済誌をリビングで開いた。昨日は波乱の一日だったので、今日は気持ちを調えようという狙いもある。もともとこの日は完全にオフの予定だったので、のんびり過ごしたかった。
昼を過ぎた頃、潤のスマホに片桐から連絡が入った。
「森生社長、こんにちは。いま大丈夫ですか?」
片桐はいつもの口調で潤の都合を聞いてくる。潤も大丈夫ですよ、と返事した。今日は祝日だが連絡を入れてくるということは、彼は通常勤務のようだ。昼夜関係なく活動している彼には野暮な話だろう。昨晩は颯真と会ったというし……。
颯真は片桐に兄弟の関係性について告白したとのことだが、態度は保留されたと聞いていた。
「今日はこれから颯真先生にアポイントを取っていまして、その前に、森生社長とお話できればと思って、ご連絡させていただきました」
昨日の続きの話だろうなと潤も素直に頷いた。
「そうですか。
昨夜は兄と車の中で内緒話をしたと聞いていますよ」
潤の返事に、片桐は苦笑した様子。
「自分から連絡しておきながら、込み入った話をするには人が多過ぎて。颯真先生には窮屈な思いをさせてしまいました」
それだけ、周りに対して敏感になっているということだろう。
「仕方がないですよ。昨日は人の耳を気にする話だったと思いますしね」
潤がそう言うと、片桐はそうですねと頷いた。
「……昨日、颯真先生から森生社長との関係について伺いました」
「……兄から聞いています」
片桐からは、時間がほしいと言われたと颯真は言っていた。そして颯真自身は「少々信じがたい顔をしていた」と話していた。
昨夜、颯真先生から伺ったことは……と片桐自身が切り出す。
「驚いたことは確かなのですが、私なりにじっくり考えたくて時間をいただきました」
彼なりに寄り添って考えてくれたのだろう。
「ありがとうございます。本当に驚くことばかりですよね」
そう潤が応じると、片桐は慌てたようにいえいえ、と答えた。
「実は、正直なところ、あまり驚いていない自分に驚いたりしていまして……」
と、彼は潤から見ても衝撃的なことを言った。
え。驚いていない……?
潤は言葉を失うものの、「いや、そうではなくて。確かに驚きはしたんです」と、片桐は言い添える。
「なんというか、腑に落ちる所があったという感じで。まったく想定外かというと、そうではなかったみたいです。
正直なところ、とっさにそう思った自分に驚きました」
「腑に落ちる部分なんて……」
片桐は察するところがあったということ。それは潤からみても意外だ。もしかしたら、直接話さずとも、ちょっとした仕草などで気が付かれたのかもしれない。
「兄と私の会話からそのように想像できる部分があったということですか?」
片桐がじっくり考えたかったというのはそういうことかと潤は思う。
潤の問いかけに、片桐は「会話ではなかったですね」と言った。
「以前、森生社長と颯真先生がご一緒の時の雰囲気を見て、なんとなく……すとんと納得できたというか……」
以前、颯真のオフィスで片桐と三人で会った際に、颯真の隣のにいる時の潤の雰囲気はいつもと違うと言われたことがあった。
いつもの、ぴりっとした空気がなくて、ふんわりとしていると。それを彼は「双子の兄弟ゆえ」だと受け止めていたようだったが……。
「あの時、森生社長にとって颯真先生はやはりすべてを許せるアルファの身内なんだなと思ったんですが、今回の話を聞いて、腑に落ちたというか……。それを思い出しました」
なるほど、と潤は思った。あの時、確かに片桐の気づかれたかもしれないと潤自身は感じたところはあったのだ。鋭いジャーナリストの視線に晒された気分だった。
「……片桐さんは、本当に勘が鋭い方だ」
吐息のように漏れる一言。
あの時、潤が片桐に問われて答えたのは、潤と佐賀の因縁の関係だった。佐賀が解雇された理由、それは彼から潤はフェロモン誘発剤であるグランスを投与され、不定期な発情期に突入し、辛い経験をしたという、あの話だ。
あれは、潤と颯真にとっても一つの大きな転換点だった。二人の間に流れた微妙な空気を、片桐は無意識に読み取ったのかもしれない。
「颯真と一緒の時にお伝えした話は、僕たち兄弟にとって大きく関係性が変化を遂げるきっかけの出来事でした。おそらく、そんな僕たちの雰囲気を片桐さんは敏感に読み取られたのですね」
潤は、片桐さんには敵いませんね、と白状した。
「それで、私は気持ちの準備ができたということですね」
片桐はそのように頷いた。この人物もまた柔軟な思考の持ち主なのだなと潤は思った。
「今回のお二人の話を聞いて、私は思いましたよ。まるでお二人は『運命の番』みたいだなと」
本来であれば番になり得ない二人が、なんの因果か番関係を認識してしまった。こういうケースこそ運命ではないかと私は思いますよ、と熱い言葉が続く。
「運命ですか」
たしか和泉にも以前言われた。これだけ強い絆があれば「周囲に運命の番だと言っても納得されるのではないかと」と。
なるほど、と潤も考える。
それもありだが、自分で言っても説得力はないだろう。
「運命の番って、医学的には解明されていないそうです。イメージが先行しているのでしょう」
潤の言葉に、片桐が吐息をついた。
「……ですね。運命の番に振り回される世間とはいい加減なものです」
世間は単純化された、伝わりやすい事柄を好むのだ。
「でも、今回の件はいざとなったら、そのような手もありだと思います」
片桐が和泉と同じことを言ってる。そう言われて少し気が楽になって、通話を終了させた。
そして、夜には母茗子から連絡が入った。
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作中にでてくる、片桐と森生兄弟の会話は3章38話、和泉が潤に対して運命の番みたいだと言ったのは3章63話です。
復習されたいというありがたやな方はぜひどうぞ。
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