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「お前も疲れただろ」  颯真にそう労われて、潤も素直に頷く。ここで意地を張って強がる必要はないと知っている。 「まあね、自分のことを小声で話されてるのがわかるって……正直かなりストレスだよね」  すると颯真が背中をポンポンと叩いて慰めてくれる。その仕草には何よりもの癒し効果がある。 「ふふ……」  思わず嬉しくなって、笑みが漏れた。 「わかる。俺もそうだった」  颯真も頷いてから、そうだ、と潤に紙袋を手渡す。ボトル用の紙袋の中身は、ワインボトルだった。 「早く帰れたし、あとで一緒に飲みたいなって思って。サングリア作ってやるよ」  颯真が言った。彼は赤ワインをグラスにそのまま注いで飲むが、潤はスパイスや果汁を入れて飲むのが好きだ。冬はホットワイン、暖かくなってきたらサングリアが定番。ともに颯真のお手製だ。 「ご飯できてるよ」  颯真が自室で着替え、スーツからラフな格好になってダイニングに戻ってくると、潤が整えた食卓を見て、すごいな、と呟いた。  颯真自身が作ったものだと忘れているわけではないだろうに。自分は温めて盛り付けて、お湯を沸かしたくらいだと潤は苦笑する。 「自分で作った料理じゃん」  そのように突っ込むと、そうなんだけど……、と彼も頷く。 「潤が用意してくれていたから、特別にそう感じるのかな。ありがとう」  こんな他愛のないことに喜んでくれるなんてと、気持ちが温かくなる。  潤は淹れたてのお茶をテーブルに置いて、颯真と共にダイニングテーブルに着く。  いただきます、と挨拶をして黙々と箸を動かし始めた。  颯真のハンバーグは冷凍されていたとは思えないくらいジューシーで美味しい。デミグラスソースも完璧。 「ん〜。おいしい」  今日は朝も昼も気が張っていて、あまり味の記憶がない。ようやく安心できる場所で、温かいものを食べられているという気がしてきた。 「自分で作ったものにこう言うのも……なんだけど、安心する味だな」  颯真の言葉に潤も頷く。  馴染みの味というのは、気持ちも安心する。颯真のハンバーグは母茗子の直伝で、昔から食べてきた味。料理を覚えたての頃に茗子から教わったレシピで作っているという。  美味しくて懐かしくて、自分が安心できる場所に帰ってきた、としみじみ思う味だ。 「颯真はお昼に何を食べたの?」  そのように潤が聞くも、パンとおにぎりという返事。昼食は病院の食堂でよく食べるという話を聞いていたので、忙しかったのだろうか。それとも……。 「少し他人の目が気になる日だったしな」  そう颯真が箸を動かしながら淡々と言うので、潤も頷いた。 「そっか」 「自分の意識の問題なんだけどさ」 「わかる。僕も昼は廉にサンドイッチを買ってきてもらった。なんか人が多いところに行く気になれなくて……」  気を張ってたのか、ようやく今食事をしてる感じがしていると潤が告白すると、目の前の颯真も顔を上げて、俺も同じだと笑った。 「あの記事、読んだか?」  そう颯真に問われて、潤も頷いた。読んだ、と。ちょっと消化に悪そうな話になりそうだ。 「どう思った?」  そう問われて、潤はあの記事を思い起こす。 「うーん。あそこにペア・ボンド療法に絡めてきたのは意外だったかなって」  潤の言葉に颯真は頷いた。 「結構刺激的なタイトルだったな」  潤もあのタイトルを見た時に衝撃を受けたのでわかる。 『禁断の治療法(ペア・ボンド療法)の仕掛け人が育む禁断の兄弟愛』と書かれたタイトルは、多くの人にどう思われたのだろう。 「颯真はともかく、僕は仕掛け人じゃないし、雑で誤認を生みそう」  廉が怒ってたよ、と潤が言う。 「タイトルでしか煽れないのに、正論を振り翳して責められるほどに清廉潔白な媒体か、ってね」  そう言われてスッキリした気分になったし、潤自身も落ち着いた。  颯真は、笑みを浮かべた。 「お前の秘書は相変わらず切れ味抜群だな」  そうだね、と潤は頷いた。頼りになる親友を思い浮かべる。  夕食を摂りながらの会話としてはふさわしくはない話が続くが、思わず聞いてしまう。潤も気になっているのだ。 「今日、颯真の方はどうだった?」   「んー。あまり俺の前で否定的なことを言う人はいなかった。むしろ結構気遣われた」  そんな言葉に潤もまずは安堵した。大切な颯真が傷つかなくて良かったと。 「患者さんはまだ知らない人も多いみたいだから聞かれなかったし……」 「病院としてはコメント出していたよね」 「うん。事の真偽は問われたし、森生メディカルの対応とかも鑑みて、あのコメントを出したみたいだ」 「大丈夫だった?」  潤の問いかけに、颯真は微笑んで頷いた。 「平気。上はともかく、周りはもう学会が近いからそれどころではないし。うまく躱せたと思う」  そうかと思い当たる。アルファ・オメガ学会は今月の下旬だ。 「そうだよね。もうすぐだもの」 「だから、むしろペア・ボンド療法なんて書かれて敏感になってる部分もあってさ。そっちの方が問題かも」 「………」  確かに。タイミングとしては良くない。今年の学会では最終日にペア・ボンド療法の結果が発表される予定だ。潤が考えているより、医療現場ではずっと深刻に捉えられているようだ。 「あと、和泉先生から連絡をもらった」  当然、ペア・ボンド療法を引き合いに出された記事だったので、和泉の耳にも容易に入ったのだと想像できた。いや、それ以前に他社のMRが営業ルートで伝えてくることだってあるだろうし……。 「和泉先生にはずいぶんお世話になっているのに、心配も迷惑かけてしまってるね」  潤の吐息まじりの呟きに颯真もそうだなと頷く。そして、颯真は真剣な表情で潤を見た。 「あのさ、和泉先生も俺の上司も同じことを懸念していたんだ」 「同じこと?」  潤は素直に問い返した。 「この騒動が、ペア・ボンド療法に飛び火しないかってことだ」

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