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 自分たちのプライベートの話から、ペア・ボンド療法に飛び火……。  その懸念に最初は驚いて目を丸くしたものの、ないとは言い切れない。十分ありうる話だと思い直した。  しかしそれは、無意識にぼんやりと懸念していたことを、颯真にズバリ言葉にされた形だ。潤はショックを受けた。正直そこまでの状況の悪化を考えたくないとも思った。 「……それは、さすがに飛躍してるんじゃない?」  思わず楽観論を口にしてしまう。リスクとしては考えなければならないが、相手が颯真ということで甘えている部分もあるし、なにより今日は気持ちが疲れていた。  ペア・ボンド療法の臨床試験は誠心医科大学とメルト製薬、そして厚労省も絡む産官学の一大プロジェクトだ。森生メディカルは、最近になってそこに片足を突っ込んでいるに過ぎない。  そんなことは最近の報道を見れば明確なことだ。  また、すでに自分たちの話でどうこうなる以前に、ペア・ボンド療法は、まだ発表されていないとはいえ高い成功率が示されている。世論などで容易に覆されるものではない……と思った。  そんなことを潤は颯真に言い募ってみたが、颯真からは芳しい反応は得られない。どこか悩ましげで……。潤は口を噤んだ。  すると颯真は「ごめんごめん」と謝った。 「不安にさせるつもりはなかったんだ。ただ、和泉先生や上司からそんなことを言われて……、確かになって思った部分もあったから。  でも、俺も少しネガティブに考えすぎているのかもしれない」  いろいろな可能性があることだけは頭の隅に入れておいた方が良さそうだけどな、と颯真が言った。  そう言って、食器を片付けるために立ち上がった。 「ところで、お前の方はどうだった? 廉が怒り心頭だったって話はわかったけど」  颯真が森生メディカル社内の反応を聞いてくる。二人で食器を片付けている時だ。  颯真が、皿を軽く水洗いして食洗機に並べるのを潤は眺めつつ頷く。 「上層部は変わりないよ。昨日の感じだった。社内は……社内向けのコメント出してから、少しざわついた感じだったね」  ざわついた、というのは昼間のことだった。それは昼過ぎに出した、社内向けのメッセージのことだ。経緯を説明せずに対応策だけを伝えたのだから、何も知らない社員がざわつくのは仕方がない。  潤は少し凹んだものの、藤堂の言葉に救われた。彼もフォローしてくれたみたいだし……と、あのファニーフェイスを思い出す。 「廉の他に同期も心配してくれたよ」  すると颯真が少し好戦的な目を煌めかせる。 「なにそれ、あいつ? 藤堂氏」  颯真があえて「あいつ」と呼ぶ相手。潤は苦笑した。 「颯真はなにかと藤堂を敵視するね」  敵視というよりは……同じアルファとして気になる存在なのだろう。颯真は頷く。 「そりゃそうだろ。  お前の香りを嗅ぎ分ける奴だもん」  颯真の行動原理にはすべて自分がいるというのを実感して、潤はオメガとして密かに満足する。そんな小さいけれど強い独占欲に颯真は気がついているのだろうか。 「そうそう、父さんから連絡がきた」  続いて颯真はそんなことを言い出した。 「父さんから?」  父和真は多忙で、潤でも捕まえるのは難しい。颯真に連絡があるのは珍しいことだ。 「心配してくれたんだと思う。お前は何があっても潤を守れって言われた」  父和真が颯真に連絡を入れたのは、おそらく彼がアルファだから。番をきちんと守れと、親として先輩のアルファとして、彼に言っておきたかったのかもしれないと潤もその意図を感じた。  両親には今回のことで心配をかけていると申し訳なく思うが、颯真を見ると、この状況なのに少し嬉しそうだ。 「あと、和臣さんからも」  意外すぎる名前が出てきて潤はさらに驚く。先日の皐月会であった、父和真の再従兄にあたる人物。あの時は鋭い追求を受けたが、普通ならば年単位で連絡など来ない人だ。ほとんど交流がないといっていい。 「あの人も、ちゃんと潤を守ってやれって。なんていうかさ、アルファって本当にオメガのことしか考えていないんだなって思ったよ」  颯真は苦笑気味。「アルファの行動原理は番のためだよなあ」と、そんなことを言ったのだった。  潤はそれとは違う感慨を抱く。それまで森生家のアルファからそんなことを言われたことはなかった。これまでの森生家次男とは異なる、「森生家の長男である森生颯真の番となるオメガ」が受ける待遇というものを実感した。初めて見る世界だ。  ただ、そんな沈黙も不安を感じていると思われたのかもしれない。 「風呂に入ってくる。出てきたら軽く飲んで、嫌じゃなかったら気持ちがいいことでもしよう」  颯真はキッチンの水道を止めると、潤の耳元でそう甘く囁いて、首筋に軽くキスをした。  事態が変わったのはその翌日だった。  午前中に経営会議、そして午後いちで営業会議に参加してきた潤が、社長室に戻ってきたのは十五時を過ぎていた。昨日のざわつきはどこへといった感じで、潤の周りはいつもの空気が流れていたのだが……。  部屋に戻って早々、江上が入室してきた。 「社長、お疲れのところ申し訳ありません」  潤はジャケットを脱いでチェアに腰掛けたタイミングだった。これからメールを捌こうと思っていたのだけど、彼の口調が少しいつもと違っていた。 「……いや、大丈夫。なに?」 「昨日の記事でネットが湧いてます」  突然すぎて、何を言われたのか最初は潤もよく分からなかった。 「どういうこと?」  聞けば、昨日の記事の関連投稿がSNSで拡散されているそうなのだ。それがちょっとした話題になっているらしい。 「え?」  百聞は一見に如かずとばかり、江上がスマホで見せてくれる。  潤は思わず息が止まった。 「え、報道の双子って“そういう関係”って本当? 正直あり得ないし、倫理的にどうかしてる。 これが当たり前みたいに流されてるの、怖すぎない?」  こんな投稿が目に飛び込んできたのだ。心臓を鷲掴みにされたような衝撃だった。

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