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 さっと、冷たいものが上から下に流れた気が、潤はした。  思わずそのまま江上を見てしまう。驚き衝撃を受けているその目は感情の全てを彼に伝えてしまったようだ。ただ、その反応は有能な秘書には想定内だったのだろう、彼は潤を気遣った。 「大丈夫ですか」 「……う、うん」  胸を撃ち抜かれたようなショックを受けていた。  こんなダイレクトな批判が出てくるとは……可能性はあるとは思っていたが、深くは考えたくはなかった。  最初に「倫理的にどうかしている」という言葉が視界に入り、さらに「怖すぎない?」。あまりに攻撃的な言葉に息が詰まりそうだ。  これは自分たちの関係を言われているのだろうか……そうなのだろう。言われているのだろう。それが普通の感覚なのだろう。  少しスクロールしてみると、件の記事の投稿を引用した形。  その上にはハッシュタグ。 「#週刊東都 #スクープ」というタグにさらに驚いたが、その後に続く「#倫理破綻」、「#番とは」、「#社会が壊れてる」綴られている攻撃的なワードに、息を呑んだ。  この投稿はかなり拡散されていて……と江上の声が被る。実際かなりの数の「いいね」が積まれていた。 「さすがに貴方は見ない方がいいです」  そうぴしっと言われて秘書にスマホを取り上げられた。潤もそれ以上は言わなかった。この先を見る勇気は、正直なところ今はない。一体どんな言葉が踊っているのか。  確認しないといけないのかもしれないが、怖くて見られない。  そう、怖いのだと潤は自覚した。 「香田部長がこの件でお時間をいただきたいそうです。大丈夫ですか」  江上の言葉に、少し躊躇う。いや、躊躇う余地などないのだ。ただ、どんな話が出るのか、部下からの報告を初めて潤は怖いと思った。  すると江上が潤の背中に触れる。 「大丈夫です。わたしが隣にいますから」  そう言われて、頷いた。 「わかった」 「社長、お疲れ様です。お忙しいところお時間をいただいて、大変申し訳ありません」  香田は入室してから最初にそう言った。彼の様子は変わりなくいつも通りだったので、潤も動揺している本音はともかく、一気に通常モードにスイッチが入った。 「大丈夫です。SNS拡散の件ですよね。どのくらい広がっているのでしょうか」  落ち着いて受け答えができた。  彼を迎え入れながらの問いかけに、香田は少し躊躇いがちに告げた。 「かなり広がっています」  潤は頷いたが、思わず少し気持ちが沈んだ。  そうだよなあと本音では思うのだが……。  香田は多忙にも関わらず、この件についてかなり調べて報告に来ている様子だった。経緯も把握していた。 「もともとの投稿は今朝でした。そこから一気に拡散したようです」  昨日は報道初日ということで、広報部でもかなり注意深くネットを見守っていたものの、予想していたよりも静かで、このまま沈静化してくれれば……と思っていたという。  この投稿は、報道から丸一日経ってから投稿され、引用元はもちろん、オルムの公式アカウントも拡散に一役担った様子で、みるみる間に広がっていったとのこと。朝の時間というのもあって、多くの閲覧者に触れ、それがさらなる広がりを見せたらしい。  隙をつかれた形かもしれない。ここまでくると、どうにもならない。  表に出てはこなかった燻りに一気に着火したようだと、香田は報告した。 「SNSだけではなく、他にも飛び火していて、ちょっとした炎上状態になっています」  その報告に潤は密かに吐息を漏らした。そうならなければいいと懸念していた方向に、事態は進んでいる。  香田によると、トレンドにはいくつか刺激的なハッシュタグが上がってきていて、単純に嫌悪感を示した人、報道に便乗した人が積極的に使って、波が作り出されているらしい。 「きっかけとなる投稿をした人物は、ネット上ではオルムの思想に近く、……過去には差別発言に類する投稿もしていました。近しい人間……関係者かもしれませんが、現状では把握てきでいません」  香田に提示されて、潤もその投稿と覗く。隣に江上がいてくれるから、落ち着いて距離感を持って見ることができた。  攻撃的な投稿が視界に飛び込む。 「製薬会社の社長とドクター? まじで兄弟で番なの? 禁断すぎる」 「個人の自由は大事だけど、これはあまりに一線を越えすぎている」  ……言われたい放題だ。思わず唇を噛む。  それらの発言に、「倫理観破綻」、「禁断の兄弟愛」、「社会的に許されるの?」といった刺激的なハッシュタグが添えられている。  自分と無関係であれば、刺激的な表現はいくらでもできるよな、と潤はあえて距離をとって見た。  香田によると、ここまで広がると、議論は賛否両論の様相を呈してくるそうだ。 「倫理的に問題がある、という主張に、いやいや当事者の自由もある、という反論も出てきて、かなり沸騰しているのが現状です」  さらにそこにまとめサイトやネットニュースが取り上げ始め、その上テレビと広がりそうな様相で……と、ここまでが現状の報告だった。  それを受けて潤は本題に入る。 「ここで我々ができることは……?」  潤の問いかけに、香田は即答した。 「静観です」  潤も無言で頷いた。 「飽きれば他の話題に移っていくから……、耐えるしかないね」 「はい。沈黙は最大の防御です」  香田は言う。  正論だ。 「ただ、何もしないわけには参りません。今は社長個人の話に留まっていて……これも困った事態ではありますが……これがどのタイミングで会社や誠心医大といった組織の批判に広がるか……。責任問題まで発展することを懸念すれば楽観はできません。  社内にはこれまでも業務に関するSNSの投稿は禁じていますが、再度のアナウンスをしたいと思います。また、関係先の問い合わせには迅速に対応していきます」 「以前のように一般消費者からの問い合わせやクレームみたいなものは?」  潤の問いかけに香田は、まだないとのこと。とはいえ、今後増えることも含めて対応策を考えるといった。 「わかった。負担が重いかもしれないけど、よろしくお願いします」  そう言うと、香田はお任せくださいと頷く。 「関係先にコメントを求められたら如何しましょう」 「私の方で社長のコメントは準備しておきます」  江上の言葉に香田も頷いた。 「よろしくお願いします」  香田は一礼をして退室した。

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