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森生メディカルの親会社、森生ホールディングスの本社は東京大手町にある。森生メディカルと森生システムを中心とした森生グループの事業を取りまとめている。
社長は、森生メディカルの前社長の森生茗子。白いブラウスにベージュのパンツ姿で、自宅のようなラフな姿ではないが、それでも休日出勤のためか気楽な装いだ。
一方、親会社に呼び出されたので、潤はいつものようにビジネススーツ姿だ。
「わざわざ来てもらって悪いわね」
土曜日にわざわざ呼び出されたとなると、深刻な事情があるのだろうと、潤も察する。いや、深刻な事情にみまわれているのは、むしろこちらなので、適切な対処をとれと釘を刺しに呼び出したのだろうということは、想像がついた。
ただでさえスタッフが少ない親会社で、さらに土曜日となるとほぼ無人。江上を伴って行ってみれば、向こうも出迎えるのは秘書くらいなもの。
潤が社長室に入ると、そこには茗子のほかに、驚いたことに侑がいた。
森生侑。皐月会のメンバーで、父和真の再従弟にあたる。父和真よりもいくつか年下のアルファで、少したおやかな印象がある。森生ホールディングスでメディカル事業の取りまとめをしている立場上、茗子との面会に同席するのだろう。
その存在に潤が驚いていると、いつもの気さくな様子で「まさかこんなにすぐに会うことになるとはね、元気? いいゴールデンウイークは過ごせた?」と挨拶してくれた。
森生ホールディングスの社長室といえど、茗子と侑だけで、わずかに身内感が出る……。
「侑さん、こんにちは。お騒がせしており申し訳ありません」
潤が挨拶する。
身内に対して強い警戒心が湧くわけではないが、茗子はともかく侑は皐月会のメンバーなので、潤は咄嗟に気を引き締めた。
あれだけ言い切った手前、ここで醜態をさらしたくはないし、皐月会で話したことが実行されていないと思われたくもない。また、あの皐月会で決定されたことを反故にされたらたまらない。
「まあまあ、そんな緊張しないでよ」
そんな潤のわずかな緊張を、侑は年の功ともいえる余裕で見抜いた。この人には何を繕っても無駄なのかもしれない。
「……図らずとも、この間話したようなことになってしまったね」
そうなのだ、あの時侑は「もし二人が番うということを『周り』が許さなかったらどうする」と聞いてきた。周りとは、潤の部下や取引先、森生メディカルの薬剤を扱う医療関係者や実際に使う患者のことだ。兄弟で番いたいという、おぞましい双子が関係している会社の薬剤を使いたくない、汚らわしいと拒絶されたらどうするか、と問われた。
「そうですね。正直、あの時は真剣に考えていると思っていましたが、実際にそうなるとやはり動揺します。まだまだ修行も経験値も足りません」
控えめにそう言ったが、割と本音だ。
「そんなこと言うなよ。これは二人にとっての試練だし、試練は乗り越えるものだ。僕は潤のあの時の言葉を信じているし、二人の絆もね。うまく切り抜けてくれることを願ってるよ」
侑のエールに潤は、驚きつつ、ありがとうございます、と返した。てっきり高みの見物だと思っていた。理解者がいるというのは大きい。
「私も侑さんも今回のことを心配しているわ。正直あのような形で表に出るとは思わなかったもの」
茗子も事情は察しているので、その言葉に潤も頷いた。
「僕は公人ではありませんし、颯真だって治験に関わっているといえ公の立場ではありませんから、ここまで派手に書かれると思いませんでした」
「内容がセンセーショナルというのが大きかったのかもね」
「かもしれませんし……、僕は東都新聞社とはいまいち相性が良くないのというのも……」
「ああ、あるね、そういうの」
侑が頷いた。茗子も大会社を率いる身、マスコミとの距離感には理解がある。
「災難ね。
こちらとしては、森生メディカルの状況は理解しているつもりよ。現状ではすべてを任せて静観するつもりだけど、ステイクホルダーが騒ぎ出したら抑えられない、ということだけは理解しておいてほしいの」
「承知しています」
茗子の言葉に潤は頷いた。二人の立場を考えれば当然のことであり、むしろそれを事前に知らせてくれたところに身内の情さえ感じる。
「飯田さんと話したところでは、話題の中心はペア・ボンド療法に移りつつあるということですが、これ以上の拡大は避けたいので、対策を進めています」
ネットの批判がペア・ボンド療法に移りつつあると判断した誠心医科大学は、森生メディカルとメルト製薬とも協議した上で、ペア・ボンド療法の実施を了承した倫理委員会名義で、昨日の夜にコメントを発表した。
ペア・ボンド療法は適切な倫理審査を経て了承され、行われている臨床試験であること、また結果については二週間後に行われる「アルファ・オメガ学会」で学術発表するといった内容。
当初から、双子のスキャンダルからペア・ボンド療法に飛び火することを懸念していると颯真も言っていたので、水面下で準備を進めていたのだろう。リスクマネジメントとして迅速で冷静な対応だと思うし、長谷川も同様に評価していた。
公式発表がそのような対応を見せたことで、ネットの反応はわずかに落ち着いた。
潤の説明に茗子は頷く。
「承知しているなら問題はないわ。
颯真はどう? 帰ってきている?」
茗子の問いかけに、潤は首を横に振った。
「颯真は木曜日から帰ってきていません。一昨日は目が離せない患者さんがいるとのことで、昨日は夜勤です」
そういうと、通常の勤務体制に近いと思われたようだ。ならばいいのだけどと茗子は言った。潤は思い切って茗子に声をかける。
「母さん、颯真も僕も大丈夫。心配しないで。父さんにも心配をかけてると思うから、そう伝えて」
そういうと、茗子は嘆息するように「そう」と言って、わずかな安堵の表情を見せた。
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