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その日の夜のことだった。
潤自身が驚くような内容が、SNSを中心に静かに広まっているのを見た。
それは、森生メディカル内部から、とされる不和情報だった。今回の件で、これまでそつなくまとめ上げていた社長の求心力が薄れ、社内に不満が出始めているという内容。
潤はそれを見つけて、思わず目を剥き二度見をしてしまったほどだ。それは一体どこの森生メディカルの話なのだろうかと。潤とて当然ながら、すべての社員の本音を知っているわけではないので、このような情報は絶対に出てこないと言い切れはしない。しかし、業務においてSNSの使用を禁じている現状、真偽はともかく、このような情報がこのタイミングで外部に流出しているとは思えなかった。
一体どこから、と思わず唸った内容だった。
「関係者によると、森生社長の采配に不満を持つ者も少なくないようだ」
そんな風にさらに煽るように締められた投稿が、広がりを見せていく。餌を撒かれたようなものか……。
それを見て、潤は江上と飯田に連絡を取り、すぐに事の真偽を確認するように指示した。二人ともキャッチしていない情報だという。普段であれば気にならないようなものだが、その言葉に励まされたが、今は何が傷口を広げるか分からない。潰せるものは潰しておかなければ。
それにしたって、こんなに憎まれるものなのだろうか。
そのように考えて、メンタルが急激に沈んだが、即断で意識的に蓋をした。今落ち込むのは良くない。
とはいえ、考えずにはいられない。とっさに脳裏に浮かんだのは、一昨日の出来事。自動販売機に寄った帰りにエレベーターで偶然乗り合わせた二人の女性社員の反応だった。
自分の知らぬ間に、社内ではあのような嘲笑めいた反応が社内に蔓延しているのだろうか。それが「求心力の低下」を招いて、このような情報が流出する原因となっているのか。
潤は出社しても普段の執務は社長室で行うし、あの記事が出てからというもの、少し社員の前に顔を出しにくい気持ちもあって避けている、という隠し難い本音がある。そのような気持ちの弱さがあるから……その報いなのかと、心は疑心暗鬼に駆られた。
社内の不和は、江上はもちろん、飯田や大西、藤堂からも聞いたことはない。関係者が気を遣って口を噤んでいるという可能性もゼロではないが、隠してもいずれ分かることで、隠すことに意味はないことを、彼らは知っているだろう……。
だけど、なのか。
少し待て、落ち着け、と潤は波立つような自分の気持ちを深呼吸で宥めようとする。何を信じればいいのか分からず、気持ちも思考も混乱している。
早まるな。気持ちを落ち着けて、フラットに。冷静に判断をしなければと自分を宥める。
まずはこの情報元がどこなのか、だ。そして、この情報が事実なのか否か……。
久しぶりの颯真のこれから帰るというコールに、しばらくの間混乱し、荒れていた潤の気持ちは少し宥められた。
ここ数日、目が離せなかった患者は落ち着きを取り戻し、仕事もつつがなく終わって数日ぶりに帰宅できるとのこと。ご飯を作って待ってると返信して、冷凍庫を漁り始めたところで、再びスマホが鳴った。
今度は飯田から。
先ほど調査を指示した件で判ったことがあるという。
それによると、件の情報を一番最初に発信した「発信源」は、週刊誌『週刊東都』に所属する記者の個人アカウントとのこと。
投稿内容は個人の見解に基づくもので、所属組織や団体のものではない、と投稿スタンスを明記しているものの、この人物が投稿することで、きちんと裏付けが取れた記事であるかのように内容が拡散されていた。
このような先走りの情報に何度惑わされるのかと、潤は呆れ返るが、そのような軽薄さゆえに何度も利用されるのだろうと思った。
「脊髄反射のように拡散ボタンを押すんでしょうねぇ」
飯田は呆れたような口調を隠さなかった。
「分かりました。休日で申し訳ありませんが、すぐに動いてください」
飯田はすぐに顧問弁護士に連絡を取り、対応策を話し合うとした。
「どうした、ずいぶんな顔をしている」
帰宅早々、颯真にはそのように見抜かれて潤は苦笑した。ずいぶんな顔とは、どのような顔だろうと思いつつ、颯真には敵わないと改めて思う。
「そんなひどい顔してるかな。こっちは少しトラブルが多くて……。颯真は大丈夫だった?」
そう聞くと、彼は頷く。こちらは大丈夫だと。その受け答えには違和感がないので、潤もならばよかったと頷いた。多少の休息時間は取れるのだろうが、ほぼ四日働き通しだったに違いないのに、片割れはきっちりとスーツを着こなして凛々しい雰囲気。現金なもので惚れるなと思う。
「トラブルって……例の記事がらみだよな」
颯真の問いかけに、潤はうんと頷いた。これまで兄弟ではあまり仕事の内容に踏み込んでこなかった。それはあまりに近い部分で異なる仕事をしているため、仕事の話を気軽にすることで互いの機密領域に踏み込むようなことがないように、との気遣いでもあった。しかし、今は同じトラブルを抱えているし、自分以上に颯真はペア・ボンド療法に関与しているため、些細な情報を共有しておくべきだと判断した。
「うん。今度はネットで社内の不和情報が流れてるみたいで。……身に覚えはないんだけどさ」
そう軽く頷くと、颯真はジャケットを脱いで振り返った。
「偽の情報が流されている、ということ?」
潤は頷いた。偽情報と確定はしていないが、そうであってほしいという気持ちもあって頷く。
「もう参るね。今、真偽を確認してもらってる。その情報の漏洩元も確認中で、そのあたりがはっきりすれば正式に動くと思う」
もうタチが悪いよ、と潤は愚痴まじりに嘆息した。
すると颯真が突然潤を抱き寄せた。温かい胸に抱き留められて、そのやるせない気持ちも同時に受け止めてもらえたような気がして、安堵する。
「よしよし」
背中を優しくさすってくれて、お前は正しいというように、胸に顔を埋める後頭部も、やさしく撫でてくれる。思わず深呼吸。安堵感が違う。
ここにきて、自分のなかで颯真が足らなかったのだなと潤は自分の不調を理解した。
「社長は大変だな」
「……連勤が続く森生先生ほどじゃないよ……」
そんな言葉が返せるまでに颯真を補給して、顔を上げる。
「ありがと」
「どういたしまして」
「そういえば、母さんたちにも呼び出されたよ」
潤がそう報告すると、颯真が驚いたように顔を上げた。
「母さんが?」
「侑さんもいた」
「それは驚きだ、っていうか俺たちの話が背びれ尾びれがついてそこまで大きくなったってことか」
颯真の言葉は冷静だ。潤も頷く。
「事情は察しているけれど、こちらも周りの反応次第では静観しかねるケースもでてくるかもしれないって話してた。もうそれは仕方がないと思う」
「俺も何か手伝えるといいんだけど」
そんな言葉に潤は首を横に振る。
「いや、颯真には颯真のやるべきことがあるから。ペア・ボンド療法はこんなところで……世論なんて曖昧なものに潰されていい治療法じゃない」
潤がはっきりとそう言うと、彼も静かに頷く。その通りだ、と。
その片割れの強い意志を目の奥から感じ取り、潤は満足した笑みを浮かべた。
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