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その日の午後、夕方近くなり、潤はとうとう森生メディカルの親会社である森生ホールディングスに呼び出された。
それはどのような内容で呼び出されるのか。潤は数日前に社長の茗子と取締役の侑の二人と面会した中で予告されていた。
全てを任せて静観はするが、主要取引先などステイクホルダーが騒ぎ出したら押さえられないということは理解しておいてほしい。そのように言われていたので、このタイミングでの呼び出しは、先程まで潤たちが対応に追われていた、週刊東都の記者がばらまいた「流言」が、ステイクホルダーの危機感の琴線に触れてしまったのだろうとおおよそ予想がついた。
また、社長が大手町の親会社に呼ばれた、というのは社内でも完全に隠しきれるものではないようで、社内でもわずかな波紋が立ちつつあった。
そちらも気になるが、飯田に任せる。まずはこちら、と潤は意識的に前に視線を向けた。
皇居近く、外堀通り沿いの森生ホールディングスの本社ビルの地下駐車場に、潤と江上を乗せた社用車が、するりと滑り込んだ。
「森生社長、お疲れ様です。わざわざお越し頂きありがとうございます」
到着を出迎えてくれたのは、茗子の秘書。潤が親会社に出向くといつものように出迎えてくれる。週末に茗子と侑に内々に呼び出された時も、彼が対応してくれた。
潤は秘書に軽く挨拶し、帯同する江上とともに地下から地上にエレベーターで上がった。
案内されたのは、一階にある大会議室だ。
大きな扉の前で、それまで颯爽と前を向いてきた潤は振り返って江上を見上げた。彼は口を堅く閉じて、真剣で少し心配そうな表情を浮かべている。業務中にこんな感情がこもった表情を浮かべるのは珍しいなと潤は思う。
彼の心配は尤もであるような気もする。
車寄せから続くエントランスに入ったところから、独特の重い雰囲気を潤も感じていた。
だけど、大丈夫。潤はそう気持ちを引き上げて彼を見る。
「行ってくる」
潤が努めて軽く声をかけると、彼も軽く数回頷いた。
「行ってらっしゃい」
潤はノックをして、扉を開いた。
「失礼します」
入室すると、その先には錚々たる面々がいた。社長の茗子はもちろん、森生ホールディングスの幹部……取締役クラスのメンバーだ。もちろんその中には、先日茗子とともに出迎えた森生侑も含まれており、楕円のテーブルの彼の向かいの席には、森生和臣もいた。
何のために呼び出されたのかは明白で、現在炎上中の案件について。
潤と颯真の二人の恋愛スキャンダルから派生した話だが、事態はすでにそれだけには止まらない問題になりつつある。
一つはペア・ボンド療法の医学的な意義について。そしてもう一つは森生メディカルの舵取りを潤に任せている、事業持株会社、森生ホールディングスの管理責任について。
この室内は、多くの人間がいるにもかかわらず、重苦しい空気が漂う。それにうっかり飲まれてしまいそうになり、潤は冷静になるために何度か深呼吸した。
重い空気の中、目の前の茗子がまず口を開いた。
「森生社長、来てもらって申し訳ないわね」
「いえ…」
「状況について、まずは説明が欲しいわ」
その直接的な要望に、潤は一堂を見渡し、頷いた。
「承知しました。
まずは、先日より、私個人のことに端を発した報道でお騒がせしており、ご迷惑とご心配をおかけし、大変申し訳ありません。それらを含めまして、これまでの経緯についてご説明させていただきます」
そう口火を切る。
事の発端は、ゴールデンウイーク明け早々に掲載された『週刊東都』の報道記事。そもそも記事に関連した正式な取材はなく、接触は連休に入ったあとにメールでのコメントを求められたのみ。非常に悪意のあるものであるあったと、潤は断じた。
「コメントは形式上ですし、広報担当者によると、このような形は一方的な掲載通知の意味合いもあったとのこと」
これについて、森生メディカルは週刊東都に対し、厳重抗議を入れていると報告した。
想定外だったのは、その記事を発端としてネット上、特にSNSでの批判が大きなうねりとなったことだ。
「当初は静観の姿勢を取っておりましたが、しばらくして風向きが変わりました」
最初は潤と颯真のスキャンダルに対しての批判が中心だったが、二人がアルファ・オメガ領域では最先端となるペア・ボンド療法の臨床試験に関与していることが明らかとなると、批判はそちらに向いた。ペア・ボンド療法をはじめとする治験への信頼性への疑念だ。ひいては医療の倫理観に対する批判にも及んだ。
それに対しては、メルト製薬と共同で誠心医科大学病院との連携し、治験の実施を了承した大学の倫理審査委員会が否定のコメントを出すに至った。
さらに異なる動きが見えたのがつい先日、週末のこと。森生メディカル内での不和情報だった。これまでそつなくまとめ上げてきた森生社長がスキャンダルを契機に、求心力を失いつつあり、社内でも不満が溜まってきているらしい、と。
もともと記者の個人アカウントで発信されたミスリード記事で、流言だったが、背びれ尾びれが付いてのこの状況。ネットの批判は、親会社にまで向かっている。
それゆえに潤は、ここに呼び出された。
「現在、社内調査の結果でSNSに流出したような不満があるとの事実は確認されませんでした。どうも先方は、今年四月の組織改正に至るまでに社内で少々みられたネガティブな反応を『不和』と勘違いしたようです。しかも現在進行形の事案として発信してしまったために騒ぎが大きくなりました。
対応としては、すでに該当アカウントには削除要請し、完了しておりますが、その対応に不満を持った人たちが、さらに誤った情報を広げてしまい、現在に至ります」
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