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 潤の経緯説明に、室内は何ともいえない空気となった。こちらの手落ちはなく、静観が正解と考えているものの、現状では対応は後手、何もしていないと取られかねない。  少し付け足しておこうと判断する。 「ミスリード記事の拡散に関係したいくつかの扇動系アカウントについては情報開示を求めておりまして、近日中に明らかになるかと。こちらは顧問弁護士と相談の上、法的に対処してまいります。  また、当社が関わっておりますペア・ボンド療法につきましては、共同研究者であるメルト製薬と相談し主導する誠心医科大学の倫理審査委員会より、治験の正当性や今後の結果公表のスケジュールを声明として発信してもらうことで、沈静化を図っています」 「それで沈静化するかねえ」  そう疑問を挟んだのは、取締役の一人。  潤はその人物に対して頷いた。 「ペア・ボンド療法については心配しておりません。具体的に申し上げることはできませんが、治験においてかなりポジティブな結果が得られています。このような騒動下ではありますが、注目度は上がっているのでインパクトは十分かと。  当社へのミスリード記事については、個々を潰していくしかないと考えていますが、ペア・ボンド療法の批判が落ち着いていくに従い、こちらも長期化はさほどしないと考えています」  ターゲットはペア・ボンド療法と踏んでいる。圧倒的なインパクトを与えることでペア・ボンド療法への批判が落ち着けば、おのずと全体の波は引いていくと潤は考えていた。 「森生社長はミスリードと仰ったが、それは本当にミスリードなのでしょうか」  別の取締役が潤の報告に疑問を呈す。おそらく、社内でも潤が把握していない不満が存在していて、それが表に出たのではないかと言いたいらしい。 「調査では、先ほども申し上げましたように相模原研究所でそのような情報がかつてあったとのことでした。現状では確認されず、過去のこと、と判断しています」    しかし、その取締役は納得できない様子。今度は、はっきりと聞いてくる。 「そもそもそのような情報が上がってくること自体が、森生社長への不満の表れなのでは」  そう突っ込まれたら、潤としては言い返す言葉もないと咄嗟に感じる。 「ご指摘ありがとうございます。私の不徳の致すところです。社員の信頼をさらに得られるよう、精進します」  それが太々しい反応であると取られたのか、少し硬い空気に変質した。 「ねえ、森生社長」  茗子が呼びかける。 「我々としては、あなたがきちんと組織を率いていると評価しているのだけど、ここまで問題が顕在化してくるとグループの運営全体に影響も出始めるわ。  あなたはミスリードと言い切ったけど、相模原研究所でそのようなことがあったことは事実なのよね」  潤は頷く。 「はい」 「その原因の追究は終わっているのかしら」  そう問われて、潤は返答に窮した。 「……いえ。原因の追究には至っておりません」 「そう」  たしかに相模原研究所に広がった情報によって潤への信頼性が著しく下がったことはあった。これは、佐賀前管理部長の更迭理由が「森生社長の逆鱗に触れたため」という根も葉もない噂が流れたことが原因だったという話を聞いた。もちろん潤はこの原因の特定を指示したが、それには至らなかったのだ。  その噂の波が急速に引いていったためと報告を受けた。 「森生社長には、その原因の追究と社内の沈静化、この二点を早急に進めてほしいわ」  茗子の言葉が緊張感をもって潤に伝わる。 「相模原の噂の出どころの特定ということですね」  茗子は頷く。 「ミスリードとはいえ、きちんと潰しておくべき案件だと思うわ」  その言葉には反論もない。潤は頷いた。 「承知しました」 「少し難しければ言って。こちらからも人を出すわ」  そのように言われて、思わず身が固まった。思わず茗子を見る。茗子も潤を見据えた。  潤は、一同を見渡した。  茗子はもちろん、侑や和臣も厳しい表情を浮かべている。  やるせない気持ちを抱きつつも、一礼した。 「……承知しました。原因の特定に全力を尽くします」 「早急な沈静化を期待しているわ」  茗子がそのように締めくくった。 「どうでした?」  その後、無言で会議室を退室した潤は、無言のまま茗子の秘書に会釈だけして、立ち止まることなく社用車に乗り込んだ。  どうしても表に現われてしまう険しい表情が、秘書の江上も気になっていたのだろう。社用車が発車して、幹線道路に流れ出た途端、そのように聞いてきた。 「相模原の件、原因を特定せよときた」  潤が一言、報告する。 「今更ですか」 「あの話が外に出たのは事実だからね」  流れたのか、流したのか。もしかしたら、今も流れ続けているのかもしれない。 「あの時、きっちりやっておくべきだったな」  思わずそんな後悔も口に上った。 「藤堂が……彼が辿り着けなかったと言っていた件ですよね」 「そう」  あの時、潤は藤堂でも辿り着けない情報であったならば、誰でも難しかっただろうと判断した。  あれは正しかったのか、と今更ながら思い始めていた。  難しければ人を出す、と言われてしまえばこちらも本気でやらざるを得ない。 「特定できなければ、本社から取締役を出すそうだ」  そう潤が言うと、江上の表情が変わった。 「それは……」 「かなり避けたい事態だね」  親会社から取締役が入ってくるということは、それだけ潤の社長としての求心力が弱まることを意味する。社長としての資質を問われているということになるのだ。  これは下手すると、取締役会でのパワーバランスが崩れる可能性もある。  潤はたまらずため息を漏らす。 「ちょっと厄介なことになったな……」 ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ 相模原研究所の噂の話は3章35話、その調査結果の話は3章67〜68話です。復習したいというありがたやな方はぜひどうぞ!

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