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厄介なことになった、と口に出してしまったが事態はわりと深刻だ。
もし、取締役が派遣されることになれば、上層部の力関係に変化が生じることになる。そうなると、それまで社長のトップダウンで決められたことも場合によっては通らなくなる可能性が出てくる。
これまで潤は、研究開発部門を巻き込んだ全社的な組織改正や、ペア・ボンド療法の治験への参加、さらに藤堂が率いる「メディカル・アフェアーズ室」の新設など、会社の将来を左右する決断を、スピードを重視してトップダウンで行ってきた。これは、潤に社長としての求心力があったからこそできたこと。
もちろん、周囲や専門家の話を聞いて取り入れ、相談した上でのことだが、最終的な決断は自分だと思ってやってきた部分が潤には大いにある。それは社長として自分の責務だからだ。当然失敗すれば責任を取るのは自分という意識もある。今まさにその決断力が問われていると思った。
潤は車内でずっと考えている。
藤堂ができなかったという案件を、時間が経ってしまったというハンディキャップを負ってなお江上が突き止めることができるか。それとも、もう一度、藤堂にやらせるか。
迷う。
天秤が左右に揺れるように、潤はどちらにするjかと迷い続け、次第に最後に頼れるのはずっと信頼関係を築いてきた秘書である親友という結論を見出す。
とりあえず社に戻ったら、まずは飯田と大西に親会社の意向を伝え、対応策を練らねばなるまい。
三十歳のバースデーは、散々なものになりつつあった。
すでに定時はすぎた時刻だったが、親会社に急遽呼び出された潤を心配していたのだろう。品川の本社に戻ると、飯田と大西は社長室で待機していた。
「社長、お疲れさまでした」
帰社した潤を、いつもと変わらない様子で飯田が迎えてくれた。
「お待たせしましまって。わざわざすみません」
そう恐縮すると、さっそく大西から、親会社はどうでしたか、と問いかけが飛んてきた。
潤がデスクの前に設置してある応接セットのソファーを二人に勧める。そして潤も腰掛けた。
一呼吸を置く。
「親会社の意向としては、二つありました」
二人は身を乗り出した。
「一つめは、今回の炎上騒ぎとなったミスリード記事の情報流出元を特定すること。もう一つは社内の沈静化。以上です」
そして、潤は飯田と大西を見る。
「また、それが難しかった場合……」
二人と真剣な視線がかち合った。
「取締役が親会社から来ます」
そう言うと、二人の表情は目を細め、あからさまに渋いものに変わった。
「それは、厄介ですなあ……」
天井を仰いで大きなため息を漏らす大西。
「会社の上層部のバランスが崩れる事態ですね」
飯田も頷いた。
やはり二人とも同じことを考えている。長い時間、共に働いた茗子の意向は、お見通しなのだろう。
「これまでのようなスピーディーな経営判断ができなくなる。切実な事態です」
潤の言葉に、二人とも唸った。
「ミスリード記事の発端となった相模原研究所の噂ですが、確か社長は藤堂室長に指示をしたと聞いていましたが……」
飯田の問いかけに、潤は頷いた。
「ええ。彼に噂の出所の調査を指示しました。しかし、数週間経ってから、噂自体が急速にしぼみ無害化したので、原因追求まで至らずに終了しました」
そうですか、と頷く二人。
「藤堂君が……珍しいですなあ」
そう呟いたのは大西。なんだかんだと藤堂を買っているのは彼なのだ。
潤は大西に視線を向ける。
「私としては、この件は改めて江上に調査を進めてもらおうと思っています」
もちろん、藤堂に再度トライしてもらうことも考えたが、彼はそもそも仕事を多く抱えすぎている。それに、会社の行く末を左右する問題になりかねないと思うと、意思疎通がスピーディーに図れる江上が適任だと判断した。
「それがよろしかろうと思います」
大西は頷いた。飯田も頷いた。
潤が二人の了承を得て頷いたところで、秘書室にいる江上から連絡が入った。
「メディカルアフェアーズ室の藤堂室長が社長にお会いになりたいとのことですが……」
まさか藤堂の名前が出てくるとは思わず、潤はドキリとする。こちらから藤堂を呼び出してはいない。アポイントなしでやってくることは珍しいので、なにか急ぎの用事なのかもしれない。
しかし、その前にこちらの話が済んでいないので、潤は少し待って欲しいと伝え、再び幹部二人に向き合った。
「相模原の噂の出所は江上に託すとして、社内の沈静化については、きっちりやっていかねばなりません」
潤は、信頼する二人を見据える。
「私としては少し攻めの手を打ちたいと思っています」
先ほどとは一転し、少しワクワクしてる自分がいるのを、潤は自覚していた。
一体、二人はどのように評価してくれるだろうか。
潤の一言に、大西と飯田の視線は煌めいた。やられているだけではない。「攻めの手」という言葉に、興味を惹かれたようだ。
「ほう。お聞かせいただけますか」
大西が楽しそうに促してくる。
潤は頷いた。
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