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 雰囲気は、社長による部下への即興プレゼンの様相を呈してきており、潤も少し楽しくなってきた。  自分の提案を聞いてもらえるというのは、どのような立場になっても胸が弾むものだ。 「親会社から求められている『社内の沈静化』ですが……、振り返ると週刊東都に書かれた記事を発端にしていて、我が社としては静観する姿勢で来ました。これはネットの対応として最善で間違いはないのですが、少し消極的に取られたのではないかと考えています」  ネット、主にSNSでは個々に潰したとしてもそこから新たな火種が生まれかねない。しかし第三者が見ると後手に回った対応とも見えるようだ。親会社まで批判が及び、彼らはそのように判断したのだろうと、潤は感じたのだ。 「だから少し前のめりの対応にしたいと思います」 「前のめり、ですか」  大西の目が煌めいた。  潤も頷く。 「社員の立場からすると、やはり大型連休明けからの状況はおかしい。  いきなり報じられた社長のスキャンダルから始まり、それがあれよあれよとネットに火がつき、ペア・ボンド療法や、医療への不信、さらに親会社に対する管理責任の追求。真偽もはっきりせず無責任だけど、攻撃的なものばかりです。  これまで自分がなんの疑問もなく身を置いてきた環境が頭から否定されているというのは、やはり異様ですよね。あれだけ立て続けにやられれば、正しいと思うものも揺らぐでしょうし、何より不安になると思います」  潤のスキャンダルに対し、霧島をはじめとした感度が高い社員ほど反応が速かった。それだけ、過敏になっているということだ。 「この会社はこの先大丈夫なのか。そう感じる社員も少なくないと思います。それを払拭したいのです。明確なビジョンを示すことで」  潤の言葉に、大西はほうと、眉を上げた。飯田も少し驚いた表情を見せる。 「そうですね、イメージとしては理念に近いもので、これから森生メディカルがどのような形で社会に貢献していくかを道筋として示したい」 「社会貢献ということは、CSR……企業の社会的責任ということですね」  飯田の反応に潤は即座に頷いた。 「その通りです」  企業の社会的責任は「CSR」と略され、企業が利益追求だけでなく、社会や環境への配慮をもって行動する責任のことを指す。  本業とはまた少し違うもの。  社会の一員として法令を守るだけでなく、顧客や社員、株主、地域社会、取引先といった関係者に対して誠実に対応し、持続可能な社会づくりに貢献することが求められているとされる視点だ。  製薬会社は、そもそもの事業内容が医薬品の開発・製造・販売であり、それによって医療の発展進展に貢献するという視点の社会的責任がある。例えば、患者数が圧倒的に少ないため、採算が取れない薬剤の開発と製造・販売は企業の社会的責任に含まれるという視点は当然あろう。  企業の社会的責任を示すべき対象には、社員が含まれている。潤は考えているビジョンを社内に明らかにして、詳細を詰めてから公表したいと考えていた。 「一つのビジョンを、社員と作り上げる過程が、沈静化に繋がると考えています」 「一つのビジョン」  飯田が反復した。その先を求めている。  潤は二人を見据えた。 「私は、森生メディカルはすべてのアルファとオメガが豊かな人生を送れるよう、彼らの健康をサポートする企業でありたいと思っています。引いてはアルファとオメガ、それだけではなくベータも含め、第二の性による垣根がない社会、すなわち、多様性を尊重する社会の実現を目指したい。我が社はそんな将来を見据えたいと思っています」  森生メディカルは利益追求活動のほかに、そのような取り組みを見据えたい。それをどのようなメッセージで社会に発信するか。  全社員で将来を考えることで、足元の浮き足だった雰囲気もおさまっていくだろうと思う。 「CSR計画を策定するということですね」  飯田の言葉に潤は頷く。 「まずは社員との対話が必要だと思っています。今回の件は私の求心力だけではなく、決断力も問われていると思っているので、社員からの不安や叱咤は受け止めたいと思っています」  これまでトップダウンで行ってきた決断の数々が、部下に受け入れられていないのではないかいう懸念が、おそらく親会社の上層部にはある。  それを払拭するためにも、この過程は外すことはできない。 「社長がそうお考えになるのは分かりますが……」  飯田は少し渋い表情を浮かべた。 「私が出ていくことで当事者感も一体感も出ると思うのです。そのなかで社員との対話を通じて意見を十分吸い上げて、計画の立案を進めたいと」  真摯な対話によって、不安の払拭に繋がるだろう。対話は相互理解への第一歩だ。 「なるほど」  大西が頷いた。 「かなり斜めから来ましたな〜。この状況を、ちゃっかり自社のブランディング強化に利用しようということですな?」  にやりと大西が笑いかけ、潤もそれを笑みで受け止めた。 「その通りです」 「まさにピンチをチャンスに。強かなその姿勢、私は好きですな」  大西はそう言った。  しかし、飯田はその反応とは真反対だ。 「正直、そこまでせずとも……と私は思いますが」  嗜めるように、否定的な見解を見せた。 「とりあえずそのあたりは、社内を沈静化させた後に考えることであるように思うのですが……」  飯田は時に慎重な姿勢を見せる。それは潤にとって決して軽んじていいものではない。考慮すべき必要な視点だ。 「飯田さんのおっしゃることは尤もです。今何か動けば、また揚げ足を取られる可能性もある」  潤の反応に飯田も頷く。 「その通りです。今は慎重に動いたほうが良い時期だと考えました」 「これは江上室長の調査が完了してからにしようと思います。そうすれば外部に漏れ出る可能性も低くなる」  飯田が頷いた。 「可能性としては下がります」 「我が社は医療用医薬品と医療用デバイスを事業の主軸にしています。  医薬品は必要不可欠ではありますが、社会保障費の枠内のビジネスです。そのため極力マスコミの取材にも協力してきた。そうですよね」  潤は飯田に確認する。彼もうなずく。 「その通りです。公的保険の枠組みの中で収益を上げる以上、情報は還元するべきです」 「でも、マスコミは時と場合により敵になるということを、今回我々は身をもって体験した。社会との接点は、多ければ多いに越したことはない、と私は思っています」 「それゆえのCSRということですか」  飯田の確認に潤は頷いた。

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