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潤は自ら社長室の両開きの扉を大きく開き、視線で二人に退室するように促す。
「……社長?」
外で待機していた江上の驚いたような表情を見たが、それに応える余裕もなくて視線を外した。
空気は重苦しい。
潤の無言の圧力に、春日は大きな身体を小さくして、藤堂はしっかり一礼をしてから退室していった。
二人の背中を見送った後、さりげなく江上が入室してきたのがわかった。あの異様な雰囲気が気になったのだろう。
「社長……」
江上が気遣うように潤を見た。
その視線さえしんどくて、潤は目を逸らした。何を求められているのか、どう応えるべきかわかっているのだが、彼に話す気力も残っていなかった。
PCの電源を落としながら、重い口を開く。
「ごめん……。明日、落ち着いたら話す。とりあえず、今日は……帰る」
江上も何かただならぬことが起こったことは察知したようだが、彼は動じることなく承知しました、と頷いた。
「今日はいろいろありましたから。ゆっくり休んでください」
彼の優しい言葉が沁みる。ありがとう、と潤も応じた。
ここで無理矢理聞き出すようなことをされなくて良かったと、潤は思う。自分だって、最低限を繕えるかわからない。
「お疲れ様でした。良いバースデーを」
そう見送ってくれた。そういえば今日は誕生日だった。
本当に今日は散々で、これまで生きてきて、最低の誕生日だ。
どのように気持ちを整理すればいいのか分から
なかった。
これまで他人に騙されたことがなかったわけではないし、いいように利用されかけたこともある。いくら立場はあっても未熟だと見られれば利用されるのがビジネスシーンであり、騙す方も騙す方だが、見抜けなかった自分にも問題がある。まさに弱肉強食の世界だ。
だから隙を見せずに気を張ってここまでやってきた。
とはいえ、こんなふうに身内と認めた人間から「裏切られる」とは思わなかった。これまで無かったことが恵まれていた、のかもしれないが、とにかく初めての経験で、感情が硬直したように、自分の気持ちがついてこない。
裏切られる、という表現が適切なのかはわからない。だけど、膝から崩れ落ちるほどにショックで、なぜ、どうして、という疑問しか湧かない。
春日に対しては、なぜよりによって佐賀に、という想いが強く、そして藤堂にはどうして裏切ったのだという思いが湧く。
いや、もしかしたら藤堂から見れば裏切ったつもりなどなかったのかもしれない。彼は春日を庇っただけなのだろう。
だけど、どうして春日を。
そう思って、やるせない怒りをそのまま拳に、力を込める。手のひらに食い込む爪が痛い。唇を噛む。
そもそも藤堂に調査を指示した自分のミスであることは間違いない。
そうなのだ。自分の判断ミスが自分に返ってきただけの話……。そう思って、潤は気持ちが疲れて思考を手放した。
車窓に映る、陽が落ちた煌びやかな街並みをぼんやりと視界に収めつつ帰宅した。
自宅に戻っても、何かをする気にはなれず、スーツのままでリビングのソファーに横になった。こんなことめったにないし、自分の力が尽きてきているのを感じる。
颯真はもう帰ってくるかなと少し気にもなる。こんな姿を見せたら心配をかけるかもしれないと思うが、今は無理。限界なのだ。
仰向けになり、目を閉じる。
彼が帰宅する前に、もう少し気持ちを整理して、せめてこの散々な誕生日を少しでもましなものとして終われるように、気持ちを落ち着けて……。
もう少し元気になったら着替えようと思い、深呼吸を繰り返した。
そのままどのくらいの時間が経ったか。
ジャケットの中のスマホが震えている。確認すると颯真からのメッセージだった。
「帰ってる?」
シンプルな問いかけに、潤も気怠いながらも「帰ってるよ」と返信する。そろそろ職場を出る、というメッセージかもしれない。
すると意外な返事が。
「なら、下に降りてこないか?」
降りてこい?
どういうことだろうと思うが、未だ自分はスーツ姿だ。
「まだスーツだよ?」
そう返すも、構わないとの返事。
「戸締りだけして来て」
そう言われても意図が読めないが、拒否するものでもない。颯真の誘いならば、と、潤はスマホをジャケットに戻して、そのまま身を起こし、戸締りをきっちりして階下に向かった。
「おつかれ」
颯真も仕事帰りでスーツ姿だったが、エントランスに停めた自分の車の運転席で潤を待っていた。
「どういうこと?」
潤が助手席に乗り込むと、車は静かに発車した。
颯真が少しドライブしようと、潤に言った。拒絶するものではないし、すでに車も走り出している。頷いた。前方は、すでに夜の中目黒駅前を通り過ぎた。
「どこに行くの?」
潤がそのように問うと、颯真はそんなにかからないよ、と言う。
自宅近くから首都高に乗り、どうやら南下している様子。湾岸沿いを目指している様子だが、どこに向かっているのか。
とはいえ、颯真に連れて行かれて不安な場所などはない。行き先を問うことはやめて、助手席に身を落ち着けた。
「……疲れてるな」
颯真が前方を見据えて運転しつつ、潤の脚に手を添えてきた。暖かいその手の上に、潤も自分の手を重ねる。
「……ふふ。大丈夫だよ」
運転、気をつけて、と言った。
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