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始業時間となり、しばらくして江上から「藤堂室長がいらっしゃいました」と連絡を受けた。
潤が応じると、しばらくして、扉がノックされ、緊張で硬い顔をした藤堂が扉を開けて一礼した。
「おはようございます」
いつもの彼の態度を思うと、かなり殊勝な反応。それなりに反省しているのだろうと思った。なので、潤もあえてそれに言及するつもりもない。
「おはよう。朝いちで呼び出して悪いね」
いつものようにと意識して挨拶すると、藤堂は目を逸らしたまま、いえ、と一言反応した。とりあえず座って、とソファーを勧めた。
潤も藤堂の斜め位置のソファーに腰掛ける。とりあえず、まずは軽く入るつもりだった。
「昨日は悪かった。つい感情的になってしまった」
潤が素直にそう話し始めると、藤堂は少し驚いたような表情を浮かべ、首を横に振った。
「いえ、自分は社長にそんなふうに謝っていただくわけには……。指示通り動かなかったのは自分ですし……」
そして少し沈黙。
「まあね……。僕も藤堂がそう動くとは思わなかった」
その呟きに、藤堂は改めて頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
「終わったことだよ。ただ、どうしてこの件で春日を見逃したのか、理由を教えて欲しい」
その言葉に藤堂は少し考えてこう言った。
「同期だったからです」
それは潤も想定している返事であった。
「それだけ? 佐賀さんとの関係は?」
そう踏み込んで聞く潤に、藤堂はかるく首を横に振った。
「私は佐賀前管理部長とほとんど接点はありません。あるとすれば、春日の方です」
その声色と反応に、潤は頷いた。
「そうか。詳しい経緯、教えてくれる?」
藤堂も軽く頷き、語り始めた。
彼によると、「佐賀前管理部長が辞めたのは、社長の逆鱗に触れたから」という噂は、藤堂が調査を始めてすぐに立ち消えとなったようだ。所内の事情通にそれとなく聞いてみると、最近では聞かなくなったけど、しばらく前までは森生社長への不満が、皆言葉には出さないが、凝りのように溜まっていたとのこと。
それは、やはり組織改正の発表後からで、そんな彼らの情報を辿っていくと、意外なことに辿り着いた先が春日だった。
潤の指示通り、ここでやめておけば良かったのだが、藤堂は、春日が同期であったため心配になり、社長命令であることを隠して、彼に近づいた。
春日は、藤堂にすべて見抜かれていることにとても驚き、動揺した様子だったという。
「一週間のうち数日しか相模原研究所にしか居ない自分が、なぜここまでの事情を把握しているのか、春日はいきなり言い当てられて、驚いたのでしょう」
しかし、この時彼は何の疑義も持たずに、前管理部長の佐賀から依頼を受けてこのような噂を流したと話したいう。
「彼自身、なぜ佐賀前管理部長が更迭され会社を追われたのか、納得できていない様子でもありました。ひょっとしたら、佐賀前部長本人から何かを吹き込まれたのかもしれませんが、とにかく相模原研究所では佐賀前部長の処遇を巡っては不満があると、社長に訴える必要があるという気持ちでの行為だったそうです」
潤は頷きながら首をひねる。
「春日は、佐賀さんと交流があったのかな……。同じ管理部内だし、直属ではないにしろ上司と部下という関係ではあったし。まあ、かなり年齢は違うけど……」
潤の疑問に、藤堂も答える。それは自分も聞いてみました、と。
「彼は、佐賀前部長から目をかけてもらい、恩義を感じていたようです。社外でも食事に連れて行ってもらったり、悩みを聞いてもらったり……。
相模原研究所には同期が少なく……というか、彼自身あまり同期や同年代の同僚と話す機会が少なかったようなので……」
引っ込み思案な性格であろうことは潤も感じていた。
「あの控え目な性格だからな……。ストレートに言ってしまえば、佐賀さんにうまく使われた、ということか……」
我ながら酷い分析だと思ったが、藤堂もおっしゃる通りだと思います、と頷いた。
「そっか……」
藤堂の話が本当であれば、春日は佐賀の同じ志を持つ仲間、という立場ではないかもしれない。
あの男は主従をはっきりさせたがるような気がするからだ。
「社長、一つ伺ってもよいでしょうか」
「なに」
「佐賀前部長はどうして会社を追われたのでしょうか。もしかしたら追われたという表現は適切ではないかもしれません。しかし、社長の彼に対する反応と春日への対応を見ていると……、何かがあったのだろうとは思います。我々一般社員には知らされていない何かが」
藤堂の直接的な質問に、思わず潤は藤堂を見る。彼は真剣な眼差しを向けていた。わずかに躊躇う。話すべきだろうが、どこまで言えばいいのだろうか。
ひそかに深呼吸して、切り出す。
「表には出しにくい話なんだけど……」
「はい」
「彼は正確には昨年の年末の取締役会で、取締役を解任されていて、その後懲戒解雇になっている」
藤堂は驚きながらも頷く。
「何をやらかしたのですか?」
この事実は、社内での影響を考えて表には出していない。だからこそ、佐賀があれだけ好き放題にできるのだが。
「彼は僕に対して傷害事件を起こしているんだ」
潤の告白に、藤堂は目を見開いた。
「え」
「去年の年末、取締役会の前に、僕はこの場所で佐賀部長からフェロモン誘発剤をいきなり打ち込まれた。僕はオメガだ。そんなことされたらどうなるか……分かるだろう。それで彼は取り押さえられて、その後の取締役会で取締役の解任、その後、懲戒解雇となった。示談が成立して起訴猶予処分となったから、社会的制裁を受けた形かな。
あと、彼は社内の機密情報漏洩もしていた。これも取締役解任の理由だ。
もともと僕がこの会社を率いていること自体に不満があったようだ。個人的に僕は敵意を向けられている。オメガレイシストで、今はそれを隠そうとはしていないようだから、オルム、という人権団体の事務局長をしているらしい」
一気にこれまでの経緯を話す。
藤堂も苦い表情を浮かべた。
「……なるほど」
「そういうわけで、個人だけでなく会社としても佐賀安則という人物を警戒している。
そりゃ、春日を通じて自分のプライベートが佐賀に漏れたとわかれば、今回の件も当然絡んでいると思うし、実際に彼と東都新聞社は関係がある」
「本当ですか、それは」
「ネットのつながりを見れば一目瞭然だし、佐賀と親しい記者が在籍していることも確認している」
潤は数か月前にインタビュー取材を申し込んできた社会部の記者の西宮を思い出す。あれがこの騒動のおそらくきっかけだった。
「そして、オルムと東都新聞社だけでなく、佐賀は東亜製薬とも繋がっている」
それが今回の騒動の黒幕だと僕は思っている、と潤は言った。
「春日はその末端を担がされたと……」
「そういうことになるね」
潤は軽く頷いた。
「それは……思った以上に重大だ」
藤堂が唸るが、潤は小さく頷いただけ。
「それでだ。この件を受けて、お前にやってほしいことがある」
それがペナルティだ、と潤は思った。
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