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その後、潤は江上に管理部に連絡を入れさせ、春日を呼び出した。
春日との面会の際は同席すると主張していた江上だが、一緒に藤堂がいることを知ると、わずかに表情を歪めた。やはり江上の藤堂への評価は地に落ちたようだ。
「俺は本格的に秘書室長に嫌われましたね」
そう呟いた藤堂に潤は苦笑した。
「自分のせいだろ。頑張って挽回しろ」
春日は間もなくやってきた。ノックは二回。
潤が応じると、扉が開かれて大きな身体の春日が姿を見せるが、中にいるメンバーを見て固まった。全員同期ではあるのだが、彼から見れば圧を感じるだろう。
「忙しいところ悪いね」
潤がそう切り出すと、春日も「とんでもございません」とかなりかしこまった反応を見せた。
二人がけのソファ席を春日に進めると、潤はその斜めの一人掛けのソファ、春日の前に藤堂が腰掛けている。江上は潤の背後に控えていた。
その面子に明らかに春日が恐縮しているのがわかる。
「あの……社長、昨日のことは」
春日が言いかけたのを潤は止めて、素直に謝る。
「昨日は話を一方的に切り上げて悪かった。今日は落ち着いて聞けると思うので、佐賀さんとのこととか詳しい経緯とか……話を教えてくれる?」
頷いて、ぽつりぽつりと語り始めた春日の話は、彼が森生メディカルに入社した頃から始まった。
春日は入社後に三陸エリアのMRをしていたものの、あまり成績も振るわず三年目に外勤から内勤に異動になった。そして四年目で相模原研究所へ。あまり会社に評価されているとは感じられず、この異動も営業所で持て余されたのかなと感じたらしい。自分としては高い志を持って入社したのだが、それも生かすこともできず挫折感を味わっていた。
燻るような日々を送る中で、社内の研修を通じて顔見知りとなったのが、当時取締役に就任してまもない佐賀だった。
彼はなかなか相模原で馴染めてない春日を心配し、社内で話を聞いてくれたり、社外でも食事をご馳走してくれたりと気遣ってくれたという。
「佐賀さんは本当に良くしてくださいました。アドバイスをくれたり、時には業務外の交流に誘ってくれたり……」
なかなか所内で溶け込むことができなかったが、勤務態度は真面目であったため特段不満を買うことはなく、また佐賀の気遣いもあって、春日は少しずつ馴染み、居場所ができていったという。
そして、佐賀としばらく会っていないなと思った今年の年明け、いきなり彼が会社を辞めたことが伝わってきて大層驚いた。
せめて辞める前に連絡が欲しかったと、恨み半分でプライベートの連絡先に電話をしてみると、信じがたい事実を、春日は知らされた。
「それが、『社長の逆鱗に触れた辞めさせられた』ということ?」
潤が先回りしてそのように問うと、彼は頷いた。
「はい。会社のためを思いあえて苦言を呈したのに、それが森生社長には伝わらなかった。まさに逆鱗に触れて、会社を追われることになった、と」
本当によく言うなと潤は内心で呆れかえる。しかし、本当に春日にはそのように語ったのだろう。
その話を信じる以外になかったと春日。佐賀からは、辞めてもなお気が収まらないので、一矢報いたい、と協力を求められたのだという。
「それが、噂を流すこと……?」
そのように潤が問うと、彼は頷いた。
「せめて相模原研究所のみんなには事実を伝えて汚名を返上したいという話でした」
本当に物は言いようだと潤は驚くが、彼はまんまと騙されたというか、流されたのだろう。
「それで、そんな話を流した、と」
「段取りはすべて佐賀さんが……。私は彼が言う通りに実行しただけです。それが、本当にスムーズに、噂が自分の手を離れて伝わっていくのを感じました」
ここまでの経緯を見ていて、ぼんやりと感じていたのだが、佐賀という人物はおそらく煽動の才能があるのだろう。
先天的なのか後天的に取得したものかは分からないが。
「その話が所内で大きくなった頃、再び私に内示が下り、三月一日付で本社に異動すると……。自分がしたことがバレたのかと思いましたが、そうではなかったみたいです。ちょっとホッとして、相模原から品川本社に移った矢先、藤堂がやってきました」
それは三月下旬のこと。昼休みにふらりとやってきて、近くのカフェに誘われたという。彼は相模原研究所で春日が行ったことを大方把握していて、そこでどうしてそんなことをしたのだと詰め寄った。春日は佐賀から指示されたことをそのまま実行しただけと話した。
藤堂も頷いた。
「佐賀前管理部長の意向を受けてやったと。正直驚きましたね……。もう辞めた人に関わってどうするとか、そんな話をした気がするのですが……」
藤堂の言葉を受けて、春日が頷く。
「はい。でも、私自身当時そこまで深くは考えていなくて……。今思えば、どうなるかの影響を考えずに、佐賀さんが言う通りのことをそのまま……」
「なんで、そこを考えなかった?」
潤の質問に春日は少し考える。
「……危機感が足らなかったのだと思います。彼が部外者になったら、会社に損害を与えることは厭わないとか。もう取締役でもないから責任も伴わないとか……」
認識不足だったと思いますと、春日はポツリと呟いた。
潤はさらに問い詰める。
「でも、さっきバレていなくてホッとしたと言っていたってことは、どこかに不安があったってことだ。無意識ではその影響を、良し悪しはともかく懸念はしていたということだよね?」
彼は頷く。
「……はい、確かに。そこはもう少し考えれば良かったと……」
潤は密かにため息を吐いて促した。
「それで?」
「藤堂に知られて、彼からいくらなんでも悪質な噂なので、やめろと言われました。確かにもう言われたことを成し遂げたとは思うので辞めると約束しました。佐賀さんの気持ちもこれで収まると、思ったんです」
潤は春日を見据えて先を促す。
「でも、収まらなかったんだ」
「はい。しばらくして佐賀さんから連絡があり、次の指示を与えると。私はもう辞めたいと言いました。気が済んだでしょうと。辞めると藤堂と約束したこともありますし、もう嫌でした。すると、彼は突如怒り出したんです」
それは到底口にはできないような罵倒と脅迫のような暴言で、いきなり入ったスイッチに、春日は驚き戦慄したとのこと。
今更、降りられると思うなよ、と脅しのようなことを言われたらしく、彼の目には僅かに涙が溜まっている。いつの間にか片棒を担がされていたということだ。
「そのまま次の手伝いを?」
春日は頷いた。
「できないとは言えなくて……。それでものらりくらりしばらくやり過ごして……。その時の彼からの指示が『社長の身辺を探れ』ということでした。本社に異動したなら丁度良いと……。
それが三月半ばくらいです」
視線をわずかに流して藤堂を見ると、彼も少し吐息を漏らしていた。
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