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以前颯真とオーベルジュに宿泊して思ったが、瑤子が経営するホテルは、奥鎌倉に構える大人のリゾートという趣が強い。ビジネスホテルのように簡単に部屋を押さえるのは難しいと重々理解はしていた。
しかしだ。
「正直、こんな無茶なことを頼めるのは、瑤子ちゃんくらいしか思い浮かばないんだ」
すると、意外なほどにするりと、そして少し弾んだような声が返ってきた。
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
思ったより好感触が得られて少し潤は安堵する。
「信頼してるんだよ。二人なんだけど可能かな?」
いつから? と瑤子に聞かれる。
「来週日曜日からしばらく」
「しばらく?」
瑤子の怪訝な声に潤は素直に頷いた。
「しばらく人目を避けたい事情があるんだ」
察しの良い瑤子のことだから、おそらく強引に部屋を抑えたい事情が穏便なものではないと察したのだろう。事情はきちんと話した方がいいから、彼女が興味を持ってくれたら、こちらとしても話しやすい。
「うーん、どういうこと?」
潤は夜空を仰ぐ。
「少し世間を騒がせることになると思う人なんだよね……」
するとさらに少しの重い沈黙。何かを考えている様子。
「待って。確認するけど、あんたたちのことではないわよね」
身を隠すのは潤と颯真ではないかと心配しているのだろう。そうかと潤は察した。瑤子の口調が変わったのはその心配をまずしてくれたからだ。
潤は慌てて、違う、僕たちじゃないよ、と明確に否定した。
「お願いしたいのは、大切な人たちで……」
すると、明るい声が返ってきた。
「まずは安心したわ。わかった。大切な人を預かって欲しいということね」
瑤子の言葉は的確だった。
「で、これは私の勘だけど、その人たちはきっと今の騒動につながりがあるのね」
この一連の騒動が、瑤子の耳に届いてないはずはないと思っていたが、潤は少々バツが悪くなって誤魔化すように言った。
「知ってる……よね、そりゃ」
すると少し呆れたような口調。
「知ってるも何も……。茗子からも連絡をもらっているわ」
そうか。やはり母茗子には敵わないと潤は思う。自分の預かり知らぬところでも気遣いを欠かさない人だ。
自分は自分の誠意を尽くすまで。
「心配かけてごめんね。僕と颯真は大丈夫。母さんも、そう言っていたと思うけど。
きちんと話すけど、瑤子ちゃんのところに避難させたいのは、僕に……いや、僕と颯真にとって大切な親友とその番だ」
「詳しく教えてくれる?」
瑤子の言葉に潤も頷いた。
そして潤と颯真の親友の廉の番で、二人の親友でもある尚紀はモデルでインタビュー取材を受けるという話をした。
世間を騒がせそうな話題になりそうだが、身重で自宅で過ごすのも心配なので、この騒動の影響が少なく、静かな場所で過ごしてほしいと潤は説明した。
「颯真の患者さんでもあるから、横浜からあまり離れていない場所で、静かに過ごせる場所を考えたら、僕には奥鎌倉しか思い浮かばなかった」
「なるほど、そういうことならここは環境がいいわね」
瑤子は頷いた。
「避難させたいという意図もわかったわ」
少し瑤子は考えている様子。
「覚えてる? この間軽く話したけど、この間プチホテルを開業したの。あそこならまだしばらく空室もあるし、人目にもつきにくいと思うわ」
確かに、閉業する近隣のホテルを縁あって買った、という話を聞いていた。
聞けば、規模は大きくないクラシックスタイルのホテルで先週オープンしたとのこと。
「あんたたちが泊まってくれたオーベルジュほどのサービスではないけれど、あそこなら二人で不自由なく滞在できると思うわ」
潤と颯真が泊まったオーベルジュから車で十分ほどのところにあるという。
潤からすればありがたすぎるほどの提案だった。
「しばらくって言ったけど、めどはついてるの?」
「……」
「わかった。決めないでおきましょ。落ち着くまででいいわ」
流石にすごく話が早い。
「瑤子ちゃんありがとう。宿泊費は僕が用意する」
「あらいいわよ」
「それはよくないよ。それにホテルとしてきちんとお願いしたいから」
ふふっ、と瑤子は笑った。
「わかったわ。本当に大切な人なのねえ」
「僕も颯真も弟みたいに思ってる」
「あら、あんたたちの弟なら、その子は私の息子じゃない」
いつもの理論を持ち出されて、潤は思わず口許が緩んで、頷いた。
「……そうだね。親友に嫁に出した気分だからね」
よくよく考えれば、自分が尚紀と出会った時、もう尚紀は江上と気持ちを繋げていたので、順番としては矛盾しているが、それでもそう思ってしまう。
「面倒なことをお願いしてごめんね」
「そんなことないわ。これは私にとっては商売の話だもの」
でも、お礼はこうしましょう、と瑤子が言った。
「ほとぼり冷めたら、ぜひあんたから私を紹介してね」
それはもちろん、わかった、と潤は承知して、いくつか実務的なやりとりを繰り返して、また連絡をする、と通話を終了させた。
スマホをスーツの内ポケットに入れて、夜空を仰ぐ。
とりあえず、やるべきことは終えたと、大きく吐息を漏らした。このあと詳しい話を江上にもする必要があるし、それこそ自分で決めてしまったとさらに颯真には責められるかもしれないけど、それは急を要する出来事だったと納得してもらうほかない。
片割れには、いろいろ無理やり納得させてしまっているところがあるな……。
「埋め合わせをしてもらう、か」
潤は、今夜は颯真の話をきちんと聞いて受け止めないとなと、と思った。
「おかえり」
会社を早めに引き上げ、江上家で尚紀と話して帰宅した潤は、自宅玄関の壁に寄りかかって出迎えた颯真の姿に驚いた。
いろいろ話をして話を聞くならば、やっぱりリラックスできるお風呂がいいかなと思い、途中で入浴剤を買って帰宅したのだが、まさかこんなに早い時間に颯真が帰ってきているとは思わなかった。
「そ、颯真……」
驚きが声に出てしまった。早いね、と潤が言う。
「今日は早めに上がった」
颯真は一言。
やはり、今日の昼間の電話が効いているのか、少しそっけない雰囲気だ。
「そ、そうなんだ」
少し戸惑う。
「こんなに早く帰ったらおかしいか?」
靴を脱いでリビングに移動すると、颯真にそのように聞かれる。
「ううん。でも、ここしばらく学会の準備が忙しいって話をしてたから……」
何をそんな言い訳じみたことを、と潤は思うが、どこか少し空気が不穏な感じがするのだ。
こういう時の颯真は何を考えているのかよくわからなくて話しにくい。
潤はリビングのソファに入浴剤が入った袋を置く。
入浴準備を万端にして迎えたかったのだが。
「僕、とりあえず着替えてくる」
そう言って彼の前を通り過ぎようとしたとたん、颯真に腕を掴まれ引っ張られる。
「え、そう……!」
驚いた潤が見上げると、そこにはすっかりアルファの顔をした颯真がいた。
「今日は相手をしてくれるんだろう?」
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