17 / 42

筧 義松Ⅱ③

「肉食うと、ビール飲みたくなるんだよな~。餃子もだけどさ」 「飲んでよかったんですよ?」 「ん、今日はいいや。明日も仕事だし。(かけい)クンは酒飲める人?」 「まあ、会社の飲み会で潰れない程度なら……そんなに強くはないですけど」 「じゅーぶん! よし、じゃあ次は肉とビール! な?」  ……その顔は反則だ。  小首を傾げ、にっこりするアオイは、もこっとしたパーカーのせいで普段よりも幼く見える。可愛くて堪らない。  今すぐ抱き締めて「大好きです!」と叫びたいところだが、ありがたいことに義松の理性は正常に働いていたため、その熱い想いは心の中にそっと留めておくことにした。 「あっ」  義松のすぐそばから聞こえたその声だったが、聞き覚えのない声だ。自分達に向けられているとは思わず反応が遅れた。  かわりに目の前のアオイが声の主を見上げ「あ、来てたんだ」と言ったので、義松もその視線を追って声の主を見上げる。  黒髪短髪の青年が、二人を見下ろしていた。  ぱっちり二重の可愛らしい顔だちだが、その目を眇め、不機嫌な様子を隠しもしない。年はアオイと同じくらいだろうか。 「それはこっちのセリフだ。いつの間にかいないと思ったら、来てたのかよ」 「ごめんね~シンちゃん延長入っちゃったでしょ? バイバイ言うタイミングもなくてさ。あれ、(うらら)ちゃんもいる。今日出勤だっけ?」  〝シン〟と呼ばれた男の後ろには、更に連れがいた。  神経質にメタルフレームの眼鏡を押し上げる。アオイは〝ウララ〟なんて呼んでいたが、男だ。確かに綺麗な顔立ちをしている。しかし、なんだか陰気な雰囲気である。 「二人が出勤するって聞いたから、終わった頃に三人で飯いこーぜって(わたる)に誘われてわざわざ出て来たんだよ。それより……この恰好のときにその名前で呼ぶのやめてくれない?」 「ははっ! ごめんって、武士(たけし)クン怒んないでよ」  〝シン〟に〝麗〟……聞き覚えはないが、会話の内容から察するに、二人ともエルミタージュのキャストだ。  そういえば、と義松は思い出す。  店のホームページのキャスト一覧にその名前を見たことがあったかも知れない。  ホームページに載っている写真は顔部分にはモザイクがかかっている。店に行けば無料でアルバムは見学できるが、アオイ以外に興味がないので義松は見たことがない。 「こちらは……友達?」  値踏みする気配を隠しもせず、シンが義松をジロジロ見てくる。居心地の悪さに身動ぐ義松とは対照的に、アオイはケロリと答えた。 「ううん、お客さん」 「はあっ!?」  素っ頓狂な声を上げたシンは、今にも食ってかからん勢いだ。もちろん、アオイにではなく義松に。 「何してんだよ!」 「何って、飯食ってただけだし。仲良しだもんね、俺達。ね~筧クン?」 「えっ!? え、ええ……はぁ、まあ……」  しどろもどろに答えた義松にシンの鋭い視線が刺さる。 「筧クンって……ああ、この前の新規のやつか……」  どうやら向こうは、義松のことを知っているらしい。不機嫌にフンと鼻を鳴らす。  それはもはや敵意だった。  義松に対する不審と嫌悪を隠しもしない。客と外で会うことは、そんなにもタブーだったのだろうか。しつこくアオイに付きまとっている客だと思われているのかもしれない。  シンの視線に義松は益々居心地が悪い。でも、と義松は自分に言い聞かせた。最初に誘ってくれたのはアオイの方だ。そこは自信を持っていい。 「二人とも早く席ついたら? 店員さん困ってるよ。俺らもう出るし。じゃ~ね~」  このやりとりに飽きたのか、アオイが伝票を持って席を立つ。 「筧クン、ほら、行こっ」 「え、あっ、はいっ!」  義松も席を立つと、シンと麗に目礼をし、慌ててアオイのあとを追った。 「アオイさん、すみません、お金っ」  さっさと会計を済ませ店の外に出てしまったアオイを追いかける。すたすたと足早に歩く様子は、どことなく不機嫌に見えた。 「いいよ、この間奢ってもらったし」 「でも」 「いいってば。次は奢ってもらうからさ」  アオイは「な?」と、ようやく足を止め振り返った。その笑顔を見たら、不機嫌に感じたのは気のせいじゃないかと思えてくる。  しかし先ほどのシンの態度に不安を覚えた義松は、躊躇いがちに「でも」と言った。 「あの……俺、やっぱり、あんまり誘ったりしない方がいいですよね……」  今度こそ、アオイはあからさまにむっとして不機嫌に見せた。 「何でだよ。シンちゃんが言ってたこと気にしてんの? いいよ、あんなの気にしなくって。肉食いに行くんでしょ?」 「でも……」 「でもでもうるさいなぁ。俺と飯行きたくないってこと?」 「ちっ、違います! 行きたいです!」 「じゃあいいじゃん。もうこの話はなし!」 「はい……」 「じゃ、俺こっちだから。またね、筧クン」  駅に向かう義松とは反対方向に歩き出したアオイを見送り、その背中が見えなくなると、ようやく義松も歩き出す。雨は止んでいた。  帰りの電車の中で、ブログの更新通知メールが届いた。どうやら早速アオイが更新したらしい。  載っている写真は、今日着ていたあのもこっとしたパーカーに顔を埋めている顔のアップ。  と言っても、顔のパーツで写っているのは唇だけだ。  すべすべした頬に、美味しそうな唇。  美味しそうって……おいおい。  と、思うも何度もその写真を眺め、いや、やっぱり美味しそうだよなあ、と義松は電車の中でにやにやする。  エルミタージュのアオイが義松のものになるのは、あのCコースのたった50分間だけ。お金で買っている、あの時間だけだ。  分かっている。  分かっていたはずなのに、あんな風に次の約束をしてしまえば、どうしても期待せずにはいられない。  ああして強引に押し切ってくれたことに、内心酷く安心していた。  しかし――シンのあの冷たい目を思い出して、義松は憂鬱になる。  彼は、アオイのことが好きなのだろうか。  キャストは必ずしもゲイではないと聞くが、逆に必ずしもヘテロではないということだ。アオイも「どっちもいける」と言っていたではないか。  アオイは、彼の……シンの気持ちを知っているのだろうか。  そこまで考えて、また嫌な気持ちになる。  同じ店で働くシンとは、義松なんかよりずっと親しいはずだ。恋のライバルとしては……同じ土俵で考えるのが申し訳ないほど、義松に不利な状況である。  ――〝早漏のKくんへ〟  鬱々とした気持ちを引きずっていた義松だが、ふとそんな一文が目に入り、ぎょっとして目をとめた。  アオイは、ブログにその日に来店した常連客一人一人に対するメッセージを綴ることがある。  要は「今日は来てくれてありがとう、また来てね!」という営業的内容だが、ここがアオイのズルいところで、その日話したであろう内容――その客とアオイにしか分からないキーワードをうまい具合に差し込んでくる。  対象の客はちょっとした優越感を味わえて、その他の客は対抗意識と嫉妬を燃やす。 『どうせ更新通知来るように設定してるんでしょ。今これ読んでるの電車の中でしょ。分かってるんだからね~? 来月すっごく楽しみにしてる』  〝早漏のKくん〟に宛てたメッセージはこれだ。  ――そうです、その通りです。電車の中です。  間違いなく〝早漏のKクン〟は義松のことだ。アオイは「来月すっごく楽しみにしてる」らしい。  ただ楽しみなわけじゃない、〝すっごく〟だ。  それだけの一文。たったのそれだけで、義松は天にも昇るキモチで舞い上がった。  他にも〝初めましてのMさん〟や〝すっぽかし野郎のKさん〟、〝五本指ソックスの人〟に宛てたメッセージが載っている。  メッセージの長さはみんなだいたい一緒。すっぽかし野郎のKさんも、五本指ソックスの人も、義松と同じように今頃舞い上がっているに違いない。  コロコロコロコロ……。  アオイの手中で転がる音が聞こえるようだ。  でも、それでも構わない。  例え転がされようと振り回されようと、アオイが相手ならば本望なのだ。

ともだちにシェアしよう!