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筧 義松Ⅲ⑤
すっかりお馴染みとなった向かいのコンビニの雑誌コーナーで、立ち読みをしながらアオイを待つ。迷わず「TOKYO NIKU特集」なる見出しをでかでかと掲げるグルメ雑誌を広げた。まさに今の義松 にうってつけの特集ではないか。
美味い熟成肉を食わせる鉄板料理屋や、A4ランクの和牛にこだわった焼肉屋。比内地鶏の焼き鳥屋、猪鍋を食わせてくれるバー。ありとあらゆる肉特集だ。
雑誌をめくる反対の手でスマホを駆使し、グルメ情報サイトで当該の店の評価を調べる。
アクセス・評価・価格帯(まさかあのアオイを連れて行くのに、安すぎる店ではいけない!)すべてを総合的に判断した結果、よさそうな焼き鳥屋を見つけた。焼き鳥屋といっても小洒落た雰囲気の全席半個室。
よし、ここだ。
心に決めたそのとき、アオイがエルミタージュのビルから出てくる姿が見えた。モコモコのボアのジャケットを着て、フリース素材のスヌードに顔を埋めている。控えめに言って……とても可愛い。
義松はそっと雑誌を棚に戻してコンビニを出た。
「おまたせ。筧クン、店決まった?」
「はい、焼き鳥屋でもいいですか?」
「お~っ、いいね、焼き鳥!」
念のため店に電話をすると、ちょうど席に空きが出たところのようだった。
目当ての店は一駅隣だ、時間にして十五分ほどなので歩くことになった。
モコモコした衣類によって肌を隠したアオイは、さっきまでエロエロポリス姿で義松のペニスを可愛がっていた人物とは思えない。そのギャップ、筆舌に尽くしがたい。
しばらく歩いて、義松はあっと声を上げた。
「アオイさん、すみませんっ。ちょっとコンビニ寄ってもいいですか?」
「ん? いいけど」
財布の中に、現金があまりないということを失念していた。
さっきコンビニに寄ったのは、なにも立ち読みや時間潰しのためだけではなかったはずだ。店選びのことで頭がいっぱいでついうっかりしていた。「すみません、すぐなんで! 待っててください!」と断って、義松はちょうど目の前に見えたコンビニに駆け込んだ。
ATMに並ぶ、現金をおろす。
時間にして一分前後だ。
たったそれだけの時間、アオイを一人にしただけなのに、コンビニから出てきた義松は愕然とした。
ミニスカートの若い女の子が二人、アオイに話しかけている。
「アオイさんっ!」
ナンパされているのだ、と気付いた瞬間、焦りと苛立ちでカッとなった。
つい声を荒げてしまい、アオイの腕を強く掴む。
「こういうことだからさ、ごめんね~」
突然声を荒げた義松に驚いたように目を瞬かせた後、アオイはへらりと笑って女の子に謝った。
義松は構わず「行きますよ」と更に引っ張る。
女の子が目を丸くして、「え」とか「あ」とか言っている間に、義松はアオイを連れ去った。
「筧クン~、そんな引っ張んないでよ~ちょっと強引~」
揶揄 するような響きの声に、義松はハッとする。
腕を強く掴んだまま、ずんずんと進んでいた。
気付けば予約した店を通り過ぎようとしていた。
「んもぉ、筧クンってば、ヤキモチ?」
「……そうですよ。アオイさん、女の子にもモテるんですね」
この辺りは飲食店も多く並ぶ繁華街だ。
駅前には若者も多い。アオイのような見目のいい青年がひとりで立っていたら、声を掛けられてもおかしくはない。
ライバルはシンや、他の客だけではないのだ。
アオイが喉の奥でくつくつと笑う。
「言っとくけど俺、女の子にはそんなモテないからね? 背も高いわけじゃないし」
「でも、さっきの子達……」
「あの子達、あんた狙いだと思うよ~筧クン」
「えっ!?」
「それなのに、あんなおっかない顔してさ~」
堪えられない、といった風情でとうとうアオイはケラケラと声を上げて笑った。
まさか、あの若い子達が自分目当てとは思いもよらない。以前の義松であれば、ひょっとすると喜んだかもしれない。今はただ、勘違いが恥ずかしいやら安心したやらで、そんな考えには及ばなかった。
「だって……普段のアオイさんのモテっぷりを見ていたら……心配にもなります。あ、お店、こっちです」
義松はアオイの腕を引いたまま、表通りから一本細い道に入った。
目的の店はすぐそこだ。
店内はナチュラルカラーの木がベースとなった、明るく清潔感のある和食屋といった雰囲気だ。
一枚板のカウンター、テーブル席、奥に格子で仕切られた半個室の座敷がいくつかある。
「へぇ、ここ焼き鳥屋なの? おしゃれ~」
二人は半個室の座敷に案内される。土曜日とあってカウンターまで満席だ。このタイミングで席が空いていてよかった。
温かいおしぼりを握りしめ、アオイが「俺ビール~」と上機嫌に言った。
「すみません、とりあえず生二つ下さい。あ、あと鶏皮ポン酢」
「お、いいチョイス~」
アルバイトらしい若い女の子がにっこり笑って「かしこまりました」と去って行く。
「可愛い子だね~」
女の子をニコニコしながら見守るアオイに、義松はむっつりと黙り込む。……しかし途端にケラケラ笑いだしたところを見ると、ただからかわれたようだ。
「筧クン俺のこと好き過ぎ! さっきもすごい必死だし」
「そりゃあ……」
そりゃあ、好きですよ。
だてにアオイさんにチンコ触ってもらうために金払ってませんよ。
あんたのケツ触って興奮したり、パンツのナカのナカまで想像して勃起しませんよ。
……そりゃあ、必死にもなりますよ。
しかしアオイは義松の熱の篭った視線には気付かない。
彼の興味はすでに義松からメニュー表へと移っていた。
「とりあえずもも、皮、つくねは必須な。筧クン、タレ派? 塩派? 俺塩派なんだけど、いい? あっ、筧クン! フォアグラ大根だって~何このオシャレメニュー!」
他人から好意を向けられることに慣れきっているアオイには、こんな粗チンの客一人の劣情ごとき、大した問題ではないのだろう。
メニューを見て無邪気に楽しんでいるアオイを、微笑ましく思うと同時に、苛立ちとも焦りともつかない感情を覚える。
生ビールが運ばれてくると、適当に串物を頼み、アオイと義松は乾杯をした。
「念願の肉デートに~」
アオイは小首を傾げ、酷く魅力的な笑顔でジョッキとジョッキをごつんとぶつけた。
そうだこれはデートだ。
そんな言葉一つに義松がどれほど浮かれているかなんて、アオイは思いもよらないだろう。
義松はジョッキを一気に半分まで呷 る。アオイが「筧クン、いい飲みっぷり~!」と囃した。
料理が次々と運ばれてくると、酒も進んだ。
どうやら酒に強いのか、何杯目かのビールの後、赤ワインのグラスを傾けているアオイの顔色は変わらない。どうやらフォアグラ大根がお気に召したらしい。先ほど一口頬張り「んー!」と目を輝かせたその後から、ずっと上機嫌だ。
「何でこんなワインの種類が豊富なのか謎だったけど納得~!」
暖かな店の中でアオイはスヌードとボアジャケットを脱いでおり、薄手のニット一枚だ。
絶妙に開いたVネックから鎖骨が酷く扇情的に映るのは、義松の目に邪なフィルターがかかっているから――だけではないはず。
しどけなく背もたれに寄りかかりながら小首を傾げたアオイは、義松の視線に気付いたのか「何だよ?」と笑ってみせた。言葉とは裏腹に、義松の考えていることなんてお見通しとばかりの、不敵な笑みだった。
アオイさんの鎖骨がエロいな、と思っていました……とは口が裂けても言えない。
ほんの一時間前までは思いのままに撫で、唇を寄せていた。
それが許されていたのは、あの時間に対価を払ったからだ。金を払わなければアオイには触れられない。それなのにこの人は、目の前で無防備に酒を飲んで上機嫌だ。
「何でもないです」
と、到底何でもないとは言えない顔で返すのが義松の精一杯だった。
アオイはふふんと笑ってみせると、トマトのサラダをぱくりと一口頬張る。
皮をむいたプチトマトが丸ごと、山盛り皿に盛られた大胆なサラダだ。トマトにはジェノバソースが絡めてあり、皿には模様を描くようにバルサミコソースが散らしてある。
なるほどワインによく合う。
義松も赤ワインのグラスを傾けながら、劣情に満ちた視線をアオイからそっと外した。
料理も酒も美味しく楽しかった。
時々アオイがからかうような、挑発的な視線で義松を見た。
おちょくられているのだと、自覚はしている。義松の純情を弄ぶ性悪だ。しかしそれを分かった上で好きでいる。そんなアオイが好きなのだ。
数回食事に行っただけでアオイの特別な存在になったのだと、そんな自惚れはしていない。だが少し、ほんの少しだけ、その他大勢の客の中では、特別扱いをされているのではないか――それくらいの自惚れは持ってもいいのではないか。
お互いグラスワインを数杯呷った後、アオイは「ちょっとトイレ~」と言って席を立った。
ここへきてようやくほんのり頬が染まってきた。と言っても義松も、顔色はほとんど変わっていない。
ほんのり頬を染めたアオイの姿を、ただただ「可愛いなあ」と思いながらニコニコと見送った。それなりに酔っ払っているのだと思う。
アオイに「アンタ実は結構酔ってるだろ」と顔を顰められたが、そんな表情も可愛いったらない。
トイレに向かうアオイの背中を見送りながらも、義松はしばらくニコニコしていた。
乳首を舐めて、生尻を揉み、チンコを握ってもらう。
あの時間、アオイは義松のものだった。
これは対価を払ったからこそだ。
だが、今この時間は違う。
対価を払って得られた時間ではない。お互いがお互いの為に時間を使って、食事に来ている。義松はずっと舞い上がっていた。舞い上がらずに、いられるわけがない。
ああ、ダメだ、やっぱり自惚れている。
ダメだダメだと言い聞かせながら、表情はニコニコが止まらない。
しかし、中々戻ってこないアオイに、義松は段々心配になってきた。
アオイが席を立って、どれくらい経っただろう。
時計を見ていたわけではないので定かではないが、十分以上は戻ってきていない気がする。手洗いが混んでいるのだろうか。それとも、具合が悪くなったのだろうか。
まったく平気そうな顔をしていたが、立ち上がっていきなり酔いが回ることもある。大丈夫だろうか、様子を見に行ってみようか――。
たちまちソワソワと落ち着きをなくした義松は、突然ハッとしてもう一つの可能性に行き当たる。
思い出すのは今日、この店に来る前のコンビニでの出来事だ。
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