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葵生川 望⑤

「そういえばさ、浅野さん京都に何の用事だったの。学会か何か」  大正時代、町家だった建物を生かしたその建物はいかにもといった風情溢れる佇まいだ。「湯豆腐と湯葉の懐石」を口に運びながら、望は何となしにたずねた。そう言えば先週は学会と結婚式と両方あって、宮崎に行ったと言っていた。しょっちゅう日本全国飛び回っている人なのだ。 「昨日は専門医の面接官だよ」 「何それ」 「専門性の高い医者のことだよ。それなりの知識・経験が必要なんだ。外科、とか内科とかあるだろう」 「……浅野さんは何の専門なわけ」 「小児アレルギー」  それは結構すごい人なのではと望が慄いていると、「僕がすけべなことばかりしてると思ったかい」と浅野はくつくつ笑った。 「これでも昼間はそれなりに仕事をしているんだ」  返す言葉もない。 「と言っても、僕の給料なんてせいぜい中小企業の役員クラスだろうね。……僕のお金の出所が知りたいかい」 「……まあ、気になってはいたよね」  浅野は朗らかに笑むと「僕の実家がドームの近くでね、土地が余っていたから今はコインパーキングなんだ」と言った。副業をしていたとは思いも寄らず、「結構いい商売なんだ」と浅野は茶目っ気たっぷりにいたずらっぽく笑った。  昼食の後は特に観光もせずに京都駅に向かった。  新幹線に乗る前に寄ったスタバで、浅野はカフェラテと期間限定のフラペチーノを買ってくれた。ちなみに、アオイの分がカフェラテである。「僕みたいにおじさんになると、なかなかこういう店に一人で入るのは恥ずかしいんだよ」と浅野は笑い、嬉しそうにフラペチーノを啜る。浅野の正確な年齢の把握していないが、試験官なんてものはそこそこ老齢した熟練の医師がやるものではないのだろうか。四十代に見える浅野だが、案外年齢はいっているのかもしれない。 「この後勉強会があるんだ。僕は品川で降りるけど、アオイはどうする?」 「俺は東京まで乗っていく……いや、やっぱり品川で降りようかな」  往復の新幹線代はもらっていたが、浅野はさっさとアオイの分も切符を買ってしまった。  浅野のとってくれたグリーン車は快適そのものだったが、望は尻に居心地の悪さを感じ、品川で降りることにした。  浅野は品川駅で颯爽と降りると、重そうなビジネスバッグを片手に「付き合ってくれてありがとうじゃあ、また連絡するよ」と言って人混みの中に紛れていった。  荷物の少ない望がゴミを引き受けていた。ホームのゴミ箱にゴミを捨て、在来線の改札に向かう。浅野とは長い付き合いになるが、まだ知らないことがたくさんあるようだ。とは言え、浅野は望の本当の名前すら聞く気がないようなのだから、それはお互い様だろうか。  それにしても、昨晩の浅野は激しかった。思い出しても腹の奥が疼く。自分が求められると弱いのは分かっている。つかず離れずを装いながら、浅野から離れられなくなっているのは、望の方だ。必要とされることに喜びを見出してしまう。エルミタージュのアルバイトがまさにそうだった。中でも浅野は特別で、体の関係を持ったのは後にも先にも浅野だけ。  いや……義松も、もうその域に踏み込んでいるのかもしれない。  食事に行くこと自体は、そこまで珍しいことじゃない。過去にB級グルメの食べ歩きの趣味だというお客さんがいて、望はあちこち食べ歩きに連れて行ってもらった。一番遠いところでは高速に乗り何時間もかけて豊橋カレーうどんを食べに行ったことがある。  だがしょっちゅう食べにいっているラーメン屋までつれていったのは初めてだし、望がフェラしたのも初めて。過去の仕事のことについて話したのも初めてだ。  ……実のところ、もう戻れないところまで来ているのでは、と予感がする。  望は小さく嘆息し、義松のことはあまり考えないようにしながら、タイミングよくホームに滑りこんできた山手線に乗り込んだ。

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