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第2話

「どした……?」 「Ωだったんだね」  振り返ると数歩下がった後ずさりした弟と目が合った。すうっと一瞬にして部屋の温度が下がる。弟の周りが一番冷えていて、指を伸ばしたらそこから凍ってしまいそうな冷たさだった。  冷酷な空気が俺を包んでいく。それは弟が俺に向けて放った本心だろう。冷たい、凍えそうだ。怖くて、動けない。何も言えず固まったままの俺を弟が冷たい目で睨みつける。怒ってる? でも、俺だってなりたくてなったんじゃないのに……そう考えてすぐに、心の中が読まれたのを悟った。  睨んでいた顔が急に笑顔に変わり、鼻で笑われた。すごく、汚いものを見るような顔で。  弟のそんなところは見たことがない。いつだって俺を慕ってくっついていたのに、俺を蔑むように見下ろしている。絵に描いたような拒絶反応だと、冷たい空気でどこか妙に冷静になった頭の片隅で思う。動けないまま頭をフル回転させても、元の出来が悪いせいか何ひとついい考えなんて浮かばない。  笑って誤魔化す? 泣いて謝る? 何を言えばいいのかも、どうすることが正解なのかも少しわからない。ただ、蛇に睨まれた蛙のように視線を逸らすことも叶わないまま、焦りと不安から溢れる唾液をごくりと喉鳴らして飲み込んだ。 「汚らわしい」  聞いたことのない低い声でそう吐き捨てると弟はダイニングから姿を消した。名前を呼ぶことも、追いかけることも完全に拒否した背中に向けてゆっくりと手が伸びる。それはそのまま届くことはなく空を切った。  受験はあっさり終わった。俺と弟は違う制服を着て違う高校に通っている。  両親は俺たちを比べることなく育ててくれた。それに関しては感謝しかない。だが、受験に関しては別だった。  双子だからと同じ学校の受験を勧められた。学力も内申点も天と地ほど差があるのにだ。勿論俺の受験は大失敗。精一杯勉強したけれど、補欠にだって入れなかった。  結局家から一番近い公立高校に一般入試でなんとか滑り込んだ。でも自転車通学で財布にも優しいからヨシとしよう。最初からこれでよかったんだ。本当受験料の無駄だったと思う、払ってくれた親の手前口には出さないけれど。  周りは有り難いことにそっとしておいてくれた。そりゃそうだ、受験失敗なんて決まずくて話題にしたくないだろう。それでも俺と弟の制服が違うだけで簡単に噂は広がる。何も出来ず平凡な兄と容姿端麗で成績優秀な弟。  近所の人はこそこそと、親戚のやつらは堂々と俺と弟を比べる。弟に媚び諂って、同じ口で俺を蔑む。最後に二人だけの兄弟だもの仲良くね、なんて言えばきれいにまとまったと思ってるんだから頭が痛い。  汚らわしい、と俺に吐き捨ててから弟の態度は一変した。反抗期だろうと笑う親に、俺は何も言えなかった。  俺がΩだと知った瞬間に反抗期が来た? ないない。だって俺の握っていた紙を目敏く見つけるその瞬間まで、俺の背中に張り付いていたんだから。俺の耳には未だにあの捨て台詞がこびりついて離れない。  もうずっと弟の顔を見ていない。口だって聞いてない。いくら進学校で忙しくても兄貴と口もきけないなんてことはないはずなのに……弟は俺をいないものとして扱った。  それでも高校生活は快適だった。弟と比べられることもなく、同じくらいの学力のやつらと気楽に遊んで勉強できる。これが普通だってことに、俺はなんで気付かなかったんだろう。  Ωの出来が悪い、とは言いたくないけれど決して進学校とは呼べないこの高校には、俺と同じΩがたくさんいた。それは大きな救いだった。  保健体育なんて中学の時は寝る授業だと思って嬉しいものだったけど、この学校はΩの多さから保健体育にはかなり力を入れているようでとても寝かせてもらえなかった。先生たちの性別への理解も高く、蔑まれるどころかちゃんと俺たちが自分を守れるように寄り添ってくれた。  その甲斐あって初めての発情期も、慌てることなく対処出来た。親にはちょっと言いづらかったけど、学校を休むんだから言わなきゃならない。もうずっと口をきいてないけれど、弟には絶対黙っておいてくれと頭を下げ、熱い体を引きずるようにして部屋に籠る。弟の嫌う汚らわしいΩにだけにはなりたくなかった。両親が放っておいてくれたのは有難かったけれど、晩飯が赤飯だったのは未だに許してない。

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