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第5話
「こいつが、Ωだからだろ。家族とはいえフェロモンには逆らえない。こいつの高価な薬のせいで過労、こいつのフェロモンのせいで過剰摂取……全部こいつのせいじゃねえか!」
「それは違う、家族でいるためだ! この子せいだなんてこと、絶対にない!」
弟の言葉に父さんも声を上げる。母さんは更に大きな声で泣き出した。
俺は鈍器で殴られたのかと思った。それくらいの衝撃だった。
だって、そんなこと……今までちっとも知らなかった。俺のせいだって、俺だって思う。弟が怒るのだって無理はない。母さんだって本音は俺を恨んでいるのかもしれない。父さんだって……。
俺のせいで家族が壊れていく。胸倉を掴んで引き寄せられる。殴られると覚悟を決めて目を瞑ったけれど、寸でのとことろで父さんが止めてくれた。ゆっくりと目を開ける。弟の顔は今まで一番表情のない冷たい顔をしていた。
葬式の様にくらい空気に包まれる。ただ謝る父さんと泣き続ける母さん。怒りを隠さない弟。
どうしたらいいのかなんて、誰もわからなかった。絶望だ、一家心中? いや、悪いのは俺一人か。そうか……俺が、いるから、こんなことに。
「元凶って兄さんじゃん」
「おいっ!」
「それに一番金かかってんのも兄さんでしょ?」
地獄の底から響くような低い声だった。勿論それを発したのは弟だ。俺が、両親が、思っていても言えないでいる一言をあっさりと言ってのけたのは大事な双子の片割れだった。
「……そ、そんな言い方止めなさいっ」
事実だけに反応が遅れたのは母さんだ。母さんもきっと俺を恨んでいるだろう。俺がΩに生まれたばっかりに、父さんが体を壊した。俺の所為で、薬を飲む羽目になったんだから。
ただ、俺が今いなくなったところで現状は何も変わらないことはバカな俺でもわかる。弟の低い嫌悪の含んだその声に、俺は自分を犠牲にしてでも家族を守らなきゃいけないと思った。そうすることが一番の贖罪だとも。
弟がいいたいことはわかる。全然似ていないのに、こんな時に双子を実感するだなんて神様は酷い。俯いたまま、黙りこくる。わかってる、俺が薬を諦めればいいだけ。
薬を飲まなくても、死なない。ただ、数か月に一度、一週間弱の間体が飢えて飢えて仕方なくなるだけ。フェロモンをまき散らして、αだけでなくβまで誘うような発情状態になる。子を孕もうと本能むき出しの淫獣に成り下がるのだ。
その間は閉じこもってればいい。腕も足も縛ってもらって、睡眠薬でも飲んで寝てしまえばいい。
「俺働くから……薬飲むのもやめる」
「Ωがまともな職につけるとでも思ってるの」
「でも……」
「三ヶ月に一度一週間も休むやつに、重要な仕事を誰が頼む? αのフェロモンに中てられれば周期関係なく発情するようなΩ誰が雇おうと思うんだ」
そうだ、そうだった。就職したとしても、発情期と呼ばれるその間、仕事はどうするんだ。普通の会社って、有給ってどれくらいあるんだろう。確かΩの為の優遇措置があったと思うけど、それってどんなだろう。高校生の俺じゃ知らないことばかりで弟に何も言い返せない。
例え縛って閉じこもったとしても、そんな俺と父さんが同じ屋根の下に住めるとも思えない。今までのように薬が飲めなくなった父さんを、これ以上苦しめるなんて出来ない。俺が出て行けば解決する。だけど、そんな金どこにもない。俺のせいで家族が壊れかけているのに、俺だけじゃ救えない。存在価値が皆にとってマイナスでしかない事実に、消えてなくなってしまいたかった。
「飲み物買ってくるから、とりあえずベッドに戻りなよ」
いつまでも床で二人抱き合う両親を少々強引に立たせて俺は廊下へと出た。後ろからもうひとつ足音が聞こえるから、弟もついてきたんだろう。
「どうしたらいいと思う……」
「……」
弟は何も言わない。かと言って無視してる訳でもなさそうで、俺はますます気まずくなってしまう。自動販売機を前にしても、弟は黙ったままだった。ガコンガコンと自動販売機がドリンクを吐き出す。何も言わないならどうしてここまでついてきたんだろう。殴って気が済むとは思えないけど、殴りたいのなら父さんたちがいない今がチャンスなのに。
痛いのは嫌だ。それでも針の筵にいるようなこの状況が続くのはもっとごめんだった。
「俺が体売れば、なんとかなるかな」
ふと出た言葉に、自分で一番驚いた。体を売るだなんてこと、少しも考えてなかったのに勝手に口から音になってこぼれ落ちたのだ。とても両親に聞かせられない、口から出たのが今でよかった。そんな俺の独り言に弟が大きくため息を吐いた。
「はあ。相変わらず能天気だね。兄さんが体売ったって稼げるのは発情期の時だけでしょ。それで生活費と学費と治療費稼ぐっていつまで売り続けるつもり? そもそもΩ特有のきれいな顔でもないのに、売れる訳ねえじゃん。笑える」
「そ……、だよな。せめて、俺が女の子だったらよかったのに」
バカでも平凡な顔立ちでも、それなりに売れただろう。Ωとのセックスはすごいって言うし手っ取り早く金が稼げたただろうにね、と笑うとさっきまで能面のような冷たい顔だった表情が少しだけ歪んだ。
「兄さんは、全然気づかなかったの? 父さんのこと」
「うん……って、お前は知ってたのかよ」
「知ってた。昔は一錠だったのに、最近ざらざらラムネ菓子食うみたいに飲んでた。むしろ気付かない方がおかしいっつの。ありえねぇ。本当金食い虫……これ以上迷惑かけんなよ」
口を開けば俺を傷つけるようなことしか言わない弟。事実なだけに何も言えない自分。父さんがたくさん薬飲んでることなんて知らなかった。ラムネ菓子みたいにって比喩なんだろうけど、そんなの薬じゃなくてサプリメントだとしても体にいいはずない。俺の所為だ。俺がΩだから。
顎がガタガタと震えて間抜けな音が口の仲に響く。弟からの嫌悪に体が冷えていく。
こいつ、こんな酷いやつだったっけ。じわりと視界がぼやけていく。涙を流していいのは俺じゃない。ふんふんと頭を振って揺れる視界を振り払った。
泣いたって何も解決なんてしない。バカにされるのはもうごめんだ。
「とりあえず戻るぞ」
「家族にはもう……迷惑かけない。今まで悪かった、ちゃんと考えるから」
弟は何も言わなかった。頭を下げる俺に目を向けることもなく先に歩き出した。縋るように追いかけて、病室に着くまでずっと謝り続けた。それでも弟は俺を見なかった。
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