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甘い恋人

初めて見る表情だった。 照れたような顔で、ここにいない武市に思いを馳せる渡邉を見て、和希の胸が掴まれたように音を立て痛んだ。 「恥ずかしくてついやめろとか言うと、あいつすぐやめるし、 自分を押さえ込んでる感じしてさ」 「武市と2人で話したほうがいいんじゃないか?」 「何度か話してるんだけど、ラチがあかない。ノーマルだった俺を無理矢理引っ張り込んだって思ってる節があって、 そんなことないそうじゃないって言っても通じてない」 自分の言葉を信じてもらえないのは辛い。 でも、武市は何よりも渡邉のことを優先して大事にしているように見えるのに、 信じられず一歩引いた態度には何か訳があるのだろうか。 「渡邉、好きとか言ってる?」 ふと問いかけた和希に渡邉がむせ、咳き込んだ。 「は!?え!?」 「だから好きとか、愛し、てるとかだよ」 愛してるなんて自分も言ったことはない。 そんなことはおくびにも出さず和希は渡邉に詰め寄る。 「そっ、そんなの、ヤルことヤッてんだから言わなくたってわかるだろ!」 「いや、それとこれとは別。言わなきゃわかんないこともある」 「とっ、戸川は言ってんのかよ」 「………………………………たまに」 2人して赤くなった顔を下げたまま別れる駅まで無言で歩いた。 「戸川、ちょっと飲んで帰んない?」 駅を背に渡邉が和希の肩を掴んだ。 駅のすぐ側には居酒屋が見える。 確かに好きだの愛してるだの、尻が痒くなるような愛を伝える言葉は素面では伝えずらい。 だが。 「ダメだ、酔って言っても意味がない、素面で言うから意味があるんだって」 「お、おぅ……」 「俺も素面で言うから渡邉も素面で武市に伝えろ!」 「おっ、おう!」 何やらおかしなことになってしまった、と和希がふと気付いたのはマンションにつき、鍵穴に鍵を入れた時だった。

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