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レール
今は毎日の飲むブラックコーヒーも昔は飲めなかった。
高校の部活後に飲んでいたのはパックのコーヒー牛乳。あれはまた、ものすごく甘い。今じゃ全く飲める気がしない。不思議だな。
初めてブラックを飲んだのは大学に入ってから。どうしてこんな苦いのが飲めるのかと思っていた。彼女の手前、顔をしかめたくなるのを必死で我慢しながら、カッコつけて頑張って飲んだっけ。「ブラック飲めるなんて、充 君大人っぽい」なんて、ミルフィーユを切り分け掬ったそのフォークに、僕が今にも齧 り付きたくなっていることなんて露とも知らない彼女ははにかんだ笑顔を向けた。
あれほど苦労して飲んだブラックコーヒーだったのに、今となっては普通に飲める。
大人になったってことなんだろうな。
半分減ったアイスコーヒーのグラスを置き、ポケットの携帯を取り出しホームボタンを押す。途端に通知がずらりと表示された。これが得意先や、新規のお客だったらどんなにいいか。しかし相手は西本結衣。付き合っている彼女からだった。
彼女とは大学からの付き合いになる。ミルフィーユの彼女だ。サークルで知り合った僕のふたつ下の後輩で、もう五年になる。可愛らしい子だけど、初々しさはもうない。二十六になって、周りでもちらほら結婚の話も出てきている。仕事も落ち着いてきた。付き合いも長いし、彼女も親たちも、もうそろそろなんじゃないかって思ってる。
結衣はいわゆる箱入り娘で、大学を出たあとも「花嫁修業」に忙しく会社勤めをしたことがない。毎日、茶華道やら、料理教室やら、着付け教室、はたまたスタイル維持のスポーツジムやヨガにせっせと通っている。
相手が僕でよかったのか? といつも自分のことながら不安を覚える。
初めは知らなかったとはいえ、僕は目が覚めるようなイケメンでも、何かすごい才能をもっているわけでもない。ただの庶民。よく五年も続いてると思う。結衣が地味専だからか、性格がいいからか。まだ結衣はいいとしても、ご両親だって……。
一人娘の結衣。きっと僕が次男坊だからなんだろうけど。
透明なレールはもう既に目の前にある。
『今度の土曜日だけど、充くん大丈夫?』
『例のお食事会ね。お母さんが呼べってうるさいの』
『お父さんも一緒だから、食事代は出してもらえると思うよ~』
例の食事会とは、彼女のご両親の友人が営む高級料亭で一度食事をしようとずっと誘われている件だ。「そうですね」なんていいながらも、庶民の僕はどうも構えた場所が苦手でのらりくらりと避けていたから痺れを切らしたらしい。
その料亭はテレビで何度も取り上げられていて、予約も二、三ヶ月待ちだと結衣が言っていた。
「……はぁ……」
なんとなく返事が億劫で、仕事が終わってからでいいか。とそのまま既読にしないで携帯をポケットへ落とす。気が付くと外の雨がさっきより本降りになってる。白く煙る景色にますます憂鬱になった。
やれやれ……外に出たくないなぁ。
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