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第25話
泥のように眠り、スッキリした頭で思った。
「朝日が、気持ちいい。」
軽やかな鳥の鳴き声で目を覚まし、
優しく入り込む陽の光が桃李に澄み切った朝を伝えてきた。
滑らかで、柔く大きな布団とふわふわのタオルケットが幸せに満ち満ちた気持ちにさせる。
むくりと、起き上がり大きく伸びをした。
肩も腰もどこも痛くない。
隅々まで健やかだ。
「お早いですね、桃李さん。」
背後からコロコロとした綺麗な声の女性が現れた。
彼女は神獣 麒麟、名前は鈴(りん)。
親友だと思っていた悪友が実は麒麟という神獣であり妹がいて、それが妻だったと言う暴露付きだが、彼女が、天界 高天原で桃李の身の回りの世話をしてくれている。
騰礼の大きな宮殿の奥に建つ屋敷は、
全て桃李専用のフロアであり、
限られた人しか入れないのだと言う。
それは、他の龍の宮殿にもあり
有り体に言えば"大奥"とも"囲い部屋"とも言えるそこは、
"桃姫宮(とうききゅう)"と呼ばれているそうだ。
「今日、出発だよね?」
「はい、西の義栄様のお屋敷ですね。」
つまり桃李は、
無事に第一回超乱行大会を生き抜いたのだ。
それは、
20数年の間に龍を蝕んでいた穢れを祓い潔め、
それぞれ次の巡りまで保つように気を与え終えたと言う事。
大役を果たし、任務は完了した。
そして、いよいよ今日から四龍各国を巡る日々が始まる。
ここまでは密かに、
天界へ入り改めて巡りを正した桃李だが、
本来なら、四龍唯一の妃であり、国に在るだけで国力が漲る豊の象徴である仙桃妃の帰還を
国民に知らせなければならない。
その場所が、次に向かう義栄の治める西の国。名を白珠(はくじ)。
そこで正式に、
仙桃妃をお披露目するのだと言う。
「何時に騰礼の屋敷を出るの?」
「桃李さんの準備が出来次第だそうです。」
優しく微笑む鈴が、ふとクスリと声を漏らす。
「四龍の皆さんは、
既に起きていらっしゃいますよ。
桃妃宮の中で、
そわそわしていらっしゃいました。」
「え?なんで。」
ボサボサの頭を手櫛でゴシゴシ梳かす桃李をふと、疑問が襲う。
"フツーに入ってくればいいじゃん。"
「きっと、お寂しいんですよ。
今日別れれば、
少なくとも1年以上は会えないんです。
それぞれの国に
1年ずつ滞在する決まりですから。
仁嶺様が桃李さんと過ごすのに、
今日から三年は待たなくてはなりません。」
愛する人に三年も触れられないなんて、
辛い筈だと鈴が言う。
全くもってその通りだ。
「そうだよ、な。」
まさか自分が、1年毎に旦那を変え移動して回る生活になるなんて思いもしなかった。
会いたい時に会えるよ、と
昨日、仁嶺は言っていたが
義栄の国に居てその妃がシルバーではなく
仁嶺の色でいるわけにもいかない。
つまり、せっかくの逢瀬であっても
唾液を少しでも飲んでしまうと、澄み切ったシルバーではなくなってしまう。
昨夜の乱行大会で味わった仁嶺は、
貪欲絶倫お化けだった。
そんな男が、果たして三年も禁欲出来るのか。
「おれ、浮気心配とかした方がいい?」
騰「どうしてそんな発想になるんだ。」
仁「そんな、!」
義「バカだな姫。」
耽「桃李...」
桃「ぇえっ、!?何でお前ら入ってきてんだ!」
鈴「すみません、今し方私がお通ししました、!」
桃妃宮に、激震が走った瞬間だった。
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たった三日しか、騰礼の宮殿には居なかった筈。
それなのに、何故民族衣装がここにあるんだ!
爽やかな朝の目覚めは、懇々と
"お前だけを愛し誓いを立てているのだ"と
四人の龍に囲まれ、説き伏せられ終わった。
昼食もティータイムも終わった桃姫宮では
早速、義栄の国への出発の準備が行われている。
「義栄、これ何だよ?」
「ニカブだ。オレの国の装束で、これは最高の品を用意した。」
義栄は、誇らしげに顎を癪って言う。
確かに、見事な細工が施してある。
首から踵まで、黒一色の布地に映え渡る銀の刺繍が入っており、
蝶や花が散りばめられ襟と袖口横のラインが綺麗に細工されている。
そして、頭に被るのだというヒジャブとセットになっていた。
「義栄の国、もしかして宗教ある?」
桃李は、大学の授業を思い出していた。
ヒジャブやニカブと言えば、肌の露出を極力抑えた国の装束で
そこには宗教が根付いていた筈だと。
「無いが、それぞれが誇る国色はある。
オレの国ではこの衣装と、オレの民が全てだ。
強要はしていないし、神の国で宗教というのも妙だろう?」
鏡台に座る桃李と、横に立つ義栄の視線が鏡の中で絡み合う。
「お前は、お前のままで良い。
だが、美しいものは隠せというのがオレの国での言葉だ。」
「何で?」
すっかり、翠の抜けた薄桃色の瞳で桃李は背後を見上げる。
すると、丸く猫のように大きな瞳と驚く程柔らかな表情の義栄がいた。
「オレの国の男は皆、賢い者が多いが、
美しいものに弱い。
お前は美しい。
その瞳も、髪も唯一お前だけの色だ。
お前と、天帝が育てる仙桃のみが持てる美しさだ。オレたちの国で美しさは宝だ。
それは無闇矢鱈と見せず、大切な者の前でだけ見せるべきだと考えている。」
輝く銀の瞳が、煌めきを増している。
"美しいものは隠せ"
確かに、そうかも知れない。
そうでなければ、桃李は傲慢な男から溢れでる賞賛の言葉に、恥じらいで茹で上がる頰も隠せやしない。
「白無垢の時みたいに、ゴネないのか姫。」
「うるせっ、!」
ニヤニヤ愉快そうに笑う義栄は、何時の間にか奥に引っ込んでいた鈴を呼び付け、
当然のように言い放ち去っていった。
「鈴、コイツを頼んだぜ。」
「ええ、とっておきの美姫にしてみせます。」
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「さぁ桃李さん、もう一度だけ復習しましょう。」
「お、ぅ。」
桃李は、
今義栄の宮殿のバルコニーの端に居た。
外には既に、地面を覆うほどの人波が、先に表に立っている四龍に歓声を上げる。
これ程までの人波を桃李は見た事がない。
この歓声さえも、凶器に思えてきた。
緊張で足が震え、指先は冷たくなっている。
そこへ、声をかけてきたのは心強い付き添いで親友の妻、鈴だった。
「先ず、ここから仁嶺様のところまで歩きます。」
「そんで、仁嶺と中央の義栄の所まで行って、今度は義栄と友康の前まで行く。」
「そこで、義栄様が民と天帝へ繁栄と平和の言葉を述べられます。」
問題は、この後だ。
「おれが、義栄にキスしてパワーアップさせる。」
「ええ、完璧です!」
鈴が、式典の流れを覚えただけで褒めてくれる。
美人に褒められて悪い気はしないし、
完璧だと言われれば、本当に完璧に出来そうな気がする。
「あ、あ、今です!行って桃李さん!」
「えっ、はい!」
バルコニーへ出る寸前、鈴が手を握り楽しんで、と声を掛けてくる。
正直楽しんでなんていられない、と恐る恐る外へ出ると
広がる大空が割れんばかりの歓声が、大気を震わせた。
わぁっ、言う歓声の中には"桃妃様万歳"という声もあちこちから聞こえた。
見える限りの人々が、口々に桃李を見て笑顔を浮かべている。
高揚、興奮、そんな表情でとても嬉しそうな人ばかり。
「嗚呼...わかったよ、ばーちゃん。じーちゃん。」
今、唐突に理解した。
この人達を守る事が、桃李の役目なのだ。
「この人達が、健やかに生き幸せに暮らす事が出来るなら。」
その為なら、自分の役目を果すべきだ。
「桃李、こちらだよ。」
圧倒され、決意する桃李を、左手から仁嶺が呼ぶ。
慌てて、出来る限りの早足で向かうと
何時もの様に爽やかな微笑みが返ってきた。
「後で、手を振ってあげると良いよ。皆が喜ぶ。」
「そうする。ありがとう仁嶺。」
式典は、思いの外あっさりと、拍子抜けするほど順調に進んでいく。
そして、見違える程に四龍が王だった。
そこには、意地悪な瞳もシャイな雰囲気も無い。
気品を纏い、毅然とした佇まいとその衣装が彼らを高めている。
国を守り、穢れを祓い戦う男だという事を思い知らされた。
「オレに惚れたか?」
ハッと気が付くとニヤリ、と口の端を上げこちらを見ている義栄が居た。
「バカ言うな、
お前らが、いつになく王様っぽい格好だから驚いただけだ。」
ふっ、と鼻で笑われ、無意識に見惚れていた事は隠し通せなかったのだろう。
だが、式典は進行する。
仁嶺の手を離れた桃李は、
今度は義栄へと託される。
その身に纏う黒の民族衣装は、
この国の誇りだ。
美しさと、忠さを併せ持つ国 白珠(はくじ)と、そこに住む全ての民への安寧と平和を誓い、義栄がすらすらと、語らいでいく。
民は、王の言葉に耳を澄まし、魂を寄り添わせていく。
「四龍 白虎の名の元、仙桃妃と共に白珠の安寧と平和を誓う!」
凛々しく、雄々しく義栄が声を上げる。
おお、と力強い民衆の声が返ってくる。
なんと、強く逞しい事か。
地上で、これ程までに民と王が結び付いた光景を桃李は知らない。
「我らが天帝より授かりし姫、貴方の民と王に施しを。」
ふわりと跪いた姿が見えた。
「ぇ...!」
寸前まで、毅然と立っていた一国の王が
目前で鮮やかに傅いている。
「オレに惚れたか、姫。」
その声は、民に語りかけた時と同じ。
揶揄いも、艶もない、只直向きに真摯だった。
「そうかもな。」
もう誤魔化しても仕方ないのかもしれない。
高まる鼓動が、身を委ねてしまう自分が
もう彼を求めていると肯定しなければ。
二人にしか聞こえない小さな声で、
義栄がして見せたように、ふわっと地面に膝をつきその頰へと手を添える。
シルバーの瞳が、驚いた様に見開かれる。
首を傾げ、ちゅと...ほんの触れるだけの口付けを落とす。
すると、民衆が大きな歓声をあげた。
驚いていると、グイッと腰が引き寄せられた。
「は...むっ、ん...ン。」
がぶりと喰われそうな程深く口付けられ、
舌先が唇をノックする。
ぎこちなく薄く開き、ゆっくりと熱い舌の侵入を許すとざわざわ、とどよめくたくさんの人の声がする。
それでも、深い口付けは続き、歯や上顎を擦られ身体中が恥じらいの熱を持ち始める。
「後で文句は聞いてやるから少し耐えろよ、姫。」
こくり、と頷きもう何度目か分からない愛する龍の唾液を飲みこむ。
「ひ...っ、う!」
駆け上がる快楽に、思わず逃げ腰になる所を
義栄がすかさず引き寄せ、抱きしめられる。
空いた右手で顎を掴まれた。
腹のナカをもやもやと熱い気配が渦巻いていく。
「ひ、ゃ....ぁ、ア...ふ、むう、ン」
じゅるり、と舌と一緒に桃李の気が吸われていった。どうにか引き結んだ唇から、濡れた声が漏れてしまう。
だが、民衆はばさりと振り払われた桃李のヒジャブを見ていた。
そこに現れたのは、毛色がみるみる変わっていくホンモノの仙桃妃の姿。
しかも、変わったのは髪だけではない。
儚い薄桃の瞳が、濃い白銀へと変化する時、
彼が身に纏っていた黒の衣装までもが
眩い輝きを持つダイヤのウエディングドレスへと変化した。
「ゎ、わ...なんだこれ、すげぇ、う、うわ!」
その無邪気で、艶っぽい表情が、
今度は義栄の瞳を釘付けにした。
膝をついた桃李を立ち上がり様、
軽々と抱き上げた。
自分が守る国と民の全てを
この小さく優しい桃妃に見せたかった。
これから1年、ここで夫婦として暮らすのだ。
「義栄...っ、おれこの国が好きだ。」
「オレの自慢だ。」
互いに見つめ合うシルバーの瞳が、どちらともなく近付き
また小さな口付けを交わす。
湧き上がる歓声に包まれて、この日の式典は
無事に終わった。
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「もう、行くのかよ?」
「うん、僕も国の人達が待ってるから。」
「俺もだ。また直ぐ会える。」
耽淵と、騰礼が桃李の頭を撫で、抱きしめて別れを惜しむと、
そのまま各々の国へと帰っていった。
「仁嶺は?」
「寂しいかい、桃李。」
「仁嶺もだろ、」
膨れて言い返す桃李に、
ふっと仁嶺が微笑み返す。
「わたしも寂しいよ。
だけど、私たちはまた直ぐに会えるさ。」
よしよし、と頭を撫で慰めていく。
涙は流さないぞ、と誓った桃李の瞳だが、
もうそこまで涙が溢れてきていた。
「そんなに涙を溜めて、目が真っ赤になってしまうよ。」
「泣いてない、!」
「ふふ、まだね。」
仁嶺が、からかう様に笑い目元へと口付ける。
そして、そのまま耳朶へと唇が迫り甘い言葉を注いで行った。
「四年後、桃李がわたしの妻になってくれる日を、楽しみにしているよ。」
甘く、鼓膜に響く優しい声は、桃李の胸をとくりと鳴らす。
「ほら、早く義栄の所へ行きなさい、弟が拗ねてしまうと大変だ。」
ほら、と指差す方向には、
確かに機嫌の悪そうな、拗ねた風な義栄が居た。
「また、来年の式典で会おう桃李。」
優雅に手を振りながら、仁嶺までもが白珠(はくじ)を後にした。
残ったのは、この国を守る四龍がひとり、白虎・義栄と
その妻 天塚桃李。そして、麒麟の片割れ 鈴。
「寂しいか姫?」
「ちょっとだけな。」
「そうか、オレもだ。」
"は?"
開いた口が塞がらないとはこの事か。
思わず顔を二度見して、もう一度確認した。
「義栄、も...?」
「あぁ。」
"あり得ないっ、!"
義栄がそんなしおらしい事を考えるなんて、天変地異が来る程あり得ない!
だが、その表情はどこか少しだけ、寂しさが窺える。
"本当に思ってる...!?"
「また、乱行したかったぜ。」
...わけがなかった、
「さ、さぁ、桃李さん!明日は白珠宮の皆様と顔合わせです。
今日は早めに休まれた方が良いのではないでしょうか!
私、地上からバスロマン持ってきたんです!
ゆずの香りはお嫌いですか!」
鈴がめちゃくちゃに捲し立て、
桃李を鼓舞する。
これが、今日から一年は続くのかもしれない
桃李の天界での生活が始まっていく。
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