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第28話

変だなと、最初に思ったのは パチパチと何かが爆ぜる音だった。 それから、煙たい事に気付き ハッとしてベッドから起き上がった。 すると、部屋の中に火が点いていた。 オレンジ色と、黒い煙が少しずつ広がる。 「嘘だろ...誰か、!誰か助けて!」 このままでは焼け死んでしまう。 考えても脱出方法が思いつかない。 あれ程、シミュレーションした包丁も綿棒も 桃李の頭からすっかり抜け落ちてしまった。 「誰か、助けてくれ!」 しかし、ここは桃妃宮の奥。 ここへ来られるのは義栄他、限られた者だけ。 しかも、更に奥にある山小屋なんぞ誰が気付いて助けに来るだろうか。 "死にたく無い...っ、!" 火の手は次第に大きくなり、クローゼットを焼き始めた。特に何も入ってはいないが、 せめて時間稼ぎにはなって欲しい。 「か、風があれば火が消える、かも!?」 強い風があれば、 火を吹き消してくれるかも知れない。 「え。」 すると、突然一陣の風がびゅうと桃李の肩口から吹いた。それは微かに薄桃色の光を纏い、 炎へと立ち向かっていく。 しかし、火に風を与えてはいけなかった。 酸素を得た火は更に勢いを増し、 時間稼ぎになると思ったクローゼットを あっという間に飲み込んで行った。 「違う、違う! 何でだよ、何でこんなとこで風が吹くん...ぁ、水だ、水が有ると良いんだ!」 すかさず、ベッドを飛び降りた桃李はキッチンへと走る。そんなに広い部屋では無い筈なのに、蛇口がひたすらに遠い気分になる。 熱い空気に晒されながら、やっとの思いでたどり着いたが水を汲んで運ぶ術が無かった。 「か、カゴ...、いやカゴはダメだ、穴が無いヤツじゃないと。ザルも無いバケツも無い、クッソ無いものばっかだな...!」 八方塞がりな状況は更にパニックを生み、 何故、先程風が吹き薄桃色の光を纏っていたのかも気になるが、その内、ガンガン思考回路は回り出し更にパニックは続く。 「ホース、だ!ホースは無いのか」 あちこちも、キッチンの扉を開けて見るが こんな所にホースが有るはずが無い。 そんな合間にも、炎はこちらへ迫ってくる。 遂に、桃李が今まで寝ていたベッドの端に 真っ赤になって燃え上がる炎が噛り付いた。 その時、桃李を呼ぶ鋭い声がした。 「姫、!無事か、姫!」 男の桃李をたった一人"姫"と、 そう呼ぶ人がいる。 その人の声が扉の外から聞こえる。 「ぎ、えいっ、!義栄!義栄ッ!」 堪えていた涙が、 唐突に溢れもう我慢出来なかった。 最後に見た義栄の瞳は 冷たく怒っているようだった。 そんな彼が今は必死になって桃李の事を呼んでいる。この身を案じてくれていることが、 声だけでずっと重く伝わってくる。 「助けて、義栄! 火が、部屋の中で燃えてるんだっ、! それと変な風が吹いて、火がデカくなって...」 「慌てるな!近くに水は無いのか!?」 義栄のよく通る声が、 はっきりと桃李の鼓膜を震わせる。 「あ、る!でも、火が遠くて水が届かない!」 「いいから桃李、水を出せ!」 出した所でどうなるんだと、 どうしようもない怒りが桃李を襲う。 「届かないンだよバカ!」 「良いから水を出して願え、願うんだ!」 「なに言って...」 「死にたいのか! さっさと火を消すように願え、桃李!」 正直どうかしてる、と思ってしまった。 お願いするだけで水が火を消すなんて、とんでもない話だ。だが、さっき風が火を消してくれると思った時、この部屋で強い風が吹いたことは間違いない。 でもそれが間違っているとしたらーー? 「姫っ、早くしろ!」 扉の向こうから、 義栄の脅かすような声が響いてくる。 もう、部屋が保たないのだろうか。 そういえばここは、神の国。 いくらファンタジーだろうが、 ありえなかろうがありえないなんて事は、 ありえない世界に桃李は来たのだ。 「分かったから、叫ぶなバカ虎っ、!」 言うが早いか叫び返しながら桃李は、 キッチンの蛇口を勢いよく捻る。 飛び出してきた水が跳ね、 桃李の顔を濡らすがそれどころではない。 "願う、願う、願うんだ、!" 「蛇口の水が全部あの火を消してくれる!」 そう願った。 思わず両手を強く組んで、 この国にいる筈の全ての神に願った。 "水が、あの火を消してくれますように。" すると、 蛇口から勢いよく出た水たちが、意志を持ったかのようにうねり大きな虎の姿となった。 「グォオオ」 それは...水の形をした大きな虎は 一つ大きく吠えると バチバチ燃え盛る炎の中へ飛び込んで行った。 バシャ、と水が打ち付けそれから、ジュワッと言う音がした。それは、あれだけ猛威を奮っていた炎が水に打ち負けた音だった。 「は、は...消えた、よマジか。」 「姫、無事か!?」 また扉の外から義栄の声がした。 今度は、脅かすような声では無かった。 外からも、たちまち火が消える様が分かったのだろう。桃李の安全を確かめようとする必死で不安そうな声だった。 「大丈夫だ、火は消えたよ!」 そう言いながら、 もう一度部屋の中を見渡してみる。 昔、花火をした時に祖父に言われたのだ。 "火はなぁ、桃李。種火さえ残っていれば、 いつでも火が起こせる。 だが消す時は、ちゃんと確認する事じゃ。 ばぁさんに、怒られるのはイヤだからのぉ。" 「多分、種火も無いよ!」 そう応えると、義栄のホッとしたような声が扉の向こうから聞こえてきた。 「お前が無事で良かった。」 「義栄...」 その表情が見たくて、 焼けかかった扉を押すが一向に開く気配がない。壁も結構燃えたと思ったが、 どうやら扉までは侵食しなかったらしい。 はめ殺しの木は、内側からは開けられない。 「義栄ここから、出して。」 「あぁ...オレもそうしたいのは、山々なんだが。」 「なんだよ、お前まで監禁するってのかよ!」 そうじゃない、と義栄は言うが 火に焼けて、水浸しの部屋でこれ以上何を待てと言うのか。その答えは、ここに居るはずのない聞き慣れた奴の声で分かった。 「あーー、まだそこから出ちゃダメだよ桃李。 せっかくチカラが目覚めたんだから、実験しなきゃね!」 「と、もやす...!?」 唯一の親友で、麒麟の片割れで、 今は只の頭のおかしなヤツ。 「何でお前が居んだ!こっから出せよバカ。」 「鈴の身体を借りたんだ。 お前の仙桃妃としてのチカラが目覚めたって義栄さんから聞いてこうして入れ替わってまでテストしに来たんだよ。」 「嗚呼、そうかよ。」 ありえない、なんてありえない世界だ。 本当にあり得なさすぎる、と 憤慨する桃李だが、 こんな焼けた部屋からは一刻も早く出たい。 何せ、命の危機を感じたのだ。 それを阻む親友は、親友ではなく悪友決定だ。 「テストって、何すんだよ。」 腹は立つがこの分からないチカラは何か、はっきりさせたい。考え抜いた末に、渋々実験とやらに付き合うことにした。 そうでなければ、いくら義栄でもこの扉を開けてくれる気配が無いのだから。 「そこに、何か金属は無いかい?」 「あーーー待って、あるぞ包丁でいいのか?」 いいね、と友康が応えてくる。 何がいいのかはさっぱり不明だが、 "いい"と言うことになった。 「それでさっきみたいに、願ってみてくれ。 例えば、この扉を破る斧とかチェーンソーとか具体的な構造とか仕組みの分かってる奴。」 「チェーンソーの仕組み知ってるか友康?」 「勿論知ってるけど、チェーンソーを造るとなると発電とバッテリーの仕組みまで知ってる必要があるけど?」 「知る訳無いだろ。」 結局、桃李が包丁に願ったのは "よく切れる斧になってくれ"、だった。 強く強く願い、目を瞑って斧を思い浮かべる。 すると、薄桃の光を纏い包丁はみるみるうちに斧へと変化していった。 「スゲー。」 語彙力は無いが、素直な感想を述べた。 ひっくり返したり、振ったりしてみたが どこからどう見ても斧が出来上がった。 薄桃色の光はやがて消えたが、 ずっしりと重い斧が桃李の手に残った。 「出来たぞ!」 パン、と両手を合わせて錬金術を使う金髪の主人公とは、少々違うようだが、桃李も似たようなチカラを得たらしい。 「じゃあそれで、扉を破って見てくれ!」 「おっしゃあ!」 やる気十分に斧を持ち、大きく振りかぶり 全身全霊をかけてガツンと扉に振り下ろしたはいいが、付けられた傷は、薄い線一つだった。 「もう一丁!」 でやぁあ、と気合を入れて立ち向かってみるが やはり、斧がつけた傷は微々たるもの。 薄い線が二つに増えた。 「なぁ、この斧使えねぇんじゃ、」 「違うと思うな。 単純に、桃李の腕力の無さだと僕は思うよ。」 桃李の言葉を遮るように、友康が言う。 「何でだよ、日本男子の平均的腕力だぞ!」 「その、日本男子平均的腕力じゃここの木は貫けないって事だよ流石、天界 高天原。 ほら、天界の木だから物凄く硬いんだよ。 すっかり忘れたよ、ごめんね桃李?」 「もうヤダ...なんだよソレ。」 ビリビリと痛む手が、友康の言葉で余計痛い。 だが、突破口が見えてきた。 友康程では無いが、桃李も賢い男だ。 「そもそも、 この扉を木の何かにしたらいいんじゃね?」 「何にするの?」 「何だろうな。」 「ギターとか良いねぇ。」 まるで買いたいものリストのように友康が言う。欲しいのか、と桃李が聞くと欲しいと答えが返ってきた。 「でも、詳しく知らないと完璧なギターは出来ないよ桃李?あと、弦は樹じゃ出来、」 「分かってるよ!」 今度は桃李が友康の言葉を遮った。 20数年来の親友は、 こんな時でも気心が知れている。 「決めた!」 「何にするのさ?」 「うるせ、黙って見とけよ!」 今度は、斧を脇に置きまた両手を組んで願う。 本当は両の掌を合わせて願いたいところだが、 この方が桃李には気持ちが込めやすいので一先ずは断念しよう。 "変われ、変われ、変われ変われ...!" すると、扉はみるみる形を変え するすると小さくなっていく。 やがてその姿は、木製の豚の貯金箱となった。 「何だコレは?」 扉が縮み、向こうから現れたのはシルバーの刺繍が飾り立てられた ガラベイヤを着た義栄だった。 正確にはススや砂やらが付いて、 薄汚れてはいるがニカブに違いない。 その義栄が、桃李の顔を見るなりそう言った。 「メイドイン天界のブタの貯金箱だよ。」 桃李が拾い上げ、手にとって眺めるソレは どう見てもブタの貯金箱だった。 勿論、木製で可愛らしいピンク色ではなく花柄の飾りも付いてないが 木目の綺麗な貯金箱がそこにあった。 おしゃれな小物感があって案外、良い出来だ。 「すごいな、流石だ。」 「ありがと。」 義栄がそっと歩み寄り、桃李の腰を抱き寄せ額へと口付けを落とす。 それは、実に5日ぶりの義栄の温もりで そのまま重なりそうな甘い口付けの予感の寸前、大袈裟な咳払いが二人の思考に釘を刺した。 「悪いけど義栄さん、まだ二人の世界に入らないでね。」 茶化すように声を掛けてきたのは、麒麟の悪友。 「鈴は?」 「僕と入れ替わって中央区に居るよ。 儀式の時以来だ、久しぶり桃李。」 「元気そうだなお前。」 「まぁね。それで、次は土を使って何か作ってくれる?」 「まだやんのかよ。」 そう言いながらも、やるしかない。 土で手の平サイズの小さなピラミッドとブサイクなスフィンクスを作り、無事に終了した。 「じょあ、大丈夫そうだし僕は帰るよ。」 そう言うと、ポンとこ気味良い音と もくもくとした煙を立て友康が鈴と物理的移動を一瞬で終えた。 「桃李さん、ご無事でしたかっ!?」 現れた鈴は、いの一番に桃李の身を案じると 全身に隈なく視線を滑らせ、チェックした。 幸い、どこも怪我しなかった。 服はひどく汚れてはいるものの、 この惨事でよく無傷でいられたなと思う。 「大丈夫だよ、鈴。どこも怪我してない。」 「良かった...、」 「友康はおれの無事より、 おれの実験の方が気になってたのに鈴は優しいなぁ。ありがとう大丈夫だよ、 あと塩こしょうのメモも。 凄く心強かった。本当ありがとう。」 いいえ、と答えながら鈴が涙を浮かべて嬉しそうに微笑んでいた。 美人が泣くのは勿体ないよ、と桃李がいうと 桃李さんも美人ですよと返されて曖昧な表情を浮かべてしまったが、 それでまた鈴が笑ってくれたので何もかもこれで良いやと結論付けた。 「今夜は、オレの部屋へ来い。」 「え、」 唐突な誘いは、 不意を突いて桃李の胸を疼かせた。 「お前が危険な目に合うのは耐えられん。」 「あぁ、そうするよダンナ様。」 桃李はクスッと笑って、おどけてみせた。 ◯◯◯◯◯◯◯◯ 「は...ぁ、あ.,.っンふ」 傲慢な見た目の男が初夜に仕掛けてきたのは、 スローセックだった。 ひたすらに、息をも貪るキスをして 手のひらが余す事なく身体中を撫でていく。 「ナカがうねってるぞ。」 熱い義栄の剛直を受け入れたのは、もう随分前だ。その間、ずっとペタリペタリと掌が桃李の肌を撫で回していく。 時折、爪を立てて撫でられ肌が粟立つように興奮が増す。 「ゃ...だ...ぁ、あ」 「ここも好きだろ、桃李。」 耳元で息を吹き込むように、声が鼓膜を叩く。 同時に胸の飾りを親指で強く押し込まれ、 甘い痺れが桃李の腰を疼かせる。 「ぅ、ん...っ、好きっ」 腰が跳ねるたびに、動いてもいない義栄の剛直を自分から奥へと呑み込んでいく。 ヒクリ、とナカが蠢く様が自分でも分かる。 ヒクリ、と呑み込んで イイトコロに当たると思い掛けない程の快楽を生んで桃李を翻弄する。 「もう欲しいか桃李?」 どろりと溶けた頭で、義栄が自分の名前を呼ぶ声を聞く。ベッドでは"姫"ではなく"桃李"と呼ぶ男は先程から、甘い表情と声を惜しげもなく晒している。 余すところなく与えられた掌と唇の優しい愛撫は、限界まで耐えた身体へ穿つピストンは、 途轍もない快感を生むと言うことを この一晩で散々に思い知らされた。 たった三回だけのピストンが、 あれ程までに強烈だとは思わなかった。 「ぁ、あああッまたイク、イクイクーッ、!」 まだビクビクと跳ねる身体と、星が瞬く程の快感が桃李の全てを支配してしまう。 枕を夢中で右往左往させる後ろ頭が、義栄に捉えられるた。 はぁ、と甘い期待と吐息を零して、 はく、と義栄の唇を吸う。 ちゅくり、じゅるりと唇を夢中で貪って 熱い舌を絡め合う。 "きもちぃい..." 激しい動きは一切していない筈なのに、 心臓はバクバクと音を立てている。 「"気"を貰うぞ、桃李。」 「う...ん、いいぜ...ぜんぶ義栄にやるよ」 「良い心がけだ。」 フッと笑う義栄の唇が また吸い寄せられるように桃李の唇を塞ぐ。 「ーーーくンッ!」 充分に愛で、快感で満たされた桃李の腹に溜まった"気"が唇からじゅるじゅると吸われていく。一口ごとに桃李の身体に駆け上がる快感は、もう声に出す事すら出来ない。 「甘ぇ。」 「はぁ、はぁ、はぁ。」 「桃李。」 整わない呼吸で、義栄にキスを乞い 重だるい腕で、彼の首に手を回し抱きしめる。 温かく、しっとりと汗ばんだ肌さえ気持ちいいと思える。 あの火に包まれた部屋で、もうこのシルバーの髪も、猫みたいな瞳も見れないのかと思うと、 ゾッとする程の絶望感が背中を伝った。 この声と、この髪とこの瞳と、 この体温その全て愛おしい。 「...愛してる。」 義栄の首筋に顔を埋めて、ボソリと呟くように言う。そうして羞恥心を抑えてでも、伝えたかったのだ。 今日、助けに来てくれた事 議会を抜けて啖呵を切ってくれた事、 指や唇、身体中で安心と愛を語ってくれた事。 全てを、感謝している事を知って欲しかった。 その一言だけで、全てが伝わるとは思ってはいない。ただ、知ってか知らずが 義栄もキツく、腕を回してこの身を抱きしめ返してくれた。 「あぁ、オレもだ。」 それから、首や鼻先や瞼にたくさんのキスが降ってきた。次第に快感に震える身体も鎮まり、 まったりとした眠気がやって来た。 「いいから、眠れ桃李。 お前は今日、頑張ったからな。」 「ふろ...はいり、たい」 「オレが拭いてやる、それで我慢しろ。 風呂は明日、起きてから入れば良い。」 我儘を言ったな、と我ながら思わないでもなかったがやんわりと断られ そのまま、くったりと眠ってしまった。 「良く眠れ、桃李。」 穏やかな、甘い口付けたその声が寝室にゆるやかに溶けやがて空気に包まれて消えた。

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