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第37話

ソレは仙桃と共に生まれた もう一つの"四" 四龍と相対する痛く哀しく不憫な四凶の話。 ーーーーー 地と海と空を創り、 それらに住う生き物や人間を創り、 天帝は緩やかに過ぎていく日々を 愛おしく見ておられた。 穏やかで豊かな彼の地を良しとした。 時に激しく打ち付ける波や雨をも良しとした。 地と海と空と共に生き 共に在る全ての者たちの暮らしを良しとした。 しかし、 暫くして良くないものが現れ始めた。 それは、 暗く恐ろしく寒々しい気配を持つもの。 始まりはある小さな神々だった。 ひとりが地上での命を全うした時、 その伴侶は失われた妻の魂を追い黄泉の国へと 足を踏み入れた。 喜怒哀楽を共にした愛おしい妻を想い 一目で良かったのだ。 在りし日の妻の姿を目にしたかったが それがいけなかった。 その妻も一目で良かった。 在りし日の様に伴侶に 微笑んで欲しかっただけなのだが、 暗く恐ろしく寒々しい黄泉の国は 健やかで穏やかであった妻の心を "憎しみ"と"欲望と"悪"で黒々しく染め始めていた。 天帝はそれを見ておられた。 小さな神々は天帝の思うより大変に 地上を豊かにし 時には人や他の神々を良く諫めていた。 その二人の最期の逢瀬を、 天帝は良しとしたーーー直後だった。 黄泉の国の扉が大きく開き、 豊であった妻の喜怒哀楽を瞬く間に 憎しみで染め上げ愛した伴侶を止められぬ程の勢いで黒い炎が襲いかかった。 伴侶は逃げ黒い炎が背を追う。 伴侶が駆けた道筋に黒い炎が這い回る。 側の道草や花をあっという間に炭にした。 たまたま居合わせた兎や鹿やその他の獣を ごぷり、と呑み込み 溶けた跡はどろりとした黒い泥になっていた。 僅か瞬きの間にその花も草も兎も鹿も、 黒い炎に焼かれどろりとした穢れに 堕ちてしまったのだ。 天帝は走る小さき神へ桃の木を与えた。 その桃を小さき神は黒い炎へ次々と投げ込んだ。 淡い薄桃色は黒い炎の中で光りを放つと あっと言う間に鎮火し 追われていた小さき神は心底胸を撫で下ろした。 それから幾日が経ち 天帝の愛しき世界は また穏やかに回り始めた。 美しい緑と山と海で戯れ生きる我が子たちは とても命の煌めきに満ちていた。 天帝は穏やかで豊かな彼の地を良しとした。 時に激しく打ち付ける波や雨を良しとした。 地と海と空と共に生き 共に在る全ての者たちの暮らしも良しとした。 そこに "人柱"と呼ばれるものが現れるまでは。 炎は消えても、あの時小さき神の妻が抱えた 憎悪や悲しみや欲望は消えてはいなかったのだ。 彼らは思ったのだ。 地と海と空が怒るのは "何かが嘆き悲しみ 我らを疎んでいるからだ"と。 そして人は取り入ろうとした。 地と海と空、そして母なる天帝に。 ー災いからお救いくださいー ーあれが憎いのです神様ー ーまだ黄泉の国へは行きたくありませんー そうした悪き思いも 根本を辿れば無垢な願いであった。 故に天帝は見ておられた。 人が人を贄へ貶す瞬間を。 そうして 人の住処を囲う様に四方へ贄が置かれた。 彼らは人柱と呼ばれ 自ずから志願したものばかりであった。 愛おしい反面 天帝は気に病んでおられた。 また黒い炎が彼らを燃やすのではないか、と。 そしてその予感は的中する。 純粋で痛い程の決意で贄に志願した四人の人柱は 無意識に忍び寄る悪意に その優しく純粋な心を黒い炎に焼かれたのだ。 初めは母の為、父の為、人の為に志願したのだが 次第に自分が疎まれていたのでは無いかと胸を悩ませ始めた。 そんな筈は無いのだが それを語って聞かせてくれる人には もう会えない。 四人はそれぞれ村の四方に座り閉じ籠り その命が尽きるまで 留まっていなくてはいけない。 そう決めたのは誰だったか。 村長か、村人か、父か、母かーーー。 ひとりは茂る山の中で ひとりは照りつける陽の中で ひとりは凍った湖の側で ひとりは荒れる海の側で 人を憎んだ。 コトン、と尽きたその命を 天帝はその身元に掬い上げられた。 仙桃をその魂に浸し穢れを打ち祓われると その魂をそれぞれ2つに分けた。 柔く優しい和魂(にぎみたま)と 激しく厳しい荒魂(あらみたま)に。 そして、役割をお与えになった。 和魂には、人を穢れから守る役割を。 荒魂には、穢れた人を罰する役割を。 それぞれは四龍 そして四凶と呼ばれる事となった。 ◯◯◯◯◯◯◯◯ 「じゃあ、今...鈴と常秋さんが捕まってるのは 元は義栄だっ、た...って事。」 呆然とした体で桃李は馬に揺られていた。 「そうだね。」 前に乗る友康の腹に回している手が一瞬離れる。 パシッ、と手首を掴まれ しっかりするんだ、と小声で諭された。 「それより桃李、ちゃんと覚えてる? こうなったらお前だけが頼りなんだからな。」 「あぁ、ばっちりだぜ。 あの狸じじい... ...マジで用意が良い。」 ヒクリ、と口の端が痙攣した。 ーーまさか見ず知らずのうちに 仙桃妃として英才教育を受けていたなんてなーー 「もうすぐ着くよ。 義栄さんたちは洞窟へ行ってダルムと二人の救出をする。」 「その間に、おれと友康で窮奇を清める、だろ。」 「正解」 前方を走る義栄の軍が右側へ逸れていく。 その先頭に彼は居て この作戦を相当に渋っていたが お前の役割を果たして来い、と背を叩いてくれた。 それから、たっぷりと口付けもして じんわりと"気"を注ぎ合った。 「よし、行け友康!」 「声だけは一人前だよ桃李。」 掛け声と共に二人の乗った馬が左へ駆ける。 目指すは窮奇の祀られている祭壇。 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯ 「嗚呼...来おったか無能で憐れな蛇め。」 ぴちゃん、と暗い洞窟に涼やかな水音が響く。 「窮奇様...窮奇様...あなたの贄が来ましたぞ。」 何処でもなく囁きかけると ふぅ、と眼前の空気が揺れた。 気が付けばいつの間にか"あの御方"はそこに現れた。 古くは四龍と共に創られた神のひとり。 真っ黒な身体と大きな黒翼を生やし虎の姿を持つもの。 その名を"窮奇(きゅうき)"と言う。 虎はニタァ、と大きな口を開けて笑うと ダルムに声を掛ける。 「さぁ、存分に恨みをはらせ我が愛しい子よ。」 「このダルム・イシュタット必ず 窮奇様の御期待に応えて見せますぞ。」 深く頭を下げてダルムは忠誠を表すと、 また僅かに空気が揺れて窮奇の気配が消えた。 「あの窮奇の贄になるのは 哀れなお姫様だけで充分じゃろう。」 ククク、と溢れる声を隠せない程に愉快だ。 愉快で堪らない気分だ。 四龍がひとりと仙桃妃、麒麟の片割れ どれを殺してもダルムの名に偉大な功績を残すものとなるだろう。 「そしてわたしが王になるのだ。」 権力、そして王の座、なんと甘美な響きなのか。 「お前はわたしのオンナにしてやっても良いぞ? 見目だけは確かに麗しいからなぁ。」 バチッーーーー、と弾ける様な音がした。 ダルムが見るとそこには金色の瞳を光らせた 麒麟の片割れがこちらを睨んでいた。 「威勢のいいオンナは良いが、 わたしは大人しいのが好きでしてねぇ、鈴殿。 無闇に雷を放つ様な躾のなっていない獣には 酷くしてしまいそうだ。」 「躾がなっていないのはお互い様ですね。 貴方こそ神獣に噛みついた事、お忘れ無く。」 「えぇ、勿論...勿論ですとも。 このダルムここに貴女とその子飼を捕らえてからというもの忘れた事などございませんよ。 わたしは神の創り賜うた貴女という息吹に この手を掛けているのです。 殺すなど造作も無い程近くに。 そうでしょう、鈴殿...現に貴女はもう限界のようだ。」 遠くの方で、派手な爆発音がする。 それから、派手な雄叫びも。 彼らが来たのだ。 愚かな龍王の軍が。 「さぁ、復讐と伝説を作り始めましょうか。」 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ 義栄の軍が山を登り 隈無くダルムと二人の捕われた洞窟を探す中 桃李と友康は山を回り裏の湖へとやって来た。 周りは林ばかりで、 目の前には大きな湖しかない。 しかも空気が悪く、霧が立ち込めている。 息をする度に胸焼けを起こした様な嫌な感じがする。 「友康、祭壇って何処だよ。」 祭壇どころか祠すら見当たらない。 「この湖の何処かだよ、下がってて。」 「あ、あぁ。」 友康は馬から降りると、湖の周りを歩き出した。 桃李は不安なまま馬の手綱を握る事しか出来ない。 それから懐の小さな瓶を撫でる。 "本当にこんな所に祭壇があるのか。" 「...ある訳ねぇよ。」 「有ったよ。」 「うわぁっ、!?」 「文句を言うなら帰っても良いんだけど?」 はぁ、と友康が溜息を吐いて いつの間にか桃李の隣に立っていた。 「怖いんだろ、桃李。」 「怖くないっ。」 「怖気付いても義栄さんは怒らないよ。」 「... ...あぁ。」 多分そうだろうな、と思う。 この作戦で一番大事なのはあくまで 捕われている鈴と常秋の奪還だ。 今から桃李がやろうとしている事は、 別に今やらなくても良い。 何ならこのまま放置しても良い筈だ。 そうすれば何れ天帝が何とかするかもしれないし その前に義栄が何とかするかもしれない。 もしどうにも出来なくても、 また昔話の様に穢れを全て薙ぎ祓えば良い。 「でも、おれの仕事なんだろコレ。」 「仙桃妃だからね。」 「じいちゃんが"アレ"を仕込んでたって事は おれが何れこうなる事を見越してたって事だろ。」 「あの狸っぷりだからね。」 小刻みに指先が震えるのは気のせいなんかじゃない。 握る手綱が悲しいかな揺れてる。 馬のせいじゃ無い。 この子はさっきから大人しく立ってくれている。 「だったら、此処でやらなきゃじーちゃんにバカにされる。」 あの祖父の事だ。 こんなヘタレた所を見られたら またニタニタして揶揄われるに違いない。 ほっほ、と笑って桃李があげた薄桃色の湯飲みで茶を啜るのだろう。 それは、悔しいーーーー 本当に、悔しいーーーー 「やる気スイッチ有った?」 友康までニタニタ笑っている。 「おれのは毎分移動するんだよ。」 「そんなバカな。」 気を取り直して、桃李は振り返る。 そこには林と大きな湖しか無いが、 友康はここに祭壇が有ると言った。 「先ずは場を清める。 それから祭壇まで走って、後は手筈通りで行こう。」 「ぉお。」 「僕が祝詞を上げる。 その後は桃李でないと、祭壇には上がれない。」 先ずは、馬に乗せてきた塩を撒く。 ここから湖まで真っ直ぐ。 それから酒を一口ずつ飲んで残りを少し馬にも掛けてやる。 「まさか、こんな所で役に立つとはな。」 「静かに。」 何時だったか、まだ小学生だった筈だ。 友康と二人で神楽の練習をした。 それは村の祭りで神様に奉納するのだそうだ。 その時の10歳以下の子供たちが集まって とびきり上手だった二人が祭りの当時、 神社の祭壇に上がり神楽を奉納する事が出来た。 それに桃李は毎回出ていた。 毎年、友康と共に"子供神楽"と称して踊ってきた。 その時神楽を踊った子には、 毎回おやつが沢山貰えたし、村の皆が喜んでくれた。 その神楽の意味をまさか、 10年以上も経って知る羽目になるとは 本当に思っても見なかった。 「掛けまくも畏き... ...」 友康がその場に膝を着く。 柏手を打ち浅く息を吸い深く吐く この時、祝詞を上げ始めると 友康の周りには黄色のふわふわした光の玉が 蛍の様に漂い、辺りに飛び跳ね始めた。 ーーこれは友康の"気"だ。 「諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給へ清め給へ... ...」 そして祝詞が、終わると 蛍の様な光たちが光り弾け散った。 その瞬間胸を焼く様な空気が消え、 新鮮で清浄な美味しい空気の味がした。 木々と澄んだ水の匂いがする。 同時に辺りの霧が晴れた。 これこそが本来この場の有るべき姿なのだ。 そうして現れたのは、神社の様な立派な祭壇だった。 朱塗りの柱と美しい木組みの施されたそこは 丁度桃李が塩を撒いた道の正面だった。 「これが、祭壇...。」 「行け桃李、神楽を!」 「分かってる!」 友康が開いてくれた祭壇までの道を桃李は走る。 その度に両手首に嵌めた腕輪がしゃりん、と鈴の音を立てる。 「ヒレは!?」 「有るようるせぇな、!」 ビッ、と首に巻いていた薄い布を剥いで 急いで肩に纏う。 それは薄桃色でありながら、 時折虹色に輝いて真珠のような美しさを持った布。 その名を"天の羽衣"と言うらしい。 祭壇の階段を登る手前で一度止まる。 三度柏手を打ち、名を名乗る。 「おれは仙桃妃、天塚桃李。 あんたの為に踏斗(とうと)を舞う。」 階段を昇りきり祭壇の中央へ向かう。 懐の小瓶を取り出して桃李は頭の中で円を描くと 小瓶の中身を足元へさらさらと落としていく。 丁度桃李を囲む様に描いた円からは、 ふわと香木の匂いがする。 それは神気を高める効果を持つそうで 桃李のチカラを増幅させると友康が言っていた。 描いた円の中央に立つ。 ドクドクと心臓の音が鼓膜にまで届いてくる。 ーー鈴良し、ヒレ良し、お香良し。 あとは、踊るだけーーー 友康と城でしたリハーサルは完璧だった。 三つ子の魂なんとやら、だとしきりに思ったものだ。 子供の頃に覚えたものは中々頭から離れない。 ましてや身体で覚えた物なら尚更だった。 楽器も無い、歌も無い。 有るのは桃李の腕のか細い鈴だけ。 まだ指が震えている。 それでも桃李は踏斗を舞う一歩を踏み出す。 ◯◯◯◯◯◯ まるで屍の巣窟の様だった。 かつてここは豊かな緑と湖のあるだけの澄んだ所だった筈だが 今、義栄の眼前に広がっているのは 紫煙を漂わせながら向かってくる骸の山だった。 「怯むな!休むな!油断するなよ貴様ら!」 雄々しく叫ぶ自軍はなかなかに逞しい働きを見せていた。 洞窟は山の中程に有るが、 先ずはこの大量の骸を薙ぎ倒さなければならない。 そんな時でも、 義栄の頭をチラつくのは桃李の事ばかりだ。 薄桃と虹色の天の羽衣を羽織り、 薄桃色の衣装を身に付けた桃李は 義栄の瞳と同じ白銀の色をして、とても美しかった。 桃李は弱くない。 絶対的な腕力は無いが頑強で強かだ。 何より仙桃妃なのだ。 それでも、どうかと願ってしまう。 "無茶するなよ姫" 大槍で骸骨の頭を薙ぎ倒し、 肋を突き破りながら義栄は願っていた。

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