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第3話
「会合が終わったら、一度ゆっくり話をしたいんだ。部屋も取ってある」
「え、何故ですか?」
「ふふ、それはまだ内緒だよ。では羽鳥沢さん、行きましょう」
彼は珍しく楽しそうにホスト役の外務大臣と、招待客の挨拶をしに離れて行った。
一面ガラス張りの豪奢なホテルのレストランを貸し切った会合は、人々が集まり和やかに歓談していた。ここでも零音は、あちらこちらから話しかけられ朗らかに応対していた。
彼は今月十八歳になったばかりで、今回はその祝いのパーティーでもあった。 十八歳は成人に当たり、人間社会に馴染む為にヴァンパイアも成人の儀式を行うのが通例だった。
またヴァンパイアには個人の特徴を示すという理由で、愛称がある。零音は雨と青い瞳のイメージにちなんで、『紫陽花の君』と呼ばれていた。この会場でも多彩な紫陽花が沢山飾られている。それらを何気なく眺めていた時だった。一人の見知らぬ青年がこちらに近づいて来た。
「君が東雲時雨?」
「そうですが。貴方は?」
「僕は菖蒲 渚」
彼はしなやかな体躯で、派手だが洒落 たスーツを上手く着こなしていた。容姿も目鼻立ちがはっきりしていて、美しい男性だなと思っていると、彼もこちらを観察しているようだった。
「零音様の『餌役』だっていうから、凄い綺麗な人なのかなと思っていたんだけど。何だか普通だな」
じろじろと俺の容姿や身体を確認すると、フッと嗤い勝手に評価を下した。
「普通っていうより、高いスーツを着ただけの一般人?」
嘲るような笑い声に顔をしかめかけたが、ぐっと堪える。挑発に乗って来ない俺に鼻白んで、彼はフンッと悪態を吐いた。
「何だ、面白くない奴。まぁここで会えたからいいや。あのさ、代わってくれない?」
「は?」
「だからさ、零音様の『餌役』を僕と代わってよ」
一瞬何の事を言っているのか分からなくて、聞き返したのが癪に障ったのか、大きな声で繰り返された。
不穏な内容と只ならぬ雰囲気に周囲がざわりとし、聞き耳を立てる気配がする。
しかし菖蒲は興奮しているのか、周りの様子には気づかずに、更に声量を上げた。
「君って子供の時から零音様と一緒にいるのに、『餌役』の役目を一度も果たしていないそうじゃない。それって『餌役』の資格あるって言える?あるわけ無いよね」
「もしそうだとしても、あの方と何の関係も無い貴方に、俺達の仲に無理矢理踏み込まれる筋合いはないです」
「あるよ、関係。とびきりのがね。君よりもずっと深い関係だし」
「なっ……」
「あの方の使用されてる血製剤って、実は僕の血なんだよね。零音様から、ずっと僕の血を提供して欲しいって言われてるんだ。つまり、実質『餌役』の役目を担っているのは、この僕だ。理解した?」
「零音様が、血の提供を貴方に頼まれたのですか……?」
「そうだよ。さっきも挨拶に伺った時に、これからもよろしくねって、あの甘い美声で仰ってくれたんだ」
呆然とした声で訊ねた俺の前で、彼は手を胸に当て夢見るような表情で微笑んだ。
「僕の血が、零音様の血管を通って身体の隅々まで巡 っていくんだと想像すると、幸福感に包まれると同時に、酷く堪らない気持ちになる。どうして僕が『餌役』じゃないのかって」
彼は憎々し気に俺を睨みつけた。
「皮肉なもんだよね。血製剤を通して彼と深く繋がっている僕。片 や一番愛されるべき筈のヴァンパイアに、相手にもされていない惨めな『餌役』」
菖蒲の悪意に満ちた言葉に、違うと言い返せなかった。そんな俺に、更に彼は追い討ちをかける。
「あの方にやっと会える今日を、ずっと待ち望んでいた。そもそも君は邪魔者だ。もう十分堪能しただろ?身に余る光栄ってやつをさ。今すぐ消えてよ。名ばかりの『餌役』さん」
菖蒲の人差し指が、俺の胸元をトントンと叩いた。そこは先程車の中で、自ら胸襟を開こうとした場所であり、零音に拒絶された記憶をまざまざと思い出させた。
俺は反論する事も、彼の手を振り払う事も出来なかった。それは紛れもなく事実だから。
俺よりも零音に相応しい『餌役』は、どこかにいるんじゃないかと、常に不安だった。
もしかして、この後話があるって言っていたのは、この事だったのだろうか。菖蒲を新しい『餌役』にしたいんだろうか。あんなに楽しそうな顔だったのはそのせいなのかもしれない。菖蒲の性格は難がありそうだが、零音も小悪魔な一面がある。きっと上手くやっていくだろう。
『餌役』を辞めたって、ずっと大事な幼馴染みだ。お前の幸せをずっと願っているから。
だから、この一方通行の想いもそろそろ終わりにしなくては。
「零音……」
彼の名前を紡いだ瞬間、何故か両眼から涙がポロリと零れ落ちた。
その時だった。
一筋の鮮烈な雷光が夜空を駆け巡り、一瞬眩しく光ったと同時に、つんざくような轟音が鳴り響いた。同時に室内の照明が一斉に弾け飛んだ。
突然の停電に会場は暗闇に包まれ、人々の悲鳴があちこちで上がった。
雨雲で月光も照らされない暗闇の中、周りが見えずパニックになる客がいるのか、遠くで怒号が聞こえる。
俺も零音の姿を探そうとした、その時だ。
「僕の『餌役』に向かって、随分と威勢の良い発言をするね?」
「うわっ……!」
正面にいた菖蒲の驚いた声がしたと思ったら、いつの間にか彼の隣に零音が立っていた。
信じられない。その光景を見て菖蒲だけでなく、俺も驚愕で声が出なかった。
零音の髪の毛や瞳が、淡い青紫に発光していたからだ。星も輝かない暗闇の中で、ただ独り彼だけが異様な輝きを放っている。
誰かが震えた声で呟いた。
「あ、紫陽花の君……」
まさしく紫陽花の如く優美に、そして妖艶に輝いている妖 のヴァンパイアの姿。
俺も菖蒲も、彼の放つ妖気のような気配に呑まれ動けなかった。
「一番愛されるべきヴァンパイアに相手にされない、惨めな『餌役』って言ったかな?僕達の事を知りもしないで、よくそんな酷い言葉を言えるね?」
悲しそうな表情を浮かべているが、声は淡々と言葉を並べ立てていく。首を傾げ、菖蒲を見下ろした。
「あとは、何だっけ。邪魔者、名ばかりの『餌役』とか。一瞬誰の事を言っているのかと耳を疑ったよ」
零音は、その美しい指先で、菖蒲の顎を掬い上げた。
怯えた瞳をした彼をじっと見つめると、僕の姿はそんなに恐ろしいかいと囁き、微笑みを浮かべた。
「只の血製剤ごときが、僕の『餌役』を口撃して傷付けるなんて、重罪確定じゃない?そう思うだろう」
零音の柔和な声音が、最後に低く冷徹さを帯び、俺達は恐怖で震え上がった。こんな彼は知らない。今まで見たことがない。
「今夜は早く仕事を片付けて、時雨にゆっくり癒して貰おうと頑張っていたのに、その彼を泣かせるなんて許せないね」
零音の髪が更に青紫色に明るく光り始め、周りに飾ってある白い紫陽花までが同調し、淡く輝き始めた。
周囲の客達は、その幻想的な情景に感嘆の吐息を洩らしたが、彼の毛先からパチパチと火花が散るのを見て、俺は焦った。
遠くで再びゴロゴロと雷が低く鳴り響き、雨足も激しくなってきている。
もしかしてさっきの稲光の正体は……。
「君の事、雷で消しちゃおうか?」
「ひっ……!」
「零音様っ!いい加減にして下さいっ!」
慌て彼らを引き剥がし、強引に零音を振り向かせた。
「わっ、何……」
すると意外に素直に離れたかと思うと、いきなり肩にのし掛かって来て、困惑の声が出た。咄嗟にぐったりとした身体を抱き締め、落ちないように支えた。
「どうしたんですか?気分が悪いのですか?」
「能力使い過ぎて頭が痛い……」
「全く、貴方は何をやってるんですか」
先程と打って変わって頼り無げな細い声に、安堵の吐息を洩らした。
そして床に座り込んでガタガタと震えている菖蒲を見て、同情と落胆を感じてしまう。
あの威勢の良さと負けず嫌いな性格は、ひょっとしたら彼に人間らしい感情を理解させ、彼の人生に喜怒哀楽の彩りを与えてくれるのではないのかと思ったのに。
ヴァンパイアであるが故 の彼の孤独を溶かしてあげられたなら、喜んで自分の場所を明け渡しただろう。
彼の信頼を勝ち得る事が如何に困難なのか、改めて実感させられたのだった。
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