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二の2
「翠くんのことも惑わしちゃいますよ」
いやあそれは困るなあ。
「どうぞ」
あ、やばい。本音と建前が逆だった。
紫はぽかんとしたあと思い出したようにくすくす笑った。紫陽花が揺れている。跳ねる雨粒が楽しそうに水たまりに落ちていく。息を呑んだ。
「……近付いてもいい?」
答えを聞く前に距離を詰めた。紫はびっくりしたように体を強ばらせる。まさかそんなことされるなんて思っていなかったみたい。逃げ腰の紫の腰に手を回して離さない。
紫の目に動揺を読み取った。腰のラインをなぞったら想像以上に華奢で体躯は女というよりは男だった。紫は男の人か。なんでもいいわ。
「ちょ、っと……翠、くん……」
レインコートの雨粒が手のひらにひんやり滲む。
匂いが薫った。彼の首筋まであと数十センチ。
腰から手を離して向こう側の手をやんわり掴んで指を絡めた。紫が熱くなる。その温もりは人間だった。
「……俺を誘惑してよ」
「な、に」
「俺を惑わして。俺より何百年も長生きなんでしょ。その気にさせてよ、ねえ」
「は、なして……翠くん……」
こんなウブな態度を取られるなんて思わなかった。俺はますます紫を離したくなくなる。空いている腕でやんわり俺から距離を取りながら、あからさまに顔を逸らされた。
逆に俺を煽るだけだ。だって。
レインコートのフードから覗く白い首筋が、まるで俺に触ってって言わんばかりに浮き上がってる。
力任せに引き寄せて耳の下の首の付け根に吸い寄せられるように唇を寄せた。
「ひゃぅ……ッ!」
連れて、帰りたい……。押し倒して犯したい。
「や、めて……!」
「いや無理だろ」
細い顎を掴んでこちら側に向かせる。彼は涙目になっていた。
張り付く後れ毛を指で除ける。噎せ返る香りにくらくらした。
「翠くんッ……い、っ、ゃ……ッ!」
問答無用で唇を塞いだ。舌をねじ込んで浮き上がる喉元を引き付ける。
「ふぁ、んっ……ん、っ……んぅ……!」
逃げる彼を思い切り引き寄せた瞬間息継ぎの隙に凄い力で引き離された。
「やめて、ください!」
真っ赤な顔で紫が言った。
彼は立ち上がると紫陽花の間を繕って駆け出す。
あ……。
嘘、やっちまった。
後悔の念が洪水みたいに押し寄せてくる。
「待って……!」
土砂降りの中俺は紫を追う。
「ついてこないで!」
鶴の一声。足がはりつけにされたように動かなくなった。
消える紫の後ろ姿を見ていた。自責と後悔でいっぱいだ。なんで歯止めがきかなかったんだろう。どうしよう。傷つけた。でも待ってあっちの方向はF区だ。もしかして紫はF区住みなのか? 俺と一緒じゃん、とか、考えちゃって、もう、だめだ。
どうしよう。
酷いことしちゃった。
カリン相手には三ヶ月も我慢できたのに。紫には二日しか持たないなんて。
雨に打たれながら来た道を漠然と振り返ったら紫陽花のいくつかが千切れて地面に落ちている。
……最低だ、本当に。
しばらく立ち尽くしていた。雨の音だけが耳に届いて孤独だった。
次の日俺は風邪を引いた。
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