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第3話
誰もいないオフィス。午後六時半。ああ、お腹すいた…。白鳥部長について行けたら、今ごろはおいしい料理とビールにありつけたかな…。
資料はやっと二枚目が終わった。あと三枚、八時は回るかな。
とりあえずコーヒーでも飲んで休憩しよう。財布を持ち、席を立った。
何…? ドアの前に煙…? ま、まさか火事?!
いや、オフィス内は禁煙だし火の元なんて――それより消火だ! オフィスの隅にある消火器を取りに走ろうとしたら、煙の中から人が現れた。
いったいどこから?! ドアが開いた気配はなかったぞ!
「こんばんは、迷える子羊くん」
煙の中から現れた人は、髪は真っすぐ長いプラチナブロンド、目は青い外人さんで、真っ白なタキシードにシルクハット、白い手袋。…結婚式でもしてたのだろうか…。と、呆気にとられているうちに、煙は消えてしまった。
「あ…あの…、どなた…?」
「はじめまして、子羊くん。私は魔法使い。真面目に頑張る子羊くんの救世主です」
流暢な日本語で話す外人さんは、シルクハットを脱いで丁寧なお辞儀をした。
「ど…どこから入って…も、目的は…」
青く澄んだ目を細め、外人さんはにっこり微笑んだ。
「魔法ですから、どこからでも入れますよ。目的は、君を助けるためです」
えーと、整理しよう。
この外人さんは魔法使いで、僕を助けるとか言う。
……。
頭のおかしい強盗だ!
けど、なんでマーケティング課なんかに出るんだよ! とりあえず警察呼ばないと――
いや待てよ。ここで通報したら、懐から銃とか出すに違いない。ここは理解したフリをしよう。
僕は財布から百円玉を出した。ロビーの自販機は、全て百円で買える。
「あの、どこのどなたか存じませんが、ご親切にありがとうございます。僕を助けるなら、今からコーヒーを買おうと思ったので…、この百円玉でコーヒーを買ってください」
「コーヒーですか?」
「は、はい。一階のロビーにあります。あ、よかったらあなたも何かお好きなのを飲んでください。僕からのお礼です」
と、百円玉を二枚差し出した。だが、外人さんは右手を揚げて拒否をする。
「コーヒーでしたら、はい、どうぞ」
ボンッと、また煙が舞い上がった。次の瞬間、外人さんの右手には赤いバラ模様が描かれた白い陶器のポット、左手にはおそろいのカップとソーサー。ポットを傾けるとコーヒーが出た。間違いなくコーヒーだ。いい香りがする。バリスタがいそうなカフェの本格派コーヒーみたいだ。そばのデスクに、カップが置かれる。
だが、飲む気がしない。もしも睡眠薬が入っていて、僕が眠った隙に金目の物を奪われたら…。
いやいやいや! それどころじゃないぞ! このポットやカップは、どこから出てきたんだ?! 後ろに隠し持っていたふうには、見えなかったぞ!
「さあ、冷めないうちにどうぞ」
「あ…あの…凄い手品ですね。どうやったんですか?」
落ち着いて笑みを浮かべようとしても、どうしても顔が引きつる。
「手品ではなく、魔法です」
屈託のない青い目でそう言われたら、ムキになるのは大人気ない。そうだ、高度な手品なんだ。だってテレビの手品師だって、“タネがあります”なんて言わないし。魔法や超能力のフリしてるんだから。
広報部に出ればいいのに。広告に使ってもらえそうだ。
「まあ、現代人が信じないのも無理ないですね…。ところで、帽子掛けはありませんか?」
「無いですね…ごめんなさい」
「いえいえ、お構いなく」
と、外人さんはシルクハットを被り、キャスターつきの椅子に座った。
「コーヒーをどうぞ。茶菓子も出しましょうか?」
「い、いえ、結構です。いただきます」
僕もキャスターつきの椅子に座った。誘導されたような感じで思わずコーヒーを飲んでしまったが、眠気なんて襲っては来ず、逆に目が覚めるほどおいしいコーヒーだった。
「おや…? お寒いですか?」
そう言われて気づいた。手が震えて、カップとソーサーがカチャカチャと音を立てている。
「あ、いや、その…緊張しちゃって」
外人さんは、長い脚を組んだ。
「魔法使いを見るのは、初めてですか?」
「はあ…」
手品師なら、何度も見た。
「あなたは生真面目で努力するタイプだから、お願い事が下手と見えます。今でも魔法で何を頼もうか、迷っていらっしゃるでしょう?」
そういう問題じゃないんだけど。
「だらしない人間だと、私が魔法使いだと知ると“一億円出してくれ”などと厚かましく言います。そういう人には、毛虫を百匹ほど降らせてドロンするのですが」
へえー。よく信じる人がいたもんだ。僕には高度な手品としか思えない。
「さて、私はあなたを手助けするために来ました。本当は仕事などせずに舞踏会へ行って、王子様とお近づきになりたいのでしょう?」
「どこのおとぎ話だよ!」
確かに舞踏会ならぬ飲み会の主役、白鳥部長は凰児 さんだけど。
「まあ、仕事は僕のミスだし、これ飲んだらさっさと仕上げます」
急いでコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
「コーヒーご馳走さまでした。何とか頑張れそうです」
ぺこりと頭を下げ、自分のデスクに戻った。
「私がコーヒーをご馳走するだけで帰るとでも思ったのですか?」
自称魔法使いの外人さんは、おもむろに立ち上がった。
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