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第8話
「灰田…これは…いったい…。お前、服は…どこに」
うろたえて元木課長は辺りを探すけど、魔法の服は十二時が来て消えてしまった。今頃、運転手もリムジンも元通りだな。ひょっとして、道端に消毒液のボトルが転がっているのかな。ゴキブリさんは、ご家族のもとに帰れたかな。いや、今はそれどころじゃない。
ふわっと肩に温かい感触があった。元木課長が、ジャケットを肩にかけてくれた。
「か…課長…、信じてもらえないと思いますが…魔法なんです」
「はあ?」
僕は元木課長に、残業中にエトワール鈴木という謎の魔法使いが来たことを話した。残業が早く片付いたのは彼のおかげで、飲み会に行くために服を用意してくれたこと、脱いだ服は会社に置いてきたこと、ガラスのペニスケースという余計なものを被せられ自分で外せないこと、全てを話した。
「こんな馬鹿みたいな話…信じてくださらなくてもいいです。でも、本当なんです…」
課長のジャケットは温かい。それなのに、体が震える。怖いんだ。そう、僕は嫌われるのが怖い。元木課長に嫌われるのが。
そこで気づいた。僕は元木課長が怖いんじゃなくて、仕事でミスをして課長に嫌われるのが怖かったんだ。
目の前に、課長の顔があった。僕に目線を合わせてしゃがんでくれたんだ。
「いや、お前の話を信じる」
「課長…」
「そういえば会社で着ていた服とは違ったし、目の前で服が消えたりしたら、信じざるを得ないだろう」
それだけで嬉しかった。例えクビになっても、変態だと嫌われても、課長は僕を信じてくれた。
「それに、お前は嘘をつかない。絶対にな」
カアッと一気に顔が熱くなった。どうしよう、心臓がドキドキする。そんな真顔で、真っ直ぐ僕を見ないでください。
「さあ、そのわけのわからん物、俺が何とかして取ってやる。ハサミで紐を切るか?」
「はあ…、でも…魔法だから外れないと思います」
課長はどこからか、ハサミを持ってきてくれた。僕を立たせて、後ろを向かせる。
「そいつは変な魔法使いだな。何だって、灰田にこんなことをしたんだ?」
じっとしてろ、と腰に左手を添えられた。課長にお尻を見られるのが恥ずかしい。前は透明なガラスだから、もっと恥ずかしいけど。
「えっ?! な…何だ…どうなってるんだ?!」
課長の驚きの声に下を見ると、黒い紐は消えていて、ガラスのペニスケースはキラキラとしたガラスの粉になって消えていく。そんな…ペニスケースが消えた?!
“あなたを心から愛してくれる人なら、そのペニスケースに触れた途端、溶けて消えます”
まさか…課長が?!
「全く…不思議なもんだな。俺がハサミを入れる前に消えたぞ」
「あああ…あの…課長…。ぺ、ぺ、ペニスケースは…僕を…その、心から…あ、あ、あ」
不思議そうに僕の顔を見る課長に、説明できない。何と言えばいいんだろう。
「まあ、外れたのならいい。気分が悪くなければ、風呂に入るか? タオルとパジャマを貸してやる。それと、明日は服も貸してやる」
もしかして、課長…僕のことを…。そう 考えたら、こんな裸でみっともない僕なんか、すぐに嫌われてしまう。じわあっと、目の前が涙でぼやけた。その瞬間。
「おめでとうございます、ムッシュ灰田」
その声に課長が飛び上がらんばかりに驚いた。
「わあっ! 何だお前は!」
白いシルクハットにタキシード、白手袋のエトワール鈴木が現れた。シルクハットを取り、頭を下げる。プラチナブロンドがさらりと揺れた。
「あ、こちらのお方は、はじめましてですね。私、魔法使いのエトワール鈴木と申します」
今日、元木課長が驚くのは何回目だろう。魔法使いを指差しながら、僕に尋ねる。
「灰田、こいつなのか! こいつがお前に変な物を被せたのか!」
髪と同じく金色の眉を下げ、エトワール鈴木は苦笑する。
「変な物とは人聞きの悪い」
いや、あきらかに変な物だろ。
「あのガラスのペニスケースは、真実の愛に反応する物。つまり、ムッシュ灰田を心から愛する人にしか外せないのです」
うわぁ、言っちゃった。課長…びっくりしてるだろうな…。課長の顔を見ると、なんと真っ赤になって、口をあんぐり開けていた。そんな顔、初めて見る。
「ムッシュ灰田、玄関に靴を置いときました。元の服は壁に掛けてありますからね」
見ると、ハンガーに服が掛かってた。いつの間に…。そうだ、僕は全裸に課長のジャケット一枚だった。今更ながら恥ずかしい。
「ゴキブリさんもボトルも、ちゃんとトイレに置いてあげましたよ。それから、これは私からのささやかなプレゼントです」
内ポケットから小瓶を出し、エトワール鈴木はそれを僕に渡した。
「何…これ…変な薬とか…?」
アンティークな香水みたいな、ファンタジーの話にでも出てきそうな、蓋もガラスのきれいな瓶だ。淡いピンク色をしているから、中身の色はわからない。透明かな?
「変な薬ではありませんよ。ごく普通に手に入るものです。これから必要になりますから」
何だろう? まあ、そのときにわかるなら、いいか。
「あの…エトワール鈴木さん、いろいろとありがとうございました」
元木課長の前でカッコ悪いところを見せてしまったけど。コーヒーご馳走してくれて、残業を手伝ってくれて、いい服を貸してくれて、リムジンにも乗せてくれた。魔法が解けたのが、店の中や路上でないだけでも良しとするか。
でも課長の想いを知った以上、僕はどうすればいいんだ?
「それではお二人とも、末永くお幸せに。アデュー!」
そう言って、エトワール鈴木は消えた。後に残ったのは、謎の小瓶。ラベルがあるぞ、何て書いてるんだろう?
『ラブ・ローション
愛の営みのお供に
使用方法・指や局部にたっぷり塗ってください。口に入っても害はありません。お肌に合わない場合は、使用を中止してください』
ラブ・ローションだってぇ?!
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