2 / 39

第2話

 魔獣、というのは姿が見えない『恐ろしい獣』のことだ。『魔族』と人々が呼ぶ、魔術を使う異世界の者たちと混同されることも多い。  精霊を恐れ敬うこの世界の人々――『昼の世界』とは住まう国どころか行動する時間などまでもしっかりとお互いに線引きしながら長年に渡り不干渉を貫いてきて、いつの間にか『魔族』が住まう、『昼の世界』とは表裏一体のその世界は『夜の世界』と呼ばれるようになっていった。  今はお互いにそれぞれを教訓じみた本などで知るしかないくらいだが、それらとは関係なく現れ、人々を襲う『魔獣』を人々は恐れていた。実際のところ、それらの正体は野生の獣であることが多いのだが、確かに時折小さな異形の生物が捕まることはあるので人々がその存在を恐れるのも仕方がないことかもしれない。  だが、と青年は苛つきながら自分が所属する術士ギルドの扉を力任せに開いた。  青年の帰りを待ちわびていたらしい小さな生き物が勢いよく顔に引っ付いてくる。 「お、エウレおかえりー! その顔は今日も収穫はなしって感じかな?」  ギルドの所属術士であり兄弟子である青年にのんびりとした声で話しかけられて、エウレはぎろりと睨みつけた。先ほど青年――エウレに飛びついてきた小さな、猫のように見えるがその背には翼が生えて長いふわふわとした尾を持つ生物を頭に乗せたまま乱暴にエウレは椅子へと腰かけた。 「最初っから俺を呼ぶんじゃねえよ、ったく。どうせ魔獣がいつでも悪者なんだろ!」  腹立ちまぎれにテーブルを強く叩くと、呼ばれたと勘違いしたらしいタヌキに似た生物や犬に似た生物がとててて、と歩み寄ってきた。それぞれ額に角や足に翼などがある、異形の生き物たちだ。  しかし彼らはみなエウレの帰還に、精一杯身体を使って喜びを表現する――これが人々が恐れおののく魔獣の正体だ。近寄ろうとしてこけてしまい、丸まってしまったタヌキに似たのを抱き上げると、ふかふかの大きな尻尾が嬉し気に揺れる。魔の世界からも、人の世界からもはみ出てしまった彼らが人間のために『都合の良い悪者』に仕立てあげられるのが、エウレには我慢がならないのだ。 「牙すら持っていないやつだっているのに。武器を持った人間の方がこいつらより明らかに化け物じゃないか」 「まあまあ。得体の知れないものを怖がってしまうのは人の本能のようなものだから」  奥から出てきたこのギルドのマスターに声をかけられ、ようやくエウレは落ち着きを取り戻した。 「ここで短気を起こして、魔獣事件の担当から外されるのは良いことではないわ。なんとか犯人をとっ捕まえて、この子たちの無実を訴えましょう」  長い黒髪をさらりと流しながらマスターが微笑んだ。貴族の女性のような柔和な話し方とは相反して、マスターは長身でなかなか逞しい体つきをしている。際どいスリットから覗いている太ももはどこまでも筋肉で出来上がっていて筋肉的な意味の美しさがある。  ここは王創立の護霊庁に入ることができなかったり、能力はあっても金銭的な問題で護霊官と呼ばれる護霊庁勤務者を養成する学院に入学することもできなかったような野良術士が集まるギルドだ。  仕事は主に傭兵の援護や魔獣『退治』、それから何か事件が起きた時に第三機関として国へ協力すること、などなど。術士は平均よりも華奢な体つきの者が多いのだが、マスターは傭兵ギルドの猛者であるのを偽っているのでは、とつい考えてしまうくらい異質な存在だ。それに、許容範囲がとんでもなく広い人物でもある。だからこそ、ここでは魔獣と呼ばれ忌み嫌われるこの世界でイレギュラーな生物たちも、エウレたちのような一癖も二癖もあるような術士たちが集えるといっていい。   「そういえば。エウレ、またあなたうちのギルド担当の護霊官に噛みついたんですって? ダメでしょ、どんなに使えなくたってギルドには護霊官が必ず一人は担当する決まりなんだから」 「別に噛みついたわけじゃない。あまりにもアホなこと言うから黙ってろって言っただけだ」  マスターに軽く睨まれてエウレはばつが悪そうな顔をした。  元はこの『昼の世界』を統治していた創世の王がこの世界を支えるという精霊たちを守るために一兵団として創立したところから派生し、今は護霊庁と呼ばれる機関に属する者たちを護霊官と呼ぶようになった。護霊庁は細かく分かれてしまった国々に置かれており、ルールや信仰などもそれぞれの国によって微妙に異なる。  エウレたちが住まうこの国では、護霊官たちは治安維持から護霊術の研究やらと様々なところに関わっている。そして一つのギルドにつき一人、もしくは二人の護霊官がつくのがこの国の決まりだ。  『魔族』を始めとした『夜の世界』との接触や交流がないかを監視するのが主な目的だが、中には護霊官に目をつけられて解体に追い込まれたギルドもあった。ギルドの存続は担当する護霊官にあるといってもあながち間違いではない。術士ギルドは所属する者もすくない弱小のギルドとはいえ、その特異性から常に護霊庁から目をつけられている。 「今日! 新しい護霊官が面会に来ることになっているからね。お願いだからすぐに追い出したりとかは止めて。とりあえずその子たちを裏庭に戻してきなさい」 「俺だって変な奴が来なきゃ何も言ったりしないって! とりあえず飯食ってくる」  きゅー、とエウレが抱き上げていたタヌキに似た魔獣が鳴く。彼らを裏庭に続く扉へと追いやると、エウレは苛立つ気持ちを抑えられないまま街へと出られる方の扉を開き――扉が何かに当たる音を聞いた。

ともだちにシェアしよう!