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第3話

「ほんっとーにうちの馬鹿弟子が申し訳ありません! お怪我はありません? ないですよね?」  明るい口調で申し訳なさがまったく感じられない謝罪に相手は無表情のまま頷き返した。  護霊官はどれも純白に銀のラインが入った長衣をまとうのですぐに分かる。階位を示す首飾りは新人を示す白い石だ。エウレが扉をぶつけたのが今日から術士ギルドの担当となった護霊官で――瞬時にマスターから頭に拳骨を喰らったエウレはむっとした表情を隠さずに、裏庭に続く扉を塞ぐように椅子に腰かけている。 「とにかくお茶でもどうぞ。貧乏なギルドなもので、弟子の数も少ないし小さくて汚いし、売り上げも少ないんですけどね。どうぞよろしく」  柔らかな言い方をしたマスターに相手はもう一度無言で頷く。ありふれた茶色い髪に緑色の瞳だが、若いということを抜きにしても整った精悍な顔つきが目を惹く男だ。だが、一瞬護霊官の男がこちらをみた気がしてエウレは眼を細くした。 「私はこちらの術士ギルド担当となったフィーデス・ブルーと申します。今年から護霊官となった新人ですが、貴方のギルドの発展に協力できたらと思います。よろしくお願いします」  す、と立ち上がったフィーデスに、マスターが「あらー」と嬉しそうな声を立てた。 「背も高いしちゃんと鍛えているのねえ。若いし……おいしそ…じゃなくて、好みよお!」 「ま!マスター!! ダメですよっ」  ギルドマスターの近くにいたエウレの兄弟子が慌ててマスターを窘めたが顔だけはやたらといいマスターの睨みにひょえ、と怯んでしまう……が、当の本人であるフィーデスは気にしていないようだった。 「フィーデス……って、まさか」  マスターと兄弟子は一斉に声の主へと振り返った。エウレは立ち上がりながらフィーデスと名乗った護霊官を驚きの表情で見ていた。しかし当のフィーデスはといえば、やはり無表情なままだ。自身は静かに着席するとマスター自らが持ってきたお茶に手をつける。 「マスター! 俺はこんなやつと一緒に仕事なんかできない! こんな……裏切り者なんかと!」 「私を拒絶するのならそれも選択の一つでしょう。ただ、貴方の短慮はこのギルドの閉鎖を意味する。お分かりか」  無表情なまま、冷たい声音がぴしゃりとエウレに叩きつけられる。憤怒の表情になったエウレだったが、一瞬で場の空気を壊したのは「きゅう」という間の抜けた小さな獣の鳴き声だった。もたついて裏庭に出られなかったタヌキに似た魔獣が、ばつが悪そうにエウレが座っていた椅子の影から出てくる。太く大きな尻尾をしょんぼりとさせながら今にもフィーデスに殴り掛かりそうになっていたエウレの足に謝るように頭を擦り付ける。 「……ちゃんと戻して来いって、言っただろうが」  マスターの声がいつもの甲高い裏声から地声に戻りかける。兄弟子は顔を青くしながら緊張した面持ちで新任の護霊官を見やったが、今すぐにでも断罪するかと思われた護霊官は冷静に魔獣を見ていた。 「そこにいるのは、魔獣ですよね」 「いやーっ、タヌキですよタ・ヌ・キ! ちょっと、見えちゃいけないものがついてますけど」  口を開かないエウレに変わって兄弟子が慌ててフォローしようとしたが、あまりにも苦しい言い訳はフォローになっておらず、再び立ち上がった護霊官がエウレの足元にいる魔獣へと近づいてく――が、それよりも早くエウレがたぬきに似た魔獣を抱き上げた。  それに相対するように護霊官のフィーデスが立つと、身長差は明らかでエウレの方が見上げるようになってしまったが、鋭くエウレが睨み上げてくるのをフィーデスは落ち着いて見返した。 「魔獣の存在を見つけたら、即処分して護霊庁に申告しなければいけない原則はご存知ですよね。ただ、それは担当する護霊官の匙加減一つでもある」 「俺が出ていけばいいならこいつらと出ていくからいいだろ!」  マスターがエウレを咎めようとするのを兄弟子が宥めている間に、フィーデスは眉間を指で押さえながら深いため息をついた。それすらもエウレの気に障るが、そんなことは気にも留めていないようだ。 「このギルドに属している貴方が出ていったところで、ギルドの解体は免れません。弟子であるあなたの行いは、親方であるマスターも責任を負うことになる……そのくらい、分かっているでしょうに。だが、私は言いました。魔獣の存在を見つけたらどうするか――それは、私に委ねられている」  きゅう、とタヌキに似た魔獣がおろおろとしながら鳴く。エウレが強く抱きしめると痛がって這い出て、そのままゆっくりと床に降りた。それをフィーデスが抱き上げる。 「貴方がたもよくご存知のとおり、ここ最近、魔獣によるといわれる殺人が続いています。それらはすべて、体を無残に切り裂かれ、あるいは貪られるように食害され、ひどい有様のものばかりだ。だが、この子たちがそんなことをするようには思えない。彼らには鋭い牙どころか鋭い爪すらも持たないものが多い」 「……何が言いたい?」  抱き上げられたタヌキに似た魔獣の前足――鋭い爪などない――に触れると、フィーデスはまっすぐにエウレを見てきた。 「私や一部の護霊官は、今般の事件は『魔獣ではない何か』が絡んでいると考えています。だが、我々護霊官は相手が魔獣であろうと野の獣であろうと、対象を攻撃する力は正直に言ってあまり強くない。あくまで『護る』ことが我々の使命なので。だが、貴方たちは魔術に近い術なども扱える、この国では稀な攻撃性のある術を扱える術士です。貴方たちが協力してくれるのなら、私はこの子達の存在に目を瞑りましょう。私の一族の守護精霊、『アクィア』に誓います。もちろん、無償とは言わない。協力してくれるのなら必要な手当を、解決に至れば報奨金が護霊庁から支給されるように必ず手配をします」 少し後、張り詰めた場の沈黙を破ったのは「きゅー!」というタヌキに似た魔獣の鳴き声だった。まるで「いいよー」と言っているような鳴き声に、思わずといったようにマスターが吹き出す。 「この子達はフィーデスさんが見立てた通り、確かに魔獣とか巷で言われるような存在だけど人畜無害よ。でもそうね、この子達が悪くないって分かればこの子達が外で遊べるようになるかもしれないわ。いつも暗い夜の世界だけではなくて」 ちら、とマスターはエウレを見やった。相変わらず鋭い紫の瞳は護霊官を睨みあげてはいるが、そこには惑いも感じられる。 「というわけで。エウレ、貴方がフィーデスさんに協力して事件を解決してきなさい!」 どうして俺が、と言いかけたエウレの後ろから、少しだけ開いていた扉の隙間から猫に似た魔獣が出てくる。そちらはフィーデスを見ると驚いたように尻尾を大きく膨らませて威嚇した。 「いいわよね? 元はと言えば貴方がこの子達を拾ってきたんだから。この子達のためにも張り切って働いてきなさい!」 「……どうせ金目当てなんだろ」 諦めながら猫に似た魔獣を抱き上げると、エウレは深いため息をつくのだった。

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