8 / 39

第8話

「あらー、こんなところで奇遇ね、フィーくん」  本来、男性的で低い声を持っているマスターの黄色い声に呼び止められてフィーデスは足を止めた。間もなく術士ギルドの小さなレンガ造りの建物に着く、というところだ。背が高く筋骨隆々としているギルドマスターは人目を惹く鮮やかな赤の上着に際どいスリットが入った長い布を腰に巻いている。風に布が舞うと逞しい太ももが見えるのが意外と似合っているので怖い。 「マスター、背中……」 「ああん、そうなのよ~この馬鹿弟子、またぶっ倒れてたわ。さっきの異形を追いかけて、どうせ術を派手に使って勝手に気を失ったんでしょ。気を失ったところを襲われたらどうするんだか」  きゅー、とマスターの足元で鳴き声がする。どうやらマスターは帰ってこないエウレをイーリと一緒に探しに行ったその帰りだったらしい。 「申し訳ありません、私が一緒にいたのですが……」 「いえいえ~、どうせこの馬鹿弟子が『俺は一人で大丈夫だ! キリッ!!』とか言ったんでしょ。それよりフィーくんは怪我とかしなかった? 護霊庁への報告が終わった帰りなら、こちらへの報告でお仕事は終わりでしょ。ついでにうちで夕飯食べていきなさいな」  痩せている方とはいえ成人男性をあの森からずっと背負ってきたらしいのに、まったく疲れを見せないマスターは悠々と笑うとフィーデスを夕食に誘う。断ろうとしたフィーデスだったが、イーリが裾を口に銜えて引っ張ってきたのと、意識を失っているエウレのことが気になってギルドまでマスターたちと行くことにした。  マスターの背中で眠り続けるエウレはいつも通り黒い髪に戻っており、腕の紋様も消えていた。マスターが着ていたらしい桃色の薄いストールを上半身に巻きつけられているのだが、エウレの成長しても痩せて骨が浮き出ている細い腰のあたりが何となく目に入り、フィーデスはふっと目を逸らした。 「おかえりなさーい。あれ、エウレはまたダウン? 腹減りゃ起きるかな」 「これはちょっとダメそうよ。アタシが気合注入してきてあげるから先にご飯食べてて」  ギルドの入り口をくぐると、夕食の準備をしていたらしい兄弟子がフィーデスたちを出迎えた。術に長けてくると料理などにもそれを応用する者がいるという話を聞いたことはあったが、術士ギルドでは魔獣が手伝いをしていた。猫に似ているフェリが大きな鍋の近くに腰かけておたまで鍋の中身を面倒くさそうにかき回しており、犬に似たコアは前足でせっせとテーブルを拭いていた。フィーデスに座って寛ぐよう話してから二階にあるらしいエウレたちの部屋へとマスターが上がっていくのを見送ると、兄弟子は苦笑しながら猫の手を借りたスープをフィーデスの前へと置いた。 「あの様子だと異形は捕まえられなかったみたいだね。フィーデス君もこんな時間にうちに来るなんて、今まで護霊庁で絞られていたの?」 「私は問題ありません。それより、先輩は――エウレさんは、いつもこうなるのですか? 倒れたり、とか」  先にフェリとコアにご飯を上げていた兄弟子はフィーデスの問いかけに苦笑を返した。 「いつも、じゃないんだけどね。あの子、血とかそういうのがダメみたいで。いつもは俺様で弟弟子のくせに生意気なんだけど、血の匂いで酔ってたりすると術発動させた後でぶっ倒れたりしてね。前より大分マシになってきたけど、あいつもまだまだ半人前だから」 「だから顔色が悪かったのか……」  昼間、『化け物』と対峙した時どんどんとエウレの顔色が青くなっていったことを思い出す。気づいていたのに、気遣えなかった。いや、言葉はかけたけれど、もっと取るべき行動があったはずだ。 「もうね、同じギルドの兄弟になって長いっていうのになっかなか心のガードが固くてさあ。でも、フィーデス君なら何かが変わるんじゃないかな、なんて。オレも親方も、勝手に期待している訳さ」 「……エウレは、私のことは信用していません」  そう口では言っているみたいだけどね、とのんびり兄弟子が返してくる。  別れを告げることもなく、追放されるように学院から――フィーデスの前から消えたエウレ。久しぶりに邂逅したこの部屋で、エウレはフィーデスのことを『裏切り者』と糾弾してきた。理由は分からないが、エウレの中でフィーデスはそういう人間として意識されてしまっているということだ。  だが、それですごすごと諦められるほど、募らせた想いは軽くもない。

ともだちにシェアしよう!